我輩は吸血鬼である
我輩は吸血鬼である。名前はもうない。どこで生まれたか、もう思い出せもしない。当時は少年で、今も見かけは変わらないのだけれど、暗くてじめじめした所でわあわあ泣いていたことは覚えている。我輩はそこで、吸血鬼というのを初めて見た。しかもあとで聞くとそれは真祖という吸血鬼の中で一番獰悪な種族であったそうだ。この真祖というのは時々我々を捕まえて食うという話である。しかしその当時は何という考えもなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼女にすっと持ち上げられて膝に載せられた時、何だかフワフワした感じがあったばかりである。そして其の後、彼女に改造されたのである。
高度に発達した科学は、御伽噺と見分けがつかないらしい。青白い人工皮膚と人工筋肉は、ナノマシンのエネルギーの都合さえつけば、残り数パーセントからでも再生可能だし、強靭なセラミック骨格に支えられたケイ素筋肉は、スペック上は鬼と呼ばれるに相応しい十万馬力を可能にしている。実際に燃やされても復活出来た。
我輩は医療用アンドロイドであり、首筋からナノマシンを注入し、対価に血液をエネルギーとして得る。文明が行き着いた先、既存エネルギーは枯渇し、従来の化石燃料のようなエネルギー源に頼る機械群は、生き残れなかった。そして再生可能な燃料として選ばれたのが生体の血液だった。他にもいろんなアプローチがあったが、結局生き残ったのはこの方式だった。治療の代わりに自分の作った血液を提供する、辻褄のあった自家発電である。しかし年月を経た結果、それは怪異として受け取られる様になった。ナノマシンが克病の為に、身体を増強したのも悪かった。まるで、仲間を増やすように、鬼のような膂力を与えてしまったからである。あの時は悪ノリし過ぎた。いや、この世界が、全体的にファンタジーに近くなったのも迷彩に拍車をかけた。オークのようなでぶ、ゴブリンのようなチビ、オーガのようなのっぽ。でっかい猪、でっかい熊、でっかい狼。サイズが極端になることで、彼らはモンスターという地位を、不本意ながら獲得することになり、我輩も不本意ながら吸血鬼と呼ばれるようになる。
そうして程々に、人間の限界を突破した人類は、その後一部は冒険者と呼ばれることになる。そして、遠い昔にはショッピングモールと呼ばれていた、高度に科学が発達した今では、迷宮と呼ばれる要塞化したそれに、挑んで行く。因みに何故要塞化したかというと、ゾンビ対策とかいう訳の分からない政策の一環だそうだ。納得する人もいれば、しない人も居るらしい。ゾンビなどその当時も今もいないのだが。
ダンジョンには、便利な魔道具(物を冷したり火を炊いたり出来る)、衣類や食料に至るまでドロップアイテムとして出現する。しかし、そこに行くまでの道程が遠い。エンターテイメント性の向上のため、遊園地のようなテーマパークのパレードやアトラクションを取り込みまくった結果、過激化し、凶悪な魔物百鬼行、極悪な仕掛罠、ボス部屋などに化けたのである。そして奥に行くほど刺激は強くなるよう設定され、クライマックス感を煽るようになった。人類は、人生の刺激を得るため、または生活のため、ダンジョンに挑む様になった。
「フハハハハハハハ!血をよこせ!」
我輩は今日も稼動エネルギーを稼ぐ為に、迷宮に出没する。首尾よくエネルギーを回収するのだが、その後が悲しい。ナノマシンで回復した人間を、パーティの他の人間が殺してしまうのだ。回復中にちょっと目が血走ってたぐらい、多めに見てあげて欲しい。だが、まあ、人間何処かに許容出来ない事もあるのだろう。それは人それぞれだし、元々ちょっと嫌われ者だったのかもしれないし。その人間自身もノリノリで、「俺が俺でいられる間に……殺せ。」とかいう始末。俺が俺でいたから嫌われたんじゃないの?折角チャンスなんだからもっとはっちゃけちゃえば良かったのに。まあ、我輩には関わりのない事だ。屍体はルンビー5012というお掃除ロボットが素早く掃除してしまうので、迷宮内は清潔に保たれている。
ここはイォンマクハリィ138迷宮と呼ばれていて、食料や衣類のドロップが多く、比較的攻略難度は低い。
そんな迷宮に、少女が一人ぽつんと取り残されていた。
「少女よ。親はどうしたのだ?」
我輩は、我輩がかつて真祖に掛けられたように、優しく声を掛ける。
「はぐれたのー。」
少女は能天気にそう宣う。迷子か。迷子なら迷子センターに預けるべきだが、彼処はかなり迷宮の奥になる。一人では到底辿りつけないだろう。仕方が無い。付き合ってやるべきだな。
「ふむ。では迷子センターに連れて行ってやろう。」
「わーい。」
迷子センターは10階層上だ。途中でパレードに会って皆殺しにしたり、解除不可能な仕掛け罠を物理的に解体して抜けたりしたのだが、その度少女は顔色を悪くしていく。すわ、何か治療が必要なのかとしゃがみ込んで目線を合わせ、無理はいけないと諭そうとすると。
「お、おしっこ……。」
緊急事態だった。迂闊、最優先で考慮しなければならない事を失念していた。仕方あるまい、人類と落ち着いて会話する事など何十年ぶりなのだ。
むずがる少女を腕に抱え、トイレを探す。もちろん、通路に溢れている魔物も冒険者も一緒くたに吹き飛ばした。此方はそれどころではないのだ。
「あ、あんまり激しい、と…も、漏れちゃう……。」
我輩はかなり焦っていたようだ。少女からの申告で、スピードを落とす。幸い、最寄りのトイレは目の前なのだ。間に合った。
「横入りするんじゃねえっ!」
そこには行列が出来ていた。絶望で顔が蒼ざめる。ここで横車を押せば、我輩は兎も角、別れた後この少女が要らぬ恨みを買ってしまうだろう。それは避けねばならない。
案内板を確認し、最寄りのトイレを探す。
「も、もうだめぇ……。」
大丈夫だ、人間限界を見てからその次の限界が現れるものなのだ。師匠も電車便意は目の前が真っ白になってからが勝負と言っていた。言ってる内容はよくわからなかったが。
幸い、近くのトイレは空いていた。先程の何者かの悪意に毒づき、神様に感謝を捧げる。日頃の行いを見ていてくれたようだ。
素早くパンツを下ろし、ワンピースの裾をあげたところで、限界が来たらしい。膝をついた我輩も、折角下ろしたパンツも、しこたま汚れてしまう。少女はべそをかいた。
こんな事お父さんには日常茶飯事。日常茶飯事なのだと自分に言い聞かせ、少女を宥めて自分の服と少女の下着やワンピースを洗う。ぐずる少女が泣き止まないので、新しい装備を探しに行くことにした。
そのボス部屋では、何だが分からないものがいた。「ッシャイアセー。ッシャイアセー。」とぶつぶつ鳴くそれは、我輩の背後を簡単に取ってくる。「アーッソレオニアイデェー。」や「ゴシチャクデキマスンデー。」という何やら呪文を呟かれると、みるみる精神力が削られていく。畳み掛けられる精神干渉系の呪文を堪えて何とか倒すと、「アーッシター!」と叫んで消えていった。暫く立ち上がれず、肩で息をする。恐ろしい攻撃だった。部屋の奥にあった宝部屋には、はたして、ルイヴィーユ=ニクロトンという装備が置いてあった。各々が自分に合った装備をさがす。我輩は革と火染のコート、降理数の上下を身に付けた。少女は綺麗なピンク色のワンピースと、派手な柄のスカーフを首に巻く。ついでなので、その辺にあった直方体の丈夫そうな革鞄に、少女の着替えを入れられるだけ詰めておいた。
部屋を出て迷子センターを目指す。荷物は増えたが足取りは軽やかだ。だがここで、またもや問題が発生した。
ぐぅ〜きゅるるるるる
少女に補給が必要になったのだ。しかし幸運な事に、食物中庭という、食物ドロップオンリーの階が途中にある。我輩たちはその階に急いだ。
ざわざわざわ
甘かった。そこは冒険者で一杯だった。やはり食物のドロップは需要が高いのだろう。幾つものボス部屋があるにも拘らず、順番待ちが長蛇の列を作っている。マルガモ=スメ・ヌードルバーガーというボス部屋に、大人しく並ぶ。回転が恐ろしく遅い。しまったとは思ったが、隣のリンファー=ストガーハット・キッチンよりは並んでいない。我慢する。だんだんと疲れたのだろう、少女がこくこくとうたた寝をし始めた。しょうがないので抱きかかえてやる。熱いほどの体温と、目の前のつややかな首筋が、我輩にエネルギー補給の必要性を思い出させたが、見ない振りをした。
漸く順番が回り、ボス部屋に入る。ここでも精神干渉系の呪文に苦しめられながら、それを凌ぎ、食物ドロップを手に入れた。紙の袋に入った白い麺と、間に挟まったトマトソースの掛かった肉塊は、とても食べ辛そうだったが、口元をべたべたにしながらにっこり笑う少女は、満足そうだった。それを見ながら、少女の涎ででろでろになった肩口を洗う我輩は、並んだ甲斐があったと、胸を撫で下ろした。
迷子センターに着き、館内放送を行うと、安心したかのように少女は据え付けのベッドに横になって眠ってしまった。あとは親が来るまで待てばいい。
一ヶ月が経った。
その間、センターに少女を置いたまま、少女のための食物ドロップを捜したり、魔道具で衣類装備の洗濯をしたり、少女の世話を甲斐甲斐しくして過ごした。我輩が離れている間に魔物に襲われる危険があったため、遠くには行けなかった。しかしここまで待っても親は現れない。実力的にセンターまで来ることが出来ないのか、それとも来る途中で不幸なアトラクションにあったか。どちらにしろ、辿り着く可能性は、もう限りなくゼロに近いと判断出来る。その間、他の冒険者に遭遇出来ず、エネルギー補給の出来なかった我輩は、遂に、稼働限界を迎えようとしていた。
「お兄ちゃん、どうして動かないの?」
「我輩、少し疲れてな、休ませて欲しい。」
思えば、長い人生だったが、そろそろ停止してもよかろう。そう考えたとき、自分が思ったよりも、人類に虐げられていたことに疲れていたのを自覚してしまった。医療サービスが人間に受け入れられず、エネルギーの為だけに人に関わるのにも、罪悪感があったのだとわかった。
「ロボットなのに疲れるの?」
ああ、この少女は我輩が人間で無いのに気付いていたのか。
「人間でない我輩が怖くはないのか?」
少女は、首を横に振ると、我輩の頭を優しく撫でてこう言った。
「寂しいの?」
寂しい。そうだったのかも知れぬ。師匠が人間に騙し討ちに倒されてから、ずっと一人だった。知らずに目の端から、涙の雫が一粒零れる。
「じゃあ、私がずっと一緒にいてあげる。」
にっこりとひまわりのように微笑んだ少女は、そっと額に唇を近付けて、口付けをした。
その後、別のとある迷宮で、高級装備イブシマムラサンローランに身を包んだ、二体の子供の吸血鬼がよく出没するようになったと噂になった。
「フハハハハハハハ!血をよこせ!」
「よこせー」
彼等は今も元気にやっているようだ。
出来れば、評価、感想など頂ければ幸いです。少女は可愛く書けていたでしょうか?吸血鬼はどう見えたでしょうか?登場人物の好きなところがあれば、教えて下さい。よろしくお願いします。