陸・海が鬼子母神を生んだ
「……あぁ……そうか。……だから、百合子さんは……」
住職のじーさんが、俺を見つめてしみじみと呟いた。
海の家のおっさんが、自分の奥さんを羽交い絞めで押さえている間に俺と羽柴は、おっさんに言われた通りおっさんのところの隣の海の家に行って、「寺に連れていってください!」と頼んだ。
いきなりこんなわけ分からんこと言い出したのに、隣の海の家の店主さんは俺の顔を見てギョッとした後、他の従業員に店のことを頼んで俺たちを軽トラで神社まで連れて行ってくれた。
寺の住職さんも、俺の顔をみて目を見開いた。
そしてかなり大雑把だけど事情を話したら、あの反応。
俺は他の坊さんが好意でくれた濡れタオルで、今更だけど羽柴が木刀で殲滅した虫の腐汁をぬぐいながら、ずっと思っていたことをやっと尋ねた。
「……あの、……そんなに似てるんですか?
……俺と、……『カズラ』ってやつが」
住職さんは痛ましそうな眼のまま、一拍を置いて答えてくれた。
「……あぁ。よく似ている。歳もちょうど、生きていたら君ぐらいの歳だ。……百合子さんが縋る気持ちがよくわかる」
肯定されて、俺の胸のどこかが軽く痛む。
しなくていい同情だとは分かっているけれど、それでもやっぱり罪悪感が湧く。
未だにわからないことは多い。
けど、あのおばさんがあそこまで狂ってしまった理由はもう、十分だ。
……俺を頑なに、「カズラ」だと信じて縋る理由は、もうわかった。
おばさんの絶叫が、悲痛すぎる現実逃避であり一縷の希望である言葉が、耳から離れない。
『だって、首がなかったじゃない! 頭がなかったじゃない!! あれはあの子じゃない!! あの子じゃないの!!』
どんなに現実的ではないと言われても、本当はわかっていても、それは絶望の現実を信じない根拠、希望の可能性を信じる理由には十分だ。
そこに、生きていたらちょうど同じくらいの俺が現れた。
俺は、あまりに残酷な加害者だと言ってもいいぐらいだな。
「ソーキさん」
自虐的に俺がそんなことを考えていたら、声をかけられた。
「自分の所為だなんて、思わないで。
あなたがどんな顔をしてようが、あなたには何の責任も非もないんだから」
羽織っただけだったワンピースをちゃんと着て、何かそのまま持ってきちゃった木刀を俺と同じく坊さんからもらったタオルで拭きながら、羽柴がいつもと変わらないアイスフェイスかつローテンションな口調で言った。
俺の考えなど、羽柴にはお見通しだったようだ。
俺は、苦笑だけを羽柴に返す。何か言おうと思ったけど、何も思いつかなかった。
羽柴に謝ればいいのか、礼を言えばいいのかすらわからなかった。
「……ところで、あなたたちはもちろん、どうやら多くの人が『百合子』という人がやっていることを、ご存じのようですね?」
何も言えない俺から視線を外し、羽柴は住職さんや弟子の坊さん、そして俺たちをここまで連れてきてくれた人を見渡して言った。
言われて、羽柴に視線を向けられた人たちは、羽柴とは逆に目をそらす。
羽柴はそれ以上、何も言わない。しつこく問い詰めるほど、彼女は「カズラ」にもその母親である「百合子」にも興味はないらしい。
けれど俺の方は違った。
狙われているからとか、野次馬根性とかとは違う。
何故だろう。知らなくちゃならない気がしたんだ。
「あの、お願いします! 教えてください!
……『カズラ』に何があったのかと、あの人はどうして……あんな状態になったのかを」
だから気まずい空気の中、俺は懇願した。
住職はしばらく俺と羽柴を交互に見て、諦めたように溜息をつく。
「……そうだな。説明がなくては、君たちは納得できまい」
そう呟いて、住職さんや坊さん、そして連れてきてくれた人は俺たちに話し始めた。
鬼女であり、聖母。
海から生まれた鬼子母神の物語を。
* * *
まず語られたのは、この町がまだ村と呼ばれてた時代にあった風習。
職業選択の自由がなくて、漁師の子供は漁師になるしかなかった時代の頃、物心がついたころには親と一緒に漁に出る。それがその村では当然のしきたり。
雪村先生もちらりと話してたけど、そんな風習が昔はあった。
で、もちろんその話は船にエンジンとかが付いてる時代じゃなくて、風に頼って帆を張って舵を取る時代。当たり前だが、天気予報だってない。
そんな時代だから天候の悪化やらなんやらで、そう遠くない沖合までにしかでなくても、船の転覆、沈没、遭難は珍しくない。
そして、そういう事態に陥って真っ先に犠牲になるのは当然、子供だ。
現代を生きる俺たちから見たら、この風習は子供を殺しにかかってるとしか思えないけど、その当時の人たちはその人たちなりに真剣だったのだろう。っていうか、そう思わないとやってらんねーよ。
そんな訳で、俺ならやる前に廃止する風習は長々続き、代わりに息子が帰ってくることを願った母親が、ある「おまじない」を生み出した。
それは、生まれた息子に肌身離さず自分のへその緒をお守りとして持たすこと。
母である自分と息子を繋いでいたへその緒を持たせれば、繋がりが消えず、たとえ船が沈んでも波に子供がさらわれても、きっと必ず息子は自分の元に帰ってくる。
そんな希望を懐いて、息子に母親たちは託した。
これが、先生が言ってた今でも残る風習の名残。
子供の無病息災を願ってという形で、今も残っているものだ。
……むごい話だけど当然、そんな母親たちが独自で作り出した「おまじない」で戻ってきた子どもなんていなかった。
船から落ちて、波にさらわれた子供が後日、死体でも浜辺に上がればいい方。
ほとんどの子供が、死体さえも母親の元に戻ってくることなんてなかった。
それでも、母親たちは持たせた。
女の立場が弱かった時代というのもあるんだろう。
危ないとわかっていても、漁に子供を連れていくことを反対できず、行かせなければならない母親にとってできること、そして縋ることは、それしかなかったんだ。
ここまでなら、どこにでもあるであろう昔話。
そしてここからが、ここにしかない、そしてこの町が村だった頃からの住人の子孫しか知らないであろう、「昔話」だ。
* * *
ある母親が、「息子が帰ってきた!」と泣きながら喜んで村中に話しまわった。
けれど村人は、誰もその母親の言葉を信じず、ついに気が狂ったと憐れんだ。
何故なら、彼女の子が海で行方知れずになったのは3年も前だったから。
しかし母親は毎日毎日、帰ってきた息子の話をする。
それが妄想の類にしてはあまりにも細やかな話だったため、もしかしたらどこかに流れ着いていた子供が本当に戻ってきたのではないかと、何人かの村人は思い始めた。
けれど、その戻ってきたはずの子供の姿を母親以外の村人が見たという証言はなく、母親に息子を見せろと言っても、「もう少ししたら見せられるから、それまで待ってくれ」と答える。
その答えを村人は不審に思うが、その母親は夫を亡くしてすぐに我が子まで喪い、それからずっと死人のように生き続けていたことを村人たちは知っていたので、妄想にしろ何にしろ生きる気力が出ただけ良いということにして、彼女の言い分を誰も否定せず静観し続けた。
けれど数日後、まだ日が昇り切っていない明け方に、その母親が子供の手を引いて浜辺を散歩しているのを村人が目撃する。
ただ、正確には「子供らしき人影」だった。
まだ暗かったため、顔どころか姿かたちもはっきりとは見えなかった。
だけど彼女が連れて歩くのなら自分の子供以外あり得ないだろうと思い、村人は他の村人にそのことを話した。
彼女の話は妄想などではなかった。本当に子供は帰ってきた。それならちゃんと祝ってやろうという話になって、村長や彼女の夫と親しかった漁師仲間の何人かが、母親の家を訪ねた。
母親は尋ねてきた男たちを満面の笑みで出迎えて、ようやく「見せられる」ようになった息子を、扉の陰に隠れていた息子の手を引いて、彼らに紹介した。
尋ねた男たちは、その「息子」の姿を見た瞬間、息をのんだそうだ。
当たり前だ。
全身が青紫色の肌。あり得ない程に膨らんだ体。口から発するのは泡とカラスの鳴き声のような奇声。
動く水死体としか言いようのない子供が、そこにいたのだから。
もちろん、男たちは悲鳴を上げてすぐにその場から逃げ出した。
逃げ出し、村長の家であれは何なのか、どうするべきなのかを話し合い、村長は自分の手には負えないと判断して、寺の住職に相談した。
住職さんは話を聞いてすぐに、母親は何処で知ったのかは完全に不明だが、息子恋しさのあまりに「反魂の術」という禁術に手を出して、本物の息子かどうか怪しい化け物を生み出したと気付き、すぐさまその母親の家に向かい、母親をその動く水死体と引き離して無理やり寺に連れ帰った。
……その子供は母親と引き離されるとき、特に強い抵抗をしなかったそうだけど、寺に連れ帰るまで奇声を発しながら母親の後についてきたらしい。
けれど寺に張られた結界の中には入れなかったらしく、そこで住職や村人たちはいったん安心するけれど、子供が側にいなくなったことで今度は母親が発狂。
住職さんが一体何をしたのか、あれは何なのかを尋ねても子供を返せとしか叫ばず、ついには押さえつけて言った村人を跳ね飛ばし、そのまま寺から飛び出して村人や神主が追った時には、結界の前にいたはずの子供ももういなかった。
その後、住職さんたちは母親の家に行ったけど、すでにもぬけの殻。
代わりにあったのは、至る所に張り付けられた訳の分からない札と、腐った残飯が部屋の隅に盛られだけだった。
その札と残飯があの水死体を生み出した儀式の残骸であることは、誰の目からも一目瞭然だった。
そこまでして息子を取り戻したかった、そしてあんな姿でも息子として愛す母親を憐れみ、敬いながらも、それでも人道に反したあの存在を放っておくことはできず、村人は一丸となって母親と子供を探したが、数日後に見つかったのは母親だけだった。
……浜辺に遺体となって打ち上げられた母親だけが、見つかった。
しかもその母親は体内を何かに食い破られていたのに関わらず、その死に顔は穏やかどころか幸せそうに笑っていた。
そして、ほとんど内臓が残されていない空っぽの腹部に唯一残っていたのは、ついさっき生まれた子供から切り取ったばかりのような、生々しいへその緒だったそうだ。
* * *
母親は見つかったけど水死体の子供が見つからなかったことで、村人は戦々恐々に日々を過ごしたが、一月ほどたっても何も起きず、あの子供の目撃証言もないことで、徐々に村人たちは安心と平穏を取戻した。
……しかし、その平穏はさらに一月たったあたりで脆く崩れ落ちた。
同じように「息子が帰ってきた」と言い出す母親が現れたからだ。
そしてその母親は、初めの母親と違い夫が存命であったので、村人は夫の方に事実かどうかを確かめた。
父親は心底驚いた顔で、「そんなの知らない!」と否定し、すぐさま妻を問い詰めた。
彼女は最初の母親と同じように満面の笑みで、実に幸せそうに屋根裏に隠していた子供を夫に見せた。
やはり、その子供は青紫色の肌にブクブクに膨らんだ体の、水死体だった。
今度は以前の倍以上の人数でその母親を押さえつけて子供を引き離し、母親は寺のお堂の中で一晩中閉じ込めて、お坊さんたち全員でお経を唱え続けたそうだ。
お経を唱えている間中、子供は母親を探すように寺の周り、結界の外をぐるぐると回り続けたけれど、夜が明けて朝が近づくにつれて、次第に歩くことを困難になったのか四足歩行になり、さらに時間が経つと手足の関節を大きく曲げて、蜘蛛のように地面を這い回った。
それは、猿が人に進化していく図を逆再生するようにどんどん水死体だったものは退化していって、手足を失って芋虫のような形態になって転がって、それからはどんどん干からびるように小さくしぼんでいき、最終的には干からびた紐らしきものしか残らなかった。
……へその緒だけを残して、消えた。
お経をあげて効果があるのか不安だった坊さんたちも、水死体が完全に消えて一安心したけど、実は何も解決はしてなかった。
お堂です巻きにして閉じ込めていた母親に、いったいどのような儀式であれを生み出したのかを尋ねようとしたが、母親は完全に正気を失い、何を話しかけても何も答えず何の反応もしない、生きた屍と化していたからだ。
分かったことは、やはりその家の屋根裏に初めの母親の家と同じ儀式を行った痕跡、……札と残飯が残されており、彼女たちは同じ儀式で息子を呼び戻そうとしたことだけ。
そしてこの「儀式」は、この村の「女」限定で広まってしまったということ。
……それから何度か、同じような母親が現れた。
みんな、戻ってくるのは本物の息子かどうかかもわからないほどに姿かたちが崩れた水死体だと知りながらも、母親たちはこっそり秘密裡で場所を作り、儀式を行い、息子を取り戻そうとした。
結果は二通り、初めの母親のように腹の中身を食い破られてつつも幸せそうに死ぬか、2番目の母親のように、寺の堂で一晩中お経を唱えられて、子が消滅して正気を失うか。
もちろん、村の男たちは女たちに「儀式」の方法などを問い詰め、行わないように説得したが、女たちは皆、口をそろえて「儀式の方法など知らない」としらを切り、子供を取り戻す儀式を守り抜き、実行し続けた。
子をどんな形でも取り戻そうとする母親の、狂気と化した愛情に恐れをなして風習を廃止したのは明治の初め。
皮肉なことに、士農工商が廃止される直前だったらしい。
その風習がなくなって、子供が海で亡くなることが少なくなって、ようやくあの「儀式」を行う母親は現れなくなった。
そのことに安堵して、誰も今更尋ねようとはしなかった。
「儀式」の方法を。
自分の妻がその「儀式」を知りつつ、知らないふりをしているという可能性から、目をそらし続けた。
そして、今もこの「儀式」は解明されていない。
解明されていないが、存在している。
だからこそ、俺たちはここにいる。
* * *
そして話は、現代に戻る。
正確には、3年前。
「カズラ」という少年が死んだ年。
百合子という母親が、狂気に呑まれたその日に、巻き戻る。