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木曜日のひだる神~おじいちゃんとJKあやかし食べ歩き祭~  作者: 刀綱一實
隠れ家居酒屋の生ハム桃アボカド・大福春巻き
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ひだる神との出会い

 独居老人の朝は早い。さわやかな朝日を浴び、体を動かすのが快感だから……というより、単に目が覚めてしまうのだ。


(年か) 


 この言葉が頭をよぎるたびに、俺は全力でそれを否定する。


(六十代は若い。今日だって、はつらつとしているぞ)


 俺はすでに定年退職して隠居の身である。同じようにやめた後、新しい物に触れなくなった友人たちはあっという間に老け込んでいった。自宅で暮らせるのはまだいい方で、早々と施設に入った者もいる。


(おー、嫌だ嫌だ)


 ぬるい環境にとってつけたようないたわりの言葉。それを想像するだけで嫌になった。俺は水で顔を洗い、身震いをする。剣道で鍛えた体は、まだまだ思うように動くと信じておくのだ。


(さ、行くか)


 今日は古なじみが経営する道場で、稽古をつけることになっている。素振りをして体を温めるため、俺は雑貨袋を持って庭へ出た。


 ──すると、そこに見慣れないモノがいた。


「く……」


 思わずうめき声がもれる。庭の隅に、黒い煙が渦巻いていた。それがこの世のものではないと、俺は肌で感じた。


 まず、見ただけで体の力がごっそり抜けていく。木刀を握っていられなくなり、手放してしまった。そして、異常に腹が減る。胃がよじれくっついて、ぐるぐると低い音をたてた。


 俺は腹ばいの姿勢をとる。一番体力の消耗が少ないからだ。袋の中に手をつっこみ、前日に作っておいた握り飯を取り出してばりばりかじった。


(こんな奴にやられてたまるか。絶対に返してやる)


 生来の負けん気の強さが頭をもたげる。握り飯の糖分のおかげか、さっきより頭がさえてきた。いける。


 指先が動く。腕を伸ばし、放り出していた木刀に触れる。俺は地面を転がり、素早く起き上がった。


「でぇいっ」


 気合いとともに、木刀で化け物をひと打ちする。黒い煙が、空中にさっと溶けた。


「はあ……はあ……」

 

 大きく息をつく。さっきまでのだるさが、嘘のように消えていた。


(やっぱりあいつの仕業だったか)


 消えてしまったが、正体はなんだったのだろう。あのまま放置して、本当に害はないのか。不安な気持ちを抱えつつ、俺は散らばった雑貨をかき集めた。



 ☆☆☆



「お前らを見込んで、ひとつ相談がある」


 出向いた道場での稽古は無事に終わった。その後、師範たちが集まって茶を飲んでいる。そこで俺は、こう切り出した。


「「金ならないぞ」」


 あちこちから声が飛んできて、きれいに重なった。みんな年金暮らしのため、そこが一番心配なのだ。


「懐事情はよく分かってるよ」


 金の無心じゃないと分かると、師範たちはそろって身を乗り出した。


「実は……庭の隅に、おかしなのがいてな」

「泥棒か?」

「人間ならただでは帰さんが、違った」


 俺は、今朝あったことをかいつまんで話す。


「…………」

「…………」

「……伊藤暁久、老人ホーム?」

「やめろ」


 それだけは言われたくなかったのに。


「この会においてそれだけは禁句のはずだ」

「だって……なあ」

「いきなり化け物って」

「ボケちまったんじゃねえの」


 冷たい。あまりに冷たい。共に最後まで元気でいようと誓い合った、「ピンピンコロリの会」のメンバーとは思えない。


「……そりゃあ、ひだる神じゃないかな」


 隅に陣取っていた巨漢──玉利博正たまり ひろまさが、のっそりと体を起こした。眠っていると思っていたが、今までの話を聞いていたらしい。学生時代、神社仏閣巡りが趣味だった彼なら、何か知っているかもと期待が高まった。


「博正。なんなんだ、それは」


 俺がにじり寄ると、博正は話し始めた。


「飢えて死んだ人が変化した妖怪だよ。取り憑かれると、体がだるくなって強い空腹に襲われ、その場から動けなくなる。ちょうど今朝の暁久みたいに」


 俺は後ろ髪が逆立つように感じた。


「そのままにしておくと、その人間は死ぬ。死んだ奴は新たなひだる神となって、また別の相手を狙う」

「逃げる手段は?」

「何でもいいから食べ物を口にすること。それで抵抗する力がつく。ひだる神に食べ物を投げてやれば満足するっていう説もあるな」


 とにかく、食物を持っていないとどうにもならないらしい。出くわしたのが稽古前で良かった、と俺は胸をなで下ろす。


「しかし……事情を聞いちまうと、かわいそうなもんだな」


 俺も子供の頃は貧乏だったが、餓死する寸前まで困ったことはない。


 食べる。最も原始的で、最も重要な生命維持活動。


 それすらままならなくなった人間が、一体何を思いながら死んでいったのか。俺には、想像すらつかなかった。


「また来たら、どうしたらいい」

「供養するしかない。坊主に経でもあげてもらったらどう?」


 原因が化け物のため、解決方法もオカルト寄りだ。坊主にも寺にも一切近寄りたくないが、化け物相手ならそれしかないだろう。俺は大きなため息をつく。


「……わかった、そうする。それまで外出するときには、あめ玉でも持ち歩くことにするよ」

「それがいい」


 博正はそう言って、また寝転んだ。周りの面子はどうしていいかわからず、あいまいななぐさめの言葉を口にする。


 普段はもう少しだらだら続く会だが、その日はここでお開きになった。



 ☆☆☆



「坊主か……」


 みんなの手前、あてがあるように言った。しかし、俺は熱心な檀家でもなく、寄進もしていない。すぐに来てくれと言っても、話は進むまい。


(とりあえず、神社でも寺でも、なんでもいいから……悪霊除けの札をもらってくるか)


 それで寄ってこなくなれば万々歳だ。とりあえず明日出かけるとして、今晩をなんとかやり過ごさなければならない。


(食い物でも備えとくか……何か、余ってるもの)


 他に獲物があれば、自分には手を出さないだろう。そう思って俺は台所を探した。冷えた飯と漬け物、あと道場の若い子からもらったお菓子を少し見つける。それを盆にのせて、庭の隅に置いておいた。


 今はなにもいないが、俺はひだる神のことを思って、手を合わせた。さっさと成仏してくれとも、気持ちが分かるとも言えない。ただ、その囚われから脱することができるよう祈るのみだった。



 ☆☆☆



 翌日様子を見てみると、庭にあった食物はきれいさっぱりなくなっていた。


「犬か、猫か、化け物か」


 俺はつぶやきながら片付けを終え、寺社仏閣巡りへ向かおうとした。すると、玄関を出たところで異変に気付く。


 十代後半くらいの少女が、じっとこちらを凝視しているのだ。


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