03.魔女は楽しみを共有したい
「それはそうと明日から学校だけれど、用意はできていて?」
思い出したと唐突に話を振るリリーアンに、コニアは焦りなく当然というように応える。
「はい、問題なく。最後の一年です。お嬢には悔いのない学生生活となるよう祈っています」
彼女は現在、オリビア学園の学生である。
オリビア学園とは、13歳から16歳の上流階級の子息・息女たちが通う学校である。中流階級以下が通う一般的な学校と違い、必要な知識、素養はすでに身に着いていることが前提のカリキュラムとなっており、社交界デビュー前の子どもたちがその交友を広げる場として利用されている。
そしてリリーアンは明日からその学園の最高学年となる。この4年間を経て卒業した暁には立派な淑女として認められ、華々しい社交界デビューが待っているのだ。
そして学園ではある程度の公正を期すために侍女や従者などの付き人は基本禁止となっており、その代わりとして学園から専属の従事者が派遣されている。
つまり、爵位のない従騎士であるコニアには通う権利どころかそれに付き沿うこともできないのだ。
そのため、コニアは日中主に侍女たちの手伝いをしに本邸でいる。ルピリスもすでにコニアへの勘違いを解いており、たまに書斎整理などを手伝わすこともあった。
コニアにとっては仕事している感覚があるので苦ではないが、やはりリリーアンとの時間の方が大切である。
だからこの中休みはコニアにとって長く彼女と関われる貴重な時間であり、それが終わることには一抹の寂しさを持つのは仕方のないことなのだ。
しかしリリーアンはコニアの言葉を聞くと思案するように小首を傾げる。そしてじっとコニアを見つめると少しして得心がいったように「ああ」と声を漏らし、にっこりと言い放つ。
「ええ。悔いのないよう一緒に遊びましょうね、コニー」
「は、一緒に?」
楽しみだわと声を弾ませるリリーアンに対してコニアの頭には疑問符が浮かぶ。
それに気づいたリリーアンは可笑しそうにコニアに告げる。
「あら、あなたも行くのよ。だから尋ねたでしょう?用意はできていて?って。そろそろあなたの望みも叶えてあげないとね」
「え、いやでも俺」
「今まで色々してきてあげたんだから王様は私の可愛い我儘の一つくらい叶えるべきではない?」
その発言でこれは王命ですでに定められていることを悟る。
一気に冷や汗が出る。
あまりに突飛なことにではない。リリーアンの恐るべき行動力にである。
一般的に考えて伯爵令嬢風情が王に謁見し願いを叶えるなんて通常あり得ない。しかし彼女の抱えている境遇を考えればそれは決して不可能ではないのである。
つまり先ほどのお遊びは彼女も本気だったということだ。
"お嬢は本気で俺と楽しく暮らそうとしてくれている"
それが嬉しくもあり誇らしいが、考えてもいなかった自分の学生生活に思考が追いつかない。
「一通り必要なものは手配したから今頃あなたの部屋に届いているはずよ。制服はあなたのサイズに採寸されているはずだけれど、一応着て確認しなさいね。何か足りなかったら言いなさい」
「………」
聞いていないです。突拍子なさすぎです。事前に相談は欲しかったです。
頭に文句は浮かぶが、それすら"聞いている"上で笑顔でごり押しするお嬢に背くという選択肢は、俺にはなかった。
「……せめて明日の支度のために時間をください」
一緒に出たため息は大きかった。
◇◇◇◇
バタンーー。
主の許可を得て部屋を出ると、コニアは同じ離れにある自室ではなく本邸へと向かった。
行先はラヴァンドラ家当主のいる書斎。
迷うことなく進んでいけば、他より重厚な扉の前に辿り着く。そしてノックをしようと出した手がその寸前で止まる。
それは躊躇い。呼ばれることがあっても一下働きの自分がアポもなしに訪れたことがなかったからだ。一般的にそれは無礼に当たり、罰を受けても仕方のない行為なのだ。
コニアはやや逡巡して、それでも扉を叩き名乗れば、以外にもすぐに「入れ」と低く威厳ある声が返ってきた。
一抹の緊張を抱えながらノブに手をかければ、書類を手にカリカリとペンを走らせるルピリスが一人座っていた。
出会った当時も細身に似合わず風格漂う人だったが、ここ数年でさらに眉間の皺と白髪が増えたことで厳格さが増したように思う。
ルピリスはコニアを見ないまま、作業を続ける。
「私の入学を認めて下さり、ありがとうございます」
少しの沈黙の後、そう口火を切れば、ルピリスのペン先がピクリと動きを止め、また走り出した。
「あれが身の程を弁えずに犯した行動だ。私は何も許可していない」
「………」
「あれは自分の立ち位置をよく理解している。私を通さずに直接陛下から温情を賜ってきたのがよい証拠だ。私だったらそんなくだらぬことに使わせない。あれは価値ある宝の使い方をまだ知らないとみえる」
「………」
「しかしあれは元々ズル賢く口達者だ。その言の葉で人を惑わし欲しい真実を喰らえば自分の意のままに踊らせることに快感を覚える、蛇のような女だ。貴様も精々喰われぬよう気をつけておけ」
そこでようやくルピリスは手を止めてコニアを見る。その目は冷たく、侮蔑と嘲笑が混じっている。
コニアも憮然とそれを見つめ返す。
「……もうとっくの手遅れですよ」
「ふん、あれもうまく飼い慣らしたものだ」
ルピリスは面白くなさそうに鼻を鳴らせば、もう興味はないとばかりに視線を手元に戻した。
コニアにやるせない苛立ちだけを植え付けて。
◇◇◇◇
コニアが無表情なまま離れに戻れば、廊下に立っていたリリーアンがそれを見るなり噴き出した。
「ふふふ!わざわざ不快な思いをしにお義父様に会いに行くなんて、コニーがそんな癖を持っていたなんて知らなかったわ」
「違います。俺は真っ当な癖の持ち主です。あと待ち伏せは行儀が悪いです」
「ふふ、私の尻拭いをしてくれたのでしょう?私が勝手な行動をとったから。別に放っておいてもあの人は私に何も言わないのに」
「それでもお嬢の障害となり得るわだかまりは少ない方がいいですから」
「でも相手にされなかったのでしょう?」
「うっ……」
自分の行動が無駄だと暗に言われ、言葉に詰まる。
しかしチラッと見た彼女の表情が心なしか嬉しそうなのに気づき、ほっと息をつく。そこで自分が思っていたより自身の感情に飲まれていたことに気づく。
肩を落として一息吐けば、リリーアンも柔らかく微笑んだように見えた。
「さあ早々に明日の支度を終えて、私に紅茶を入れて。肴はあなたと義父様の会話でいいわ」
「勘弁してください、お嬢」
こうして二人の学生生活が動き出した。