(五)
佐藤の話を聴いていて、何故かかつて読んだ浅田彰の「逃走論」
を思い出した。いや、思い出したのは「逃走論」という題名だけで
内容は何一つ覚えていないが。それは、同期に入社した男が、彼は
就職氷河期でなければもっと大きな会社に入れるほどの難関大学を
出ていたけれど仕方なくいま俺が居る会社に就職した、が、一年も
経たないうちに辞めてしまった。入社したころは机を並べてデータ
処理の雑務をしていたが彼の頭の良さに驚かされ、こいつには絶対
勝てないと思っていると、彼の口から突然「辞める」と聞かされた
時には内心ほっとした。一年も経たずに辞職する新入社員に対して
は会社もそっけなく、新入社員だけで彼との送別を惜しむ席を設け
た。その席で彼が浅田彰の「逃走論」を語り始めた。聞き慣れない
横文字ばかりで何を言っているのかまったく解らなかったが、ただ
「逃走論」という言葉だけが耳に残った。すぐに読んでみたがそれ
でもよく解らなかった。ただ構造主義からの逃走であるらしいこと
は解ったが、では構造主義とは何かが解らなかった。
例えば、この国に生まれてこの国で暮らしていると、誰もこの国
との関係性から逃れることはできない。その関係性への執着から愛
国心が芽生えるというのは何もこの国に限ったことではない。隣国
に於いても同じである。自分たちの国を愛すること自体は何も問題
はないが、それが関係性の乏しい他国に向けられると異質な文化に
対する嫌悪感から排他的になる。それもまた隣国に於いても同じで
ある。つまり愛国者どうしが罵り合う背景には何か構造的な仕組み
があって、それぞれの愛国者たちはその仕組みに踊らされているだ
けではないか。仮に、この国の愛国者たちが立場が入れ替わって彼
の国に生れ堕ちれば、たぶん反日運動のシュプレヒコールを上げて
いるに違いない。だとすれば関係性に感情を絡めて馬鹿げた感情論
で非難し合うよりも対立的な関係性を解体してしまえばいい。EU
の試みはまさに国家の解体に他ならない。それは、何も国家間の構
造だけに止まらず、すべての構造的な関係においても言えるだろう
。「逃走論」とは構造主義社会からの逃走なのだ。そして、スキゾ
・キッズ佐藤の言う「フレームの外へ」もまた、ひたひたとしかし
確実に忍び寄る新たな構造主義社会、つまりAIが支配する管理社
会からの「逃走論」に違いなかった。
佐藤は福島県出身で、父親は早くに亡くなって実家には母親と長
男の家族が暮らしていた。幸いにも2011年の大震災と大津波に
よる原発事故の直接的な被害は免れたが、しかし原発事故以来、科
学技術に対しては懐疑的になっていた。それまでは誰よりも「科学
の子」を自認していが、とりわけ原子力エネルギーについては「世
界を構成する物質の破壊は世界そのものの破壊で再生されない。そ
れは自然破壊なんかよりもはるかに深刻だ」と言って認めなかった
。そして温室効果ガスを排出する科学技術に対しても「欠陥技術だ
」と言い切った。そして佐藤は、
「日本は近代化するために欧米の科学技術を真似たんだけど、たと
えばタモリのモノマネをする芸人はタモリを超えられないんだよね
。タモリは自分自身を超えることが出来ても」
「ええっ、どういうこと?」
「だって西欧じゃ化石エネルギーの使用を無くそうとしているのに
、日本はハイブリッドだとかお為ごかしの技術でしか対応しない。
きっと既得権益を守ろうとする財界に政界が追従しているからだけ
ど、そんなタコつぼ社会の中からイノベーションなんてぜったいに
生れて来ないさ。もちろん原発問題だって同じさ」
おれは、
「今の政財界を見ていると、目の前の財政再建にばかり捕らわれて
、新しい技術だとかそんな先のことなんか考えてる余裕なんてない
んだよ、きっと」
「だって温暖化問題なんて日本にとっては技術力を発揮できる絶好
のチャンスだったのに、原発に頼ってしまったから太陽光発電だっ
てよそに追い抜かれてしまったじゃないか。世界が変わってからで
ないと変われないんだよ、この国は」
佐藤だけでなくすでにおれも酔い始めていた。便所に行こうとし
て立ち上がった時にすこしよろけた。用を足した後、洗面所で顔を
洗ってから店員にオシボリを貰って拭った。満席だった店内もいつ
の間にか空席が目立った。スマホで時間を見るとすでに10時を過
ぎていた。席に戻って再び重苦しい話を続けたくなかったので、話
題を変えようと思った。おれは席に着いて、
「さっき迷ってるって言ったけど、いったい何を迷っているの?」
と切り出した。佐藤は、
「うん、仕事を辞めようかと思ってる」
「辞めてどうするつもり?」
「実はやりたいことがある」
「まさか、絵を描こうと思っているんじゃないよね?」
佐藤はそもそも美術系の学校に進学したが、それじゃあ喰えないと
思って俺と同じ学校の情報工学部に入り直して今の会社に就職した
。知り合って話すうちに何度か絵に対する未練を聴かされたことを
覚えていた。
「そうなんだ、絵を描きたいんだ」
「家族はどうする?」
「久美子にはちらっと口に出したことがあるけどまったく取り合っ
てくれなかった」
「そりゃそうだよ、生活がまったく変わってしまうんだから」
「でも、もう娘は今年高校を卒業で志望校への進学も決まったので
少し自由ができたんだ」
「ああ、もうそんな大きくなったのか」
佐藤はおれもよく知っている学校の同級生と卒業してすぐに結婚し
て子どもを授かったので、おれの子どもよりもうんと年長だった。
おれは、
「それで、どうやって生活するんだ?」
「実は、実家の福島に親戚の空家があって、そこを借りて農業をし
ながら絵を描くつもりなんだけど」
「久美ちゃんは承知したのか?」
「いや、そんなとこに行きたくないって言われた」
「だって彼女は東京育ちだろ?」
「そうなんだ。今さら農業なんてしたくないって」
「そりゃそうだよ」
「仕方ないので別居するしかない」
「そこまで考えているのか」
「俺さ、絵を描くのは人に見せるためだと思っていたんだけれど、
ちょっとまえに前の学校の時の友だちが死んでさ、母親が彼が住
んでいた借家を片付けたら大量の絵が残されていて、それでお母さ
んはその絵をみんなに見てもらおうと思って個展を開いたんだ。俺
はその絵を見て心を打たれた。風景画が多かったんだけれど、実に
生き生きとした美しい絵だった。彼は誰にも見てもらえなくてもこ
んな素晴らしい絵を描いていたのか、と思うと可哀そうでならなか
ったんだけど、すぐに違うと思った。彼は絵を描いている時こそ生
きていることの歓びを実感していたに違いないと、それは彼の絵を
観て確信したんだ。そして人に見せること、それどころか売れなけ
れば意味がないと思っていた自分の考えが間違いだったことに気付
かされた。好きな絵を描くことはそれだけで充実した人生を送った
に違いないと、いま自分がやっているつまらない作業に比べたら」
おれは佐藤に、家族だけは路頭に迷わせるなよと説得したが、仕
事を辞めて農業をしながら絵を描きたいという彼の決意を思い止ま
らせることは出来なかった。彼の話を聴いて、画家ゴーギャンを思
い出さずにはいられなかった。ゴーギャンは株式仲買人として成功
して家庭を持って裕福に暮らしていたが、株式市場の大暴落をきっ
かけに、何を思ったのか社会的地位も家庭さえも捨てて画家への転
身を志し、紆余曲折を経てついには南太平洋に浮かぶタヒチ島に渡
って創作を続け、最後は病魔に苦しんで南海の孤島に骨を埋めた。
かつてはともに画家を志したゴッホにも劣らぬほどの彼の壮絶な生
涯はすでに様々な書物でも取り上げられているのでここでは割愛す
るが、佐藤もおそらくふるさと福島の原発事故に対する不信から近
代文明への懐疑が芽生え、「ゴーギャン的転身」を決意したのかも
しれない。佐藤は、
「このまま死んでしまっても納得できる場所にいまの自分は居るの
かって自問するとさ、そうじゃないんだよね」
おれはそんな自問をしたことがなかったので、どう答えていいのか
分らなかった。そして佐藤は、
「たとえば明日死ぬと判ったらこんなとこで飲んでたりはしないだ
ろ」
「まあな」
「それどころか東京にだって居たくない」
「じゃあ何処へ行くんだ?」
「別に決まった所はないけれど、ただ自分が生まれてきた世界をも
う一度この目で確かめたいと思ったら決して東京なんかじゃない」
「それはわかるけど、じゃあ家族はどうするんだ?」
彼はしばらく沈黙したあと、
「それを考えたら元に戻るしかないが、しかし死んでしまえば居な
くなるんだから申し訳ないが許してもらうしかない」
そして、
「死から自分の人生を見つめ直すということは個人的自我を取り戻
すことなんだ。生きている限り死は避けられないとすれば、俺はそ
の死から逆行して生きて行こうと思うんだ」
「何かよう分らん」
「一炊の夢だよ。つまり俺の人生はもう終わってしまったんだ。だ
からこれからは別の人生を生きるんだ」
「上手く行かなかったら?」
「それも夢だと思ちゃえばいい」
「でも耐えられるか?」
「だってもう一度終わってしまったんだから何があっても耐えられ
るさ。ただもう一度生れて来た歓びを取り戻したいんだ」
(つづく)