楽しめるかどうか
何でも楽しむ。どういうことなんでしょうね。
医者との付き合いは、細切れの逢瀬を楽しめるかどうかにかかっている。
そのことをしみじみと噛み締める麻巳子である。
初めてのデートの日、河合健介は一時間遅れて待ち合わせ場所にやってきた。
こんなこともあろうかと麻巳子は待ち合わせ場所に図書館を指定した。
この場所は、母の勧めでもある。
母の百合子は理系コースのあった高校を卒業して、国立大学でロボット工学を修めたこてこての理系人間だ。
麻巳子が電気を専門に勉強することになったのも、この母の影響が大きい。
母の高校時代からの友達には医者、薬剤師、検査技師などの医学系の人間や、変わり種では新幹線の運転手、宇宙工学の研究者もいる。
こういう仕事に邁進する友達を多く持っているので、あちこちから悩み相談も受けるらしい。
そのため医者としての河合先生を、どこまで麻巳子が受け入れて許せるかに、このお付き合いがどうなるのかがかかっていると言われた。
「もし麻巳子が本気で河合先生とお付き合いするつもりなら、一般的な恋愛が出来るという幻想をまず捨てなさい。」
母には最初にそう言われた。
今から思えば至言である。
こんな事も言われた。
「自分が一人で楽しんでいる所に妄想の中に住んでいる男が偶に現れるんだ、というぐらいのつもりでデートを企画するべきだ」
その助言を受けて、麻巳子は待ち合わせ場所を図書館にしてみた。
母はそんなことを言っているが…でもまさかそこまで?と麻巳子も思っていた。
しかし実際経験してみるとそのニュアンスに近いものがあった。
「すみません。初めてのデートなのにこんなに遅刻してしまって…。」
河合さんは、律儀に走って来たのだろう。額に汗をかいている。
「大丈夫です。私は仕事で使う調べたかった本を見つけられましたから。」
「よかったぁー。大抵ここで怒られてサヨウナラのケースが多いんですよ、医者の場合。」
「私も母に言われてある程度の覚悟が出来てますから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。」
河合さんは、安心したのかやっと笑顔になった。
図書館を出て食事に行くことになった。
河合さんは朝ごはんもまだらしい。
朝方に緊急連絡があって出勤したまま、今までかかったと言っていた。
もう11時である。さぞお腹が空いた事だろう。
麻巳子が見つけておいた近くのレストランを教えると、河合さんは大喜びだった。
「いやぁ、助かります。この辺りは土地勘がなくて。」
そこでゆっくりご飯を食べながら、お互いの基本的な情報を交換し合った。
ここまでは良かった。
付き合い始めのうぶな会話を堪能していると、河合さんの携帯が鳴った。
河合さんは麻巳子の顔を縋るように見て「すみません。」と言いながら、携帯を片手にレストランを出ていく。
麻巳子はこれは呼び出しだなと思ったので、ウェイトレスさんにドギーバッグを頼み、残っていた食事をそれに入れてもらった。
麻巳子が勘定を払い外に出ると、離れた所にいた河合さんが走ってくる。
「すみませんっ。落ち着いていると思っていたんですが、また行かなければならないようなんです。」
「そんなことだと思ってました。はい、これお料理の残りで食べられそうなものだけ入ってますから。私の事は気にせずにすぐ行ってあげてください。」
「すみませんっ。ありがとうございます。」
この時が一番ひどかったが、その後も似たようなことが度々あった。
その度に麻巳子は仕切り屋の自分の性格を感謝することになる。
これが男の人に頼るタイプの女の人だったらとても続かないだろう。
それにおばあちゃんの介護を家族でしていることも良かった。
河合さんが走って行く先に自分たちと同じ、医者を頼りにして待っている家族がいることが容易に想像できたからだ。
自分が余裕のある生活をしている時だったら、そんな家族の不安や心配を慮ることができなかっただろう。
そして、おばあちゃんの「何事も楽しめ」という言葉、これが私に与えた影響は大きかった。
◇◇◇
楽しめるかどうかというのは、介護生活にも言える。
毎日のお互いの不自由を皆で笑って生活できなければ、どこまでも不幸の輪廻に捕らわれることになる。
病人のおばあちゃん自身が病気を笑い飛ばせるプロだった。
「赤ちゃんのようにオムツを変えてもらってるんだから、私もたっくん語を話すべきかしら・・。」
「おばあちゃん、そういう事を真剣に検討しないようにっ。」
うちの母もこういうツッコミには年季が入っている。
おじいちゃんも、玄関から車いすが直接廊下に上がれるように、DIYで段差解消の坂を作ってくれた。
本当に手先が器用な人だ。
「ひいじいちゃんに作った時より上手くできたぞっ。」
出来上がると子供のようにおばあちゃんに自慢している。
「あら、ホント。うちのダーリンは魔法使いね。その器用な魔法で、今度は腰をさすってくれないかしら。」
「もう、おばあちゃんも上手におじいちゃんを持ち上げて使うんだから…。」
麻巳子がそう言うと、おばあちゃんはいたずらっぽく笑う。
車椅子で散歩に行く時は、颯太がおばあちゃんを抱き上げて乗せてやる。
「ほれ、ばあちゃん。お姫さま抱っこだ。」
颯太がそんな風に茶化すと、おばあちゃんも申し訳なさそうに一言付け加える。
「久美ちゃん、ごめんね。不倫じゃないからねっ。」
久美ちゃんもノル人なので、臭い三文芝居を打つ。
「ああっ、颯太さん。女房子供をおいて年上の人に走るなんてぇー。」
周りのものは一同大爆笑だ。
こういう笑いの数々が、家族全員の前向きな生活を支えているのだろう。
麻巳子とお母さんで「介護日記」を書いているのだが、一週間に一回来てくれる訪問看護士の人がこの介護日記を読むのを楽しみにしている。
そこいらのお笑い番組より面白いらしい。
そしておばあちゃんは、たまには真面目に人生を語ってくれる。
その中で印象に残っているのは、三つの言葉だ。
「麻巳子、爺さん婆さんが孫に贈れる最大の贈り物はなんか知ってる?」と言うので、わからないと言うと、
「死にざまを見せることよ。」とケロっとして言ったりする。
「私がひいじいちゃんとひいばあちゃんの闘病生活で教えてもらったことはね。とてもシンプルで、とても大切なことだったわ。」
「人間はね、『食べて』『出す』生き物なの。『生きるということは、食べて出す』ということなのよ。それの他に大切な物なんてなぁーんもないの。」
「麻巳子、『思い』が人生を作るのよ。嫌だ嫌だと思いながら生きている人は嫌な人に囲まれて、嫌なことばかりして生きるの。不平不満ばかりを言っている人は一生不平不満のタネを探して生きていくの。でも有難い有難いと感謝して生きる人は周り中有難いもので一杯だわ。そしてどんなことにでも楽しみを見つけ出せる人は、楽しい人生が送れる。」
おばあちゃんは8月の終わりに体調を崩して、再び入院した。
夏の終わりの残照の残る病室で、熱っぽい息を吐きながら私にこう言ってくれた。
「麻巳子、どんな境遇の中でも『楽しみ』を見つけ出しなさい。笑いは人生を生きやすくしてくれる。河合先生はそのコツを知っている人よ。人生の最後に二人のキューピッドになれて、このばぁさまは満ち足りて満足じゃ。のう、じさま。」
「はは、そうだな。」
おばあちゃんが、虫の息なのにおじいちゃんはゆっくりと豊かに笑いかけている。
「大丈夫。大丈夫。」
おばあちゃんの手をさすりながら、そう言い続けている。
おばあちゃんにも、爪の先程の悲壮感もない。
「ありがとね。お世話になりました。今度生まれ変わっても楽しむわ~。」
おばあちゃんは最後までニコニコ笑って、旅立って逝った。
「夏美さん、お疲れさん。」
おじいちゃんが皺だらけの手で、おばあちゃんの頬を愛おしそうにそっと撫でた。
死をも楽しめるかどうか。
うん。
おばあちゃん、おばあちゃんの最後の贈り物を私は楽しんだよ。
ハッピーエンドですね。