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異世界人の家


 キィスが聞いた話らしい。


“城下の路地の向こうにある家には、招かれた者以外辿り着けない。その家に踏み入れた者は、一つだけ、とても素晴らしいものを土産にして帰ってくる”


 それを訊いた十織とセレフェールは、面白そうだと笑い、今夜にでも肝試しに行ってみようか、とそういうこととなった。




 その路地は少し下り坂で、曲がりくねって、夜ともなるとどこか足元が覚束ない感覚に襲われる。この緩やかな坂の下にあるという家、そこに住むのは、一体どういうひとだろう。


「トール、足元に気を付けてね。キィス、もっときびきび歩きなさい」

「セレフェールこそ、気を付けて。キィス、のろいよ」

「何で俺には厳しいんだよ……」


 軽口叩きながら歩く三人の足取りは軽い。何故なら、先ほどの角を曲がった際ようやく見えたその家は、屋敷と言って差し支えなく思えるほどには立派だったが、別に何の変哲もない建物だったからだ。


 目の前まで行き、戻ってくるつもりだ。肝試しなど所詮こんなもので、少し夜の散歩に出かけただけだと割り切る。そもそも別に怖い噂などない話題だったのだから、肝試しという言葉自体がやや正しくなかったように思える。


 とにかく、彼らはその家の中に入るつもりはなかった。のだが……、


 ――いえ、あの、お気を遣わずに。気にしないでください。


 困ってそう繰り返すキィスと、疑うような目をした十織にセレフェール。




 辿り着いた門のあちら側には、中へどうぞと微笑む青年がいた。







 三人は結局、招かれるがまま、建物の中へと足を踏み入れ、応接間らしい一室に通された。


 外門から玄関までの間に広がる左右対称の庭には、淡い色調の儚げな花が、無造作に見えるほど一面に植えられている。それが夜風に吹かれてざあっと音を立て揺れる様は、美しい。そして、そこはかとなく寂しくて……何となく懐かしい気が、十織にはした。


 建物の中は、外見よりもずっと質素だ。こうして中をのぞけば、屋敷というより家の方が正しいことはよくわかる。一人で住んでらっしゃるの、と尋ねたセレフェールに、妻と娘がいます、と青年は言う。そして、


「あなた達も、肝試しにいらしたのでしょう?」


 そう訊く。三人はぎくりとする。いえあの、としどろもどろに言葉を重ねるキィスに、困ったものですねと苦笑を見せる青年。


「この家に入った者は一つだけ素晴らしい土産を手にする、という噂でしたか?確かに……そういう事実は、あるのですけれど」


 え、と目を丸くした三人、矢継ぎ早に、


「本当なんですか?!」

「あら、本当に?」

「……いや、普通、嘘でしょ」


 十織一人だけ疑いの目を向ければ、青年は頷く。勿論嘘ですよ、と。


「え、嘘なんだ……」

「何だ、そうなの……」


 あからさまに落ち込むキィスとセレフェールに、十織は呆れ顔、青年は微笑を向ける。


「こんな曖昧な噂、普通眉つばだって」

「まあ、噂なんてそんなものです。……でも、折角お招きしたのですから、少し家の中を探検してみますか? 今日はちょうど、私以外この家には誰もいないですし。私も、この家の中を全て知っているわけではありませんから、もしかしたら、そういう噂の元になる何かが、本当にあるのかもしれませんね」


 物を壊したりしなければ部屋なども好きに見てくださって構いませんよ、という青年の申し出に、セレフェールが浮上する。いいのかしらと目をきらきらさせるセレフェールに、よろしいですよと答える青年。でも、と遠慮気味なキィスに、遠慮なさらずにどうぞ、と微笑みを深くする。二人は青年に促されるまま、いそいそと部屋を出ていった。


 忘れ去られて部屋に残った十織は、妙に親切な青年を、いまや完璧に怪しんでいた。扉の脇までじりじりと移動し、


「あんた……何が目的?」


 ぎろっと睨む。


 ――そもそも、おかしい。噂を知っていて、わざわざひとを家に招くだろうか。家の中を捜索させて、何の利点があるというのだ。家の中を他人に下足で荒らされるのを、快く許可する人間がいるものか。


「あんた本当に、この家の、住人?」


 警戒心むき出しな十織の問いに、青年は優しく微笑む。


「ええ、この家に、住んでいます。今も」


 ……ただ、話し相手が欲しかったのです。久しぶりのことだから。


 そう言う青年に危険は感じない。十織は体の力を抜き、どういうことだと説明を求める。青年は少し考える間を置いてから、私は、と口を開く。


「私は……ヒロと言います。本名は、ヒロタカ。ニシダ、ヒロタカです」


 十織はその、ローザリアの者には明らかに発音しにくい名前を耳にして、一瞬頭の中が真っ白くなる。


「私は、異世界人なんですよ」


 ヒロタカと名乗った青年は、そう、悲しそうに微笑んだ。




 西田拓考、片倉十織。この世界では名乗っても覚えられることのない、二つの名前。




「そうですか……あなたも、日本人なんですね」


 随分と懐かしい人種の分け方だ。ローザリアに来て以来、十織はずっと“異世界人”以外の何者にもなりえなかったから。


「トオルさん、ですか。どういう字を書くんです? ……ああ、そういう字。“十に織る”、なかなか洒落の利いた、いい名前ですね」


 どこが洒落に利いてるのかと問えば、拓考は朗らかに笑う。


「布を織るなら、縦糸と横糸が必要です。“十”はまさに、それの表れでしょう?」


 言われるまで、気付きもしなかった。ああそういうことですか、と十織は納得する。


「私は、考え拓くなんですけどね。拓くって、ようは開拓のことじゃないですか。“闇雲に進むだけじゃ駄目だ、頭も使いなさい”って意味で付けたらしいんですけどね」


 どうも私は、結構考えなしに行動してしまう性質で、と拓考は頭を掻きつつ笑う。はあ、と相槌を打った十織は、困惑している。十織が日本人だとわかってから、拓考というらしいこの青年、妙に明るい。どうも、大きい犬に懐かれた感じがする。


 久々に出身が同じ世界の者に会ったから、なのだろうか。そういえば拓考は、話し相手が欲しかった、と先程言った。こうして会話する者が、いなかったのかもしれない。そこでふと思う。――妻と娘は、どうしたのか。


「あの……」

「ん?」


 何やら話し続けていた拓考は、十織が声を上げたので口を閉じ、どうしたんですかと首を傾げる。


「あの、奥さんと、娘さん。どうしたんです?」


 立ち行ったことを訊くようですけど、と後付けして視線を向けると、拓考は表情を硬直させる。明らかに、突かれたくない場所を突かれた反応だ。話したくなければ別に、と気まずく目を逸らせば、拓考はしばらく後溜息をついた。


「……そういうあなたの家族は? あなたは何故、この国に居続けているのです?」


 今度は十織が硬直する番だ。思いがけない質問に内心動揺していると、拓考はふっと息を吐き、


「わかりました。私の事情を少し、お話しましょう」


 虚空を見上げ、何かを思い浮かべるかのように目を閉じた。







 私は二つの家庭があった。日本に一つ、こちらに一つ。妻が二人、息子が一人、娘が一人。誰といる時が一番幸せだったかなんて、比べられもしない。私は私の子ども達を愛していたし、妻達を愛していた。そして彼らも同様に、私を愛してくれた。……比べられる、はずがない。私は家族が大切だった。とてもとても、大切だった。


 でも、それと同じくらい、その存在が重かった。夫になった。父親になった。幸せでしょうがなかったのに、それと同じくらい、辛かった。




 私は、この世界に来て、元の世界の家族を捨てた。


 一つめの家族から逃げる口実を、本当はずっとずっと探してた。だから逃げて、この世界で、新しくやり直して生きていこうと、そう思ったんだ。







 逃げるのは、その場になれば意外と簡単なもので、ならば何故今まで逃げられなかったのかと言われれば、そこに何がしかの責任と心残りがあって、どうしても手を離すことができなかったから。


 なればこそ、この世界に来たことを理由にそれらから手を離すのはとても簡単で、重荷から解放されようやく羽を広げた鳥の気持ちがわかる。これほど気持ちいいものはない。……その時は、そう思う。


 でもやがて時が経って、いつかふっと、手離したものの重さを思い出す。あの重いものは、どこまで落ちていってしまっただろう。地に落ちて壊れてしまっただろうか、そう思うようになる。気になって探しても、もう遅い。たとえ見つかっても、きっと二度と元の形には戻せない。




 ――失ったものがもたらしていたものに気付いた時、全ては終わっている。







 実に幸せそうに笑顔を浮かべるセレフェールとキィスに挟まれて、十織はうつむいて坂を上る。


“あなたの名前を、正しく呼んでくれるひとはいますか?”


 ……何だか、昔よく遊んだお祖母さんの家にいるような、そんな気分になれたの。すごく懐かしい感じがしたわ。


“きっと後悔しますよ。私のように”


 ……俺も、実家にある秘密の屋根裏部屋で兄さんと遊んだ時みたいな、そんな気がした。楽しかったな、狭くて埃っぽい場所だったけど、さ。


“逃げてはいけないとは、言いません。でも、逃げ続けては、いけませんよ”




 帰り道、拓考の言葉が、幾度も十織の頭の中を駆け巡る。うるさいと唇を噛みしめ見上げた夜空は、星々が瞬き、どこか遠く思えた。


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