何度生まれ変わっても、きっと君に逢いに行く
どうも、疎陀です。最近フレイム王国が難しい話&仕事忙しいだったので、ついかっとなってやったw 正直、スゲー楽しく書けました、ハイ!
――いい人生だった、と彼は掛け値なしにそう思う。
「――ッテ! ――けなさい!」
三代の王に仕えた。
「――く命です――ッテ! ――ぬなんて、許しません!」
少しでも良い国にしようと、そう思ったのだ。その為の努力は惜しんだつもりもない。
「――ヤ! いやぁーーーー!」
その『褒美』は、自身の前で、その美しい顔を涙で濡らした小女王の姿を見る事で分かる。
――否。
既に、その姿は見えない。ただ、感じるのは『そうであろう』という空気のみだ。だが、それで良い。
この少女は泣かせてしまった、という申し訳なさと。
この少女に泣いて貰える、という嬉しさ。
そんな相反する二つの感情を思いながら、逝ける。
……無論、欲がないとは言わない。
この小女王が何時の日か自らの力だけでこの国を切り盛りしていく、そんな頼りがいのある姿を見て見たかった。
この小女王の伴侶となるべき人間を、この目で見て見たかった。
そんな人間を連れて来たら、『貴方は果たして、リズ様と釣り合いが取れますかな?』なんて、彼女の亡き父の代わりに因縁の一つも付けてやろうと思った事だってある。
それでも最後は、二人の仲を認めてやろうと、そう思っていたのだ。
純白のウェディングドレスを着た美しいこの少女に『馬子にも衣装ですな』と言って、そして、嬉しさと寂しさを込めて力いっぱい泣こうと決めていたのだ。
――だが、それはそれで良い。
これからも困難はこの少女の前に立ち塞がり、そしてこの少女の上に降りかかるのだろう。
だが、この少女には支えてくれる姉がいる。助けてくれる師がいる。きっと、共に笑い、共に泣いてくれる仲間もいる。
ならば、この老骨の出る幕はもうないのだろう。
「……」
だから、彼は神に――元々無神論者であったが――神に感謝する。既に自身と世界の境界が曖昧な意識、その意識を手放しかけながら、神に感謝する。後悔のない、本当に、本当に、掛け値なしで素晴らしい人生を――――――
――――――――本当に?
「………………」
既に手の中から零れ落ちそうな意識を掌で掬い、そして救うように、彼は自身のその内なる声に耳を傾ける。
――――本当に、幸せだったか?
幸せだった。幸せだったと言える人生だ、と彼はその『声』に返答を。
――――『皆が笑える国にしてねっ!』
「……………っ」
――そして、気付く。
彼の夢を。
彼の理想を。
彼の願いとなった、そんな想いを託してくれた少女は。
――――愛する、少女は。
「…………」
きっと、『笑えて』いなかったことに。
「………………」
手放しかけた意識を、必死にかき集め、そして願う。
自分の本当の想いに気付いた彼は願う。
もう一度、『 』に逢いたい。
曇る事のない、笑顔を。
彼女の綺麗な、綺麗な笑顔を。
その笑顔を、見たい、と。
――そんなものは妄想だと。
――そんな事は出来る訳は無いんだと。
――きっと、御伽話だと自分でも思いながら、それでも願う。強く、強く、強く、願う。
薄れ行く意識の中、それでも彼は願い、願い続けて。
「――っ! め、目が覚めたっ! あ、あの! 本当に申し訳ございませんでした!」
――神の御業が、悪魔の意思か。
彼の願いは、叶う。
幾つもの世界を、幾つもの時代を、幾つもの歴史を越えて。
「…………アン?」
◆◇◆◇
自身が何処にいるか、なんて事は、男の意識からすっぽり抜け落ちていた。
「……アン……なのか?」
自身でも呆れるほどの間抜けな声。だが、今はそんな事すらどうでも良い。
「…………へ? え、ええっと……そ、そうですけど……あ、あれ? その……な、なんで私の名前、知ってるんです?」
髪の色は違う。
目の色も違う。
最後に逢った――別れた時よりも、随分幼い。
「……アン」
でも。
「……アン……」
でも。それでも。
「……アンっ!」
――自身が愛した女性を、見間違う筈がない。
「…………は? っ! ちょ、ちょっと! 動いちゃダメです!」
目の前で慌てた様に両手をワタワタとさせる少女。そんな少女が可愛くて、そして愛しくて、自身の腕に刺さった針がもどかしく、それを勢いよく引き抜く。ベッドの上から飛び降り、その衝撃に少しだけふらつくも、そんな事は意に返さず彼は歩みを進める。
「……アン」
「ちょ、あ、貴方ね! 何してるのよっ! ちゃんと寝てなきゃ――うきゃぁーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
「――逢いたかった」
動かない足がもどかしく、それでもそのもどかしすらが彼我の時間を埋めて行く様で、愛しくて、愛しくて、愛しくて、彼はようやっと辿り着いた勢いそのままに少女を抱きしめる。何度も夢に見て、何度も焦がれて、何度も、何度も、何度もこうしたいと願い、そして叶わなかった彼の『夢』は、ようやく叶い――
「――っ! なにすんのよ、この変態っ!!」
――叶うと、同時。強烈な『アッパー』が彼の顎を捉え、そして取り戻した意識を再び手放した。
◆◇◆◇
「あ、あの……ほ、本当に申し訳ございませんでしたっ! で、でも! あ、貴方も急に抱き着いて来たりするから……そ、それは貴方が悪いと思います!」
天に還るときが来たバリに大の字に寝転がった後。
「……すまん。少し、興奮した」
『だ、大丈夫ですか!』なんて、概ね加害者が被害者に掛けるべき言葉でない言葉を掛ける少女に『問題ない』と返し、彼は自身が寝転がるベッドから身を起こして視線を少女に向ける。
「……久しぶりだな、アン」
胸の奥から込み上げる、愛しさ。
その感情そのまま、およそ人生で彼が浮かべた事の無いであろう、まるで父の様な、或いは祖父の様な、そして愛しい恋人の様な優しい、この上なく優しい笑みを浮かべ。
「………………ええっと…………どこかで、お逢いしましたか?」
その笑顔が、ピシッと音を立てて固まった。
「……なん……だと……?」
そんな彼の表情の変化に、少女は慌てた様に両手をワタワタと振って見せる。
「い、いえ! その……す、済みません、私が覚えてないだけですかね? で、でも、多分、お、お逢いした事は無いような……べ、別に、今日日昭和のナンパでももうちょっとマトモな口説きかたするな~とか、そ、そんな事は――」
「……待て」
「――思ってませ……は、はい?」
フォローに必死な彼女。そんな彼女を優しく押し留め、彼はまるで生徒に答え合わせをする教師の様に、微笑を浮かべて問いかけた。
「その……確認するぞ? 君の名前はアン。アンジェリカ・オーレンフェルト・ラルキアで……あっているな?」
「……違いますけど?」
いきなり、躓いた。
「な、なに? だ、だが、先程君は『アン』と呼ばれて『はい』と答えたではないか!」
「あ……え、えっと……確かに私の名前は『アン』ですけど……その、アンジェ……なんでしったけ?」
「……アンジェリカ・オーレンフェルト・ラルキア」
「その人では無いです。私の名前は杏、結城杏です」
「……ゆうき……あん……?」
まさかのアン違い。その事実に愕然とした後、彼は慌てて言葉を継いだ。
「で、では、君は私の事を知らない、と?」
「い、いえ! 知ってますよ! むしろ知らないでか! まであります!」
その言葉に幾分ほっとした顔を浮かべる男。愛した少女が自分の事を知らないなんて、そんなのは悲しすぎる。
「そうか……では、改めて自己紹介をする必要は無いな?」
「は、はい! 本当に済みませんでした、ロクテさん!」
「さっきから謝罪ばかりだな、アン。一体君は――」
そこで、言葉が止まる。同時、ギギギと、まるで油の切れたブリキ細工の人形の様に視線をアンに戻した。
「…………ロクテさん?」
「は、はい!」
「その……ロクテさん、とは私の事か? 『ロッテ』ではなく?」
「ええっと……ロクテさんって、ロッテって渾名だったんですか? その……済みません、ロクテさんの渾名までは把握してなくて……」
「いや、渾名ではなく、本名なのだが」
「……え?」
「……は?」
微妙な時間の空白。なんだか気まずく、だが聞かなければいけない雰囲気の中、男――『ロッテ』は言葉を継いだ。
「……私の名前はロッテ、ロッテ・バウムガルデンであっているな? 王都ラルキア生まれで、バウムガルデン家の三男、フレイム王国の宰相を務めていた。あっている……よな?」
「……貴方の名前は六手誠。広島県出身で……家族構成までは知らないんですけど……この三日前から、私の通う天英館女子高校で教鞭を執る予定だった国語教師……です」
「……」
「……」
「……予定『だった』?」
「……つ、付け加えると……出勤初日、ブレーキの壊れた私の自転車に轢かれて頭を強く打って此処、海津中央病院に入院しました。なので……着任は一週間後になっていますです、はい」
「……」
「……」
「…………本当か?」
「…………正直、私も冗談か何かだったら良かったのですが……その、事実です」
「……」
「……あ、あの……って、ろ、ロクテさん! ちょ、看護婦さん! 看護婦さーん!!」
目の前で慌てるアンの姿を最後に、ロクテマコトこと『ロッテ』は意識を手放した。
◇◆◇◆◇
「……ふむ」
病院のベッドで意識を失った翌日、六手誠――ロッテは病院を退院した。そこそこ流行っている病院らしく、ベッドに空きが無い事もあり確認程度の精密検査を受けた後無事に退院を承諾、『い、家まで送りますから!』というアン――結城杏に素直に従って家に辿り着いたのが今から四日前。
「……少しばかり整理しよう」
頭の中で思考した事を、口に出す。要点整理する上では間違っていない方法を行いながら、ロッテはデスクトップパソコンの前から立ち上がるとまるで熊の様に部屋の中をぐるぐると徘徊する。
「……私の名前はロッテ・バウムガルデン。フレイム王国宰相で、年齢は七十一歳。友人であるカールと王都ラルキアの東通で会食し、その帰り道で凶刃に倒れた。下手人は不明。すぐさまカールにより王城の医務室に運ばれたが、治療の甲斐なく命を落とした」
そこまで喋るとロッテはデスクトップパソコンの置いてある机、その机の端に置いてある免許証に視線を移す。
「……六手誠、年齢は二十六歳。この春から私立天英館女子高校の国語教師として赴任予定。出勤初日、結城杏氏の乗る自転車に轢かれた弾みで頭部を強打、意識不明の重体。三日三晩、意識を失っていたが、先日目覚めた……のだが、その意識は『ロッテ・バウムガルデン』のモノになっていた。六手誠の……『意識』と言えば良いか? 意識の行く先は不明……と」
顎に当てていた手を外し、ロッテは天井まで届く二つの大きな本棚に視線を飛ばす。
「……蔵書の数はそこそこ。しかしながら……『漫画』と呼ばれる子供向けの書物と『ラノベ』と呼ばれる青少年向けの書物が蔵書の九割を占める。職業柄必要であろう専門書はわずか三冊、か。貯金額はこの国……『日本』というのか? 『日本円』で十八万九千七十二円。同年代の平均に比べれば些か少ないのは、この書物と……『パソコンゲーム』に費やしている為か? まあ、健全な青年であれば分からんでも無いが……少しばかり『いかがわしい』趣味と言えるか」
疲れた様にふうと息を吐く。
「……さて。問題は、『なぜ、六手誠にロッテ・バウムガルデンの意識が乗り移ったか』だが……ふむ」
退院してから四日、ロッテは六手誠という『人間』の身辺を徹底的に洗った。部屋の蔵書や棚に置いてあった物品から趣味嗜好を、引き出しに入っていた預金通帳とバッグの中の財布から現預金残高と身分証明を中心に、『六手誠』という人物を徹底的に洗い出したのだ。その上で、最も重大な問題であるこの『意識の入れ替わり』を推測して。
「……なるほど、分からん」
結論として、『迷宮入り』だと分かった。いや、何にも分かってはいないのだが。
「――ッテせんせーい!」
「……ああ、もうこんな時間か」
思考の海に沈みかけていた意識を引き戻すかの様な綺麗な調べ。チラリと向けた時計の短針は『4』の数字を指している事に気付き、ロッテは檻の中の熊状態から脱却すると足を玄関に進めた。1LDK、さして飾り気のない部屋を横切りドアを開ける。
「――いらっしゃい、アン」
「え、ええっと……来ましたよ、先生」
ドアの前には天英館女子高校指定のブレザーを着込み、黒髪を高い位置でポニーテールに結った少女が立っていた。誰あろう、結城杏である。
「よく来てくれたな、アン。毎日毎日済まない」
「い、いえ……その、わ、私のせいですし……」
鞄を手に持ったまま、少しだけ照れくさそうに『ははは』と笑うアン。そんな姿を微笑ましく見つめて。
「さあ、アン? 何時までもドアの前に居るモノではない。上がりたまえ」
「あ、はい。お邪魔しまーす」
ローファーを脱ぎ、室内へ。いつも通り整理された、生活感の乏しい部屋に小さく息を吐くとアンはここ数日の指定席――先程までロッテが座っていたデスクトップパソコンの前に座るとスイッチを押した。
「ええっと……先生?」
「今日はショートケーキを買ってきた。紅茶とコーヒー、どちらが良い」
「あ、それじゃ紅茶――じゃなくて! 今日はどうしますか?」
「ふむ」
そう言ってロッテはチラリと視線をベッド脇のサイドテーブルに向ける。端を几帳面に揃えた紙の束に目を向け、その一番上の文言を目で追う。
「……そうだな。アレキサンダー大王とコリントス同盟、それに元朝を印刷して貰っても良いか?」
「分かりました」
そう言ってカチカチとマウスとキーボードを操作するアン。直ぐに目当てのページに行きつくと、アンは視線をキッチンで紅茶を入れるロッテに向けた。
「いつも通りで良いですか? アレキサンダー大王を印刷して」
「分からない単語を中心に孫引きしてくれ。アン、紅茶とケーキだ。疲れただろう? そろそろ休憩したらどうだ?」
「まだ始めたばかりなんですけど!?」
パソコンを起動したばかりで早速の休憩。抗議の声を上げては見るものの、目の前で蠱惑的なまでな輝きを放つショートケーキに既に目は奪われている。だって、スイーツ大好き女子高生だもん。
「学校帰りで疲れているだろう? まずは美味しいケーキと紅茶でも飲んで、リラックスしてからやってはどうだ?」
追い打ちをかける様なロッテの言葉に迷いは一瞬。あははと照れたように頬を掻き、アンはパソコンチェアから腰を上げるとこれも最近の指定席、サイドテーブルの前のクッションに腰を下ろす。
「……お言葉に甘えます」
「ぜひ、そうしてくれ」
「はい。ありが――って、ロッテ先生!? こ、これ、『びーどろ亭』のケーキじゃないです!?」
持ってきた箱に描かれた毛糸玉と戯れる猫のマーク。その意匠が、昨今流行りのケーキ屋『びーどろ亭』のモノである事にアンが目を丸くする。
「そうだ。君が昨日食べたい、と言っていただろう?」
「い、言いましたけど……で、でも! 此処って大人気のお店で、開店前から並ばないと買えないって有名なのに!」
「確かに私の後には何人も並んでいたからな。流石人気店だ、と思ったさ」
「……良く買えました――って、ん? 私の『後ろ』ですか? 前は?」
「私が行ったのが朝五時だったからな。一番だったぞ?」
「……」
ちなみにこの大人気のケーキ屋、『びーどろ亭』は朝十時開店である。
「……五時間前からって……」
唖然とした表情を浮かべるアンに、ロッテはそれが当然である様に口を開く。
「どうしてもこの店のケーキをアンに食べさせたかったからな」
なんの気負いもなく、そう言って屈託のない笑みを浮かべるロッテ。そんなロッテに、アンは自身の胸がトクンと高鳴るのを――
「……重いです、ロッテ先生」
覚え、ない。むしろドン引きである。そんなアンのセリフも別段、気にした風もなくロッテはにこりと笑んで見せた。
「まあ、重いだろうな。きっとアンはそう言ってひきつった笑顔を浮かべるだろうと思いながらやった。別段反省していないが」
「確信犯!?」
「そうだな。私は、私の良心に照らし合わせて正しいと信じて朝五時からそのケーキを愛しいアンの為に買い求めた。昔は出来なかったからな、この様な事は」
「いや、昔って……」
そう言って、アンは先程よりも笑顔を引き攣らせながら、それでも目の前のケーキをパクリと一口。甘すぎないそのクリームに引き攣った頬を緩ませ――そして、小さく溜息を吐く。
「……ロッテ先生、もう一回入院、します?」
「なぜだ?」
「『私はロッテ・バウムガルデン。フレイム王国の宰相だった。そして、アン。君こそ、私が愛した少女だったのだ』なんて言ってる人ですよ、先生は。精密検査して貰った方が良いに決まってるじゃないですか! もしくはアレですか? 『ちゅうに』ってやつですか!」
「『中二病』、思春期にありがちな背伸びした思考、或いは自己愛的な行動を指す言葉だな」
「そういう難しいのはよく分からないですけど!」
「まあ、私は中二病ではないし、今喋っている事は別段『設定』でもない。純然たる事実だ」
ロッテが退院してから四日、アンは学校帰りに必ずロッテの家を訪れている。まあ、自身が轢いてしまった人間、見舞いも兼ねて何か不自由が無いかと思っての行動でもある。
アン自身、初日は少しばかり緊張もした。幾ら相手が『聖職者』とはいえ、年若い男性の一人暮らしだ。人柄も性格も何も分からない男性宅に一人でお見舞いに行くのである。加えて自身に過失のある身、無理な要求を断り切れる自信も正直、無かった。『知らない』と割り切れる程、不義理な性格をしていない自身を恨めしく思いながらアンはロッテ宅のチャイムを鳴らしたのだが。
「……凄いわよね。現実って、想像の斜め上を行くんだ」
ある意味では『そういう』要求をされた方が楽だったのではないか、とすら思える電波発言の嵐である。異世界からやって来た宰相閣下で、自分が昔愛した人だ、なんて、そんなの理解出来るはずもない。
「む。アン、今君は何か失礼な事を考えていないか?」
「いーえ、別に? ただ、ロッテ先生は異世界から来た割には日本語がお上手だな~って。なんです? そのフレイム王国って、日本語が使われてるんですか?」
「言語に関してはフレイム語だ。この国の言葉が使える理由は分からんが……まあ、そういう事もあるのではないか? この国の言葉が使える人間が、フレイム語の読み書きが出来た実例もある」
「……なんです、それ? まさか日本人が異世界転生でもしました?」
「正確には異世界転移、だが。優秀な御仁でな? 『勇者召喚』の儀式で呼び出したら来たのだ。あの御仁も全く慌てふためく事をしなかったな、そう言えば」
何かを思い出すようにクックックと喉の奥を鳴らすロッテ。そんな姿に若干呆れた様な表情を浮かべながら、本日三回目の深い溜息をアンはついて見せる。
「……そうですか~。大変ですね、その召喚された人も」
「そうだな。悪いとは思っている。だが……そうは言ってもあの御仁、フレイム王国ではモテモテだったからな? 割合、良い思いをしているのではないかとは思うぞ?」
「モテモテ? ハーレムってやつです?」
「女王の姉、女王の姉のメイド、他国の王女、私の身内の天才科学者、それに同郷の友人とタイプの違う美少女が選り取りみどりだな。なんだったっか……ああ、そうそう。リア充、爆発しろ、というヤツだ」
「うわー……感じ悪いですね、それ」
「だろう? そう考えると私の方が純愛を貫いた、と思う」
「なんでしたっけ? その『アンジェリカ』さん? その人がロッテ先生の恋人だったんでしたっけ?」
「恋人ではないな。想い人ではあったが」
「……あれ? 愛した、とか言ってませんでした?」
「愛していたぞ? その愛は届かなかったが。アン自身も、私の事を憎からずは思ってくれているとは思っていたのだが」
「……悲恋、だったんですか?」
これが『設定』と思いつつも、アンの顔が曇る。いつも楽しそうに『アン』の話をするロッテの表情が、苦しそうに、寂しそうに、そして儚げななんとも言えない微笑みに変わっている事に気付いたから。だから、ロッテの口が上下に動き言葉を紡ぐ姿から目が離せなくて。
「……人妻だったからな、アンは」
「え、最低。死ねばいいのに」
つい、本音が出た。
「……穏やかではないな」
「あ、す、済みません! で、でも! ひ、人妻って……そ、それ、不倫って事ですよね!? それの何処が純愛なんですか!」
むしろ昼ドラ一直線である。
「そうは言うが……知らなかったんだぞ、私も? 出会ったときは普通の少女だと思っていたのだが……国王陛下の婚約者だったんだ。そこらの貴族程度ならどんな手を使っても奪い取ってやろうと思ったが、流石に陛下の婚約者では分が悪い。政略結婚だし、宰相――当時は宰相では無かったが、ある程度国政に携わる身として自身の欲望で国家を危機に晒す訳にも行かんし」
「……設定ならせめてもうちょっと幸せな設定にすれば良いのに。異世界転生設定で悲恋とかって、どんだけなんですか、先生?」
「だから、設定ではないと言っているだろう? 事実だ」
「はいはい、分かりました! それじゃ先生、パソコン借りますよ?」
めんどくさそうに手を振って画面に向き直るアンの背中に『なんで信じてくれない』と小さく溜息を吐き――そして、笑顔を浮かべながらロッテも紅茶のカップに口を付けた。
◇◆◇◆
『それじゃ、今日の分、置いておきますから』と言ってパソコンからプリントアウトした某電子百科事典の項目に目を通していたロッテ。気になる単語、調べたい言葉にアンダーラインを引き終わって一段落、ロッテは少しばかり疲れた目を揉んで視線を紙の束から上げる。
「……流石にこれだけ読み込めば目も疲れるか」
それでもフレイム王国宰相時代に比べれば比較するのも馬鹿らしいほどに疲れは少ない。そんな若い体に少しばかり高揚する気分を浮かべ、ロッテは視線をパソコンに向ける。
「……しかし、この『パソコン』と云うのは便利だな。調べたい事をなんでも調べる事が出来るとは。そろそろ使い方を覚えるか……だが、使い方を覚えてしまったらアンがこの家に来る理由がなくなるしな」
事故の責任を取って何かをしたい、というアンの言葉にこれ幸いとばかりに『パソコンの使い方が分からない』と言う理由を付けてアンを部屋に呼んだのだ。『愛しい人と逢う』と『便利』を天秤に掛けた場合、傾く方がどちらかは自明の理とも言える。
「……異世界転生という『設定』か」
アンの言葉を思い出して少しばかり苦笑を浮かべ、ロッテはサイドテーブルに綺麗に揃えられた紙の束から一枚抜き出して目を走らす。『中二病』とタイトル付けされた説明分を読みながら、ますます苦笑の色を強くする。
「……誰だって『違う自分』に憧れはする。気持ちは分からんでは無いが……そうだな、若干生産的ではないな。所詮は御伽話と割り切る類のモノではある」
そう言って自嘲気味に笑いながら、ロッテは瞳を閉じて。
「――だが、私は今、その『異世界転生』をしているのだ」
そう。
ロッテは今、現実に異世界転生を体験しているのだ。
「……そして、私の目の前には『アン』が……正確には『アン』ではないのだろうが、『アン』によく似た少女が、私の目の前にいる」
願っても叶わないと思った少女が。
縋っても届かないと思った少女が。
笑顔が見たいと、ただ笑顔が見たいと、死の間際に願った少女が、現実に、目の前にいる。
「……ならば、どうする?」
あくびが出る程簡単な方程式。笑顔が見たい少女がいて、その少女を笑顔にする事の出来るチャンスが自分にはある。
「……テレビで見た……何だったか? ああ、そうだ。『いつやるか?』」
今でしょ。
「……幸い、アンは事故の影響で私に負い目を持っている。年若い少女が男盛りの独身男性の家に毎日訪ねて来る、というのは些か頂けないが……そうだな? そういう少し抜けてる所も『アン』らしいと言えばらしいな」
そう言ってロッテは笑う。念のために言えば、『嗤う』ではなく、『笑う』、慈悲の籠った瞳を浮かべながら、満面の笑みで笑っているのである。
「……何かあってからでは遅いからな。やはり、此処は私がしっかり守ってやらなければいけないだろう。アンが泣くような事があってはいかんしな。うん、そうだ。これは私に課せられた使命だろう。無神論者だが……そうだな、神に感謝しよう。こんな機会を与えてくれた事をな」
……とある異世界の、とある大陸の、とある国家。
その国に、一人の宰相が居た。
三代の王に仕え、全ての王に信頼され、信用され、愛された宰相。
幾多の困難を乗り越え、幾多の難問を打ち破り、千年に一人の俊英とまで呼ばれたその名宰相、ロッテ・バウムガルデンは。
「……感謝しよう」
――その溢れんばかりの才知を、ただ一人の少女に捧げると決めた。
「――感謝しよう、神よ! 私はアンを愛す! アンの笑顔を、守って見せるぞ!」
……若干ストーカーチックな宰相閣下の想いが差して広くない部屋に迸り……そして、結城杏という少女の受難が、此処から始まった。
この後は学園イチャラブ(一方的に)の始まりだ!