二度あることは三度?
麻巳子の受難は続く。
よく「二度あることは三度ある」というが、30歳になったショックを一度目と数えるとしたら、この電話は二度目のショックを麻巳子にもたらした。
春うららかなある日、母から電話があった。
「麻巳子、おばあちゃんが入院したの。仕事が楽な時に帰って来て顔を見せてあげてくれない?」
元気だったのに何で急に?とまず思う。
うちは両親が共働きだったため、麻巳子と弟の颯太は同居していたおじいちゃんとおばあちゃんに育ててもらったようなものだ。
麻巳子にとっては親よりも身近に感じる大切な人であり、生活の仕方や物の考え方に大きな影響を与えてくれた人生の先輩でもある。
これは、直ぐ帰らなくちゃ。
麻巳子の職場は自宅からも通える距離にある。
25歳を過ぎた時に独り暮らしをしてみたくて、実家から二駅離れたアパートに引っ越しをした。
「女の子なのに家を出なくても…。会社も家から通える距離なんだし。」
この時はそう言って家族の皆に反対された。
けれど、おばあちゃんだけは応援してくれた。
「独り暮らしの経験は麻巳子を成長させるいい機会だよ。百合子だって真一さんだって大学生の時に独り暮らしの経験があるだろ? おじいちゃんも独身の時に一度家を出て一人で暮らしたことがあるんだよ。私も若い頃に一人で暮らした経験があったらなぁって、羨ましく思うよ。」
結局、おばあちゃんの意見が説得力があったのか、両親も麻巳子の一人暮らしをしぶしぶ賛成してくれた。
病人のいる家というものは家族に様々な負担がかかるものだ。
麻巳子の曾祖母も曾祖父も二人とも病気がちな人だったらしく、一緒に暮らしていたおじいちゃんおばあちゃんは、その二人が入退院を繰り返す度にいろいろ苦労してきたらしい。
小さい頃に、よくその昔話を聞かせてくれた。
うちのおじいちゃんはできた人だ。
僕も何もできない赤ちゃんの頃、さんざん親に世話になったからな。赤ちゃんというのは自分一人では食べることも着替えることもできない、放っておかれたら死んでしまう存在だ。そんな時にとことん親には世話になったんだから、ご恩返しだ。
「父さんと母さんが寝たきりになっても二十年は面倒見てあげるよ。」
そんなふうに自分の親に冗談を言いながら、親身に世話をしてあげたらしい。
「おじいちゃんは男なのによく協力してくれてお風呂やトイレ、力仕事が必要な時は文句も言わずに手伝ってくれたんよ。」
おばあちゃんはよくそんな風におじいちゃんのことを自慢していた。
おじいちゃんは当時はまだ会社に働きに行っていたので、毎日の仕事の後の重労働は堪えたことだろう。
嫁であるおばあちゃんも、舅姑のオムツを替え、誤飲を防ぐために食事に工夫を凝らし、寝る時も添い寝をしていたそうだ。
それをおばあちゃんから聞いたときに「凄いなー。」と麻巳子が言うと、「親の背を見て子は育つ。」とおばあちゃんに言われた。
そんな自分の両親が親に接する態度を見ていた子供達は、自分たちも介護に全面協力したらしい。
子ども達とはつまり、うちのお母さんと中阪の伯母ちゃんのことだ。
おじいちゃんとうちのお母さん、おばあちゃんと中阪の伯母ちゃんがチームを組んで、時間交代制で介護にあたったと言っていた。
みんなが働きに出ている昼間は、おばあちゃん一人だったので負担は大きかったが、たまに訪問看護の人を頼んで急場を凌いだらしい。
今度は私の番だ。
私が両親に協力してこの家族の危機を乗り切らなくてはならない。
旅行用のスーツケースを出してきて仕事用の服などを詰めながら、麻巳子はそんな決意に燃えていた。
◇◇◇
おばあちゃんが「いったん退院してお家で過ごしてもいいですよ。」とお医者さんに言われたのはそれから三週間後のことだった。
しかし入院前とは違い、おばあちゃんは寝たきりになってしまった。
意識はしっかりしているのがまだ救いだ。
麻巳子は状況が長くなりそうなことを感じると住んでいるアパートを解約して、おばあちゃんの退院前に実家に帰ってきた。
弟の颯太夫婦は、実家の隣に建っているアパートに住んでいる。
「いずれ同居するにしても新婚の時は二人っきりで暮らしなさい。」
うちの両親はかつて自分たちも新婚の時におばあちゃんに言われたように、息子やお嫁さんにもそう言って、スープのさめない距離に別居している。
別居とはいってもすぐ近くに住んでいるので、家のことを手伝ってくれている。
しかし、息子の拓也がまだ生後二か月足らずなので、お嫁さんの久美ちゃんも産後の安静期からやっと動けるようになったばかりだ。
産後の身体で、その上まだ我が家のやり方に慣れていない新嫁さんだ。
久美ちゃんが気を遣いすぎて、全員が共倒れになっても困る。
「久美ちゃんは、まず自分の身体を労わって、拓也の子育てを頑張りなさい。こっちのことは何とかするから。」
麻巳子とお母さんが二人がかりでそう言うと、何かしなければと焦っていた久美ちゃんもやっと納得してくれた。
それまでは、おじいちゃんの昼ご飯を作りに来たり、家の洗濯を干しに来たりして細々と気を遣ってくれていたようだ。
私も久美ちゃんにそう言ったからには、全面協力をするつもりだ。
会社の方に掛け合って忙しいチームから移動させてもらい、定時に帰れるように主任の役も外してもらった。
都合によっては介護休暇も取るつもりだ。
幸いまだ新人研修の最中なので、今期の新人は他部署が面倒見てくれることだろう。
さぁ! おばあちゃんが退院してくるこれからが本番だ。
病院に洗濯物を届けたりするのも大変だが、二十四時間の介護とは比べ物にならない。
大変は大変なのだが、なにか困難なものに家族が力を合せて立ち向かっていくという、言葉にならない高揚感のようなものも、麻巳子は感じていた。
◇◇◇
「二度あることは三度ある」…私に三度目のショックがやって来た。
これは違う意味で困るショックだ。
こんな状況なのに…と自分を諫めるが、こればかりはどうしようもないものなのだろう。
恋をしてしまった。
それもおばあちゃんを診てくれている訪問診療のお医者さんに。
医者が「では、お大事に。」と帰って行った後で、麻巳子が呆けているのを見て、寝たきりのおばあちゃんは目をいたずらっぽくキラキラさせて言った。
「あの先生はいい人だよねー、麻巳子。診察の仕方も丁寧で、言葉のかけ方も人柄がにじみ出てるよ。」
「…おばあちゃん。」
「独身だって言ってたよっ。あの先生は大きい病院で研修を終えて地方の病院で三年勤めてその後南極に二年いたんだって。だから31歳か2歳ってとこかね。麻巳子と丁度いい年回りじゃないか。」
「…南極? 南極にいたの? おばあちゃん何で知ってるのそんなこと。」
「そりゃあ、麻巳子に良さそうな人だと思っていろいろ聞いてたのよ~。」
「もー、おばあちゃんったら。」
「でも、役に立つでしょ? こんな寝たきり老人でも。」
「それは言わないでっ。」
「はいはい。百合子と麻巳子それに真一さんやおじいちゃん。颯太も久美ちゃんもたっくんだって。みいんなに良くしてもらって不平がましいことは言いません。今のはただ口が滑っただけ。つるりんとね。」
おばあちゃんに茶化されているのか心配されているのか。
この人の事だから、どっちもだよね。
でもあの医者は不味い。
医者だよ。
それにいつもきれいな看護婦さんと一緒だし。
30女なんて望み薄だ。
なるべく会わないようにしよう。
うん、それがいい。
と思っていたのだが………。
どんな人なんでしょう。気になりますね。