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水面の夢


 ――水に映る自分の顔に手を伸ばし、そこにある面影を、静かに壊した。




 夢の目覚めは唐突で、十織は体ごと跳ね起きる。朝日がまだ昇る前、空には月すら浮かんでいる。


「……何だ、今の」


 見た夢は鮮烈に覚えている。――部屋を出て、外へ歩く。街に下りて、さらに歩く。街道に出て、まだ歩く。野原に分け入り、ずっと歩く。そして辿り着いた先に、あるのは湖。いきなり眼前に現れた水面は、夜風で揺れている。覗き込む。顔が映る。そして。


「……何だったんだ、あれ」


 妙な、夢だった。怖くはないが……静かで、あまりに静かで。


 怖くはないが、ぞっとした。白い月を映しこむ水辺が十織を誘っている気がして、それから一睡もしなかった。







 アルスはその日の昼前、いつも通り王宮に着く。その足で蔵書室へと向かえば、途中で十織と出会った。


「あ」

「逃げるなよ」

「……」


 反射的にか身を翻そうとした十織は、逃げるなと言われ足を止める。それは珍しい反応で、アルスはやや拍子抜けする。いつもだったら、逃げるなと言っても逃げる。


「……トール?」


 どうしたんだと近寄れば、何だか疲れたというか、思いつめたというか、そんな暗い、青い顔をしている。熱でもあるのかと手を伸ばせば、強く弾かれる。


「触るな」


 普段よりもなお強い語調に、アルスはややたじろぎ、どうしたんだともう一度訊く。


「トール?」


 名を呼べば、少しうつむく。どうかしたのかと重ねて問えば、十織はしばらくして顔を上げる。


「……あのさ」


 そして、この近くに湖はあるかと訊く。その突然の問いかけにアルスはきょとんとし、あるにはあるが、と首を傾げる。


「……それがどうかしたのか?」


 十織はしばらく黙りこみ、それから、連れていけと視線で脅した。




 半日休みをとった十織は、アルスの馬に二人乗りして、近場にあるという湖を目指す。何ガあるんだと繰り返し問うアルスを適当にさばき、早くしろと急かす。そんなに早く走れるわけないだろと文句を言いつつも、アルスは結構な速さで馬を駆る。


 頃は昼過ぎ、馬でも二十分ほどかかった道筋は、十織が夢で見たそれと、全く同じだった。薄気味が悪い。湖に行こうと思ったことを、今さらながらに後悔する。


「トール、どうしたんだ、お前」


 アルスが何度も何度も問うのは、十織がおかしいから。心配で、不安だから。それを曲解するほどには、ひねくれていない。


「……」


 けれど、黙秘。言いたくないのだ。言えないのだ。


 そうこうするうちに湖に着く。昼の日差しできらきら輝く水面は、昨日の夢とはまるで別物だが……辿った道筋は、全く同じだ。


「トール、ここがどうかしたのか?」


 きょろきょろと周囲を見回すアルスの横を通り、十織は湖の際にしゃがむ。十織自身の顔が映る。不機嫌そうな顔、きつい目元、肩に流れる黒の髪。夢でしたように、手を伸ばす。小さな水音。波紋。そして、


「っ?!」

「トールっ!」


 アルスの叫び声を聞きながら、十織は水中に引きずり込まれた。







 水の中は暗くて寒いでしょう? せめて、誰かが一緒なら。一人なんて、寂しすぎる。だから呼んだのよ。誰か来てって。私と一緒にいてくれるひとなら、誰でもいいの。応えてくれるひとなら、何でもいいの。……ねえ、私と一緒にいてくれるでしょう? だって貴女も一人きりなんですもの。




 語りかけてくる何かに必死で抵抗する。水が体に浸入する。苦しい。暗い。どれほど深い? 手を放せ、違う、呼ばれてなんていない!


 痛いほど掴まれた手首。まとわりつくのは水草か。動きが取れない。足掻けば足掻くほど沈んでいく。引っ張られて、水底へ……。




 死んでしまう。殺される。




 ――十織の息は、やがて続かなくなり。その目は、力なく閉じられた。







 兄ちゃん、どこ?


 こっちだよ。


 ……どこ?


 こっちだ。おいで。


 ねえ、どこ?


 おいで、トオル。ほら、こっちだよ。




 ――小さな頃、親と人込みではぐれた時、兄が手を繋いでくれた。泣きそうになる十織を、母さん達はこっちにいるよ、泣くんじゃない、そう慰めながら。


 兄の背中を追いかけて、真っ直ぐに歩く。その先にはちゃんと母も父もいて、ああよかった、と心底ほっとした顔をしていた。




 兄ちゃん、どこへ行くの?


 戻るんだよ。


 どこへ……?


 そんなこともわからないのか? 母さんと父さんのところに、戻るんだ。


 でも……母さん父さん、待っててくれてるかな。


 当たり前だろ。ずっと、待っててくれるよ。


 ……本当?


 ああ。だから、トオル。……帰っておいで。俺も、待ってるよ。







「トールっ!!!」


 大声。そして痛み。ぱっと目を開けた十織は、目前にアルスを見て硬直する。濡れて水滴を落とす銀の髪、真剣そのものの表情。何が何だかわからない十織は、鼻先数センチにある他人の顔を凝視する。


「トール、気付いたか? どこか痛いとか苦しいとか、何かおかしいことは?」


 どうにか口を動かして、ないと答える。離れて、と言えば、アルスは体を起こす。


「全く……心配させるなよ、お前は」


 ほっと息をつくアルスを見つめながら、十織もゆっくりと体を起こす。体の動きがぎこちない。何度も叩かれたらしい頬と、右手首に痛みが走り、視線を手に落としてぎょっとする。


「な……何これ」


 くっきりとついた……手の形の痣。声が震える。


「何、何で」


 どれほど強く掴まれれば、ここまではっきりと痕がつくのだろう。十織は顔を引きつらせ、答えを求めてアルスを見る。アルスは知るかと首を振り、


「お前が……いきなり沈んで。助けようと潜ったけど、全然追いつけなくて。焦ってたら、いきなり」


 湖が光ったのだという。そして、十織の体が浮き上がってきた、と。


「……どういう、こと?」


 わかるわけないだろ! とアルスは叫ぶ。


「俺にわかるかよ! お前の方がわかるんじゃないのか?! お前が、ここに、来たいと言ったんだろ!」


 十織は押し黙る。確かに、その通りだ。


 二人の間に沈黙が流れる。それに耐えかねたアルスは、ああもうと濡れた頭を掻き毟り、


「帰るぞ!」


 そう言い、問答無用で十織を肩の上に担ぎ上げる。担がれた十織はじたばたと暴れるが効果はなく、馬の背に押し上げられる。その背にアルスが乗り、二人を乗せた馬は、湖から離れていった。




 顔を洗う時、水に映った自分の顔をふと見つめてみる。黒髪黒目。きつい目付きと薄い唇。


「……」


 ――そこにあるのは、誰の面影か。







「全く、困る。……勝手を働くものが多い」


 呟き、立ち上がり、空を見る。綺麗に晴れて、雲がゆっくりと流れていく。


「こんなこと、最近までなかったのだがな」


 最近は、ひどい。大人しくしていた者達が、今になって暴走している。理由は大体、見当がつく。彼らには、わかるのだろう。


「……潮時、か」




 ――世界は回り、時代は移る――




 それは実に当たり前のことで、日々は少しずつ変化していく。その変化を認めずに抗うのは、愚かなことだ。流されるままに生きる。それが賢い。


「でも、こういうもの達は、仕方ないのだろうな」


 一つのものに囚われ、縛られて生きる。……賢くはないが、それもまた、各々の生き方であるのだろうと、そう思った。


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