拾弐・少女は怪物と戦う者、少年は人としての楔
やっと顎に一発、拳を入れた。
蟲が邪魔だし、微妙に正気が残っている分慎重なところがあってなかなか気絶させられなかったけど、とりあえずこの人はこれでいい。
傍から見たらかすった程度の一撃だろうけど、脳を揺らすには十分。
カズラの父親は一瞬呆けた目をして膝をつき、そのまま受け身もとれずに倒れた。
よし、これでやっと蟲の殲滅と、「彼女」への警戒に集中できる。
私は木刀を握りなおして、目を向ける。
地面に座り込みながら、私を睨み付ける海の鬼子母神に……ではなく、彼女の聖域に。
海の家の2階、儀式を行っていた部屋を見る。
ソーキさんの無事を祈りながら。
* * *
「じゃまずるな!」
濁った水の声音が叫んで、後ろから飛びかかってきた。
叫びながら襲い掛かるなんて、本当にしゃべれるのに知性らしきものがない。何も言わなければ、気付かれなかった可能性があったのに。
まぁ、私にはどちらにしろ無意味だから、この私の考えも無意味。
声がするよりも先に私の耳は跳躍の音を捉えて振り返りざまに、木刀の一撃を蟲にお見舞いする。
蟲は木刀にジャストミート。そのまま壁にぶつかり、体液をまき散らして潰れて溶ける。
そんな汚い花火を鑑賞する趣味はないからすぐに体勢を整えるけど、蟲どもは私を取り囲みはしても襲い掛かってこない。
学習能力はないはずなので、何らかの考えがあってのことじゃない。ただ既に10匹以上がもう潰されているから、次の犠牲になりたくなくて尻込みしてるだけ。
「どおじで、じゃまをずる?」
水死体の顔が、そんなことを私に尋ねた。
ブクブクに浮腫んでいることを差し引いても、男か女か子供か老人かすらわからない顔。
それがもうこれは個人の霊ではなく、水死という以外の共通項がない塊である証明。
「よくないもの」が、口々に私に訊く。
「わだじだぢば、じにだぐないだげなのに」
「いぎがえりだいがけなのに」
「どおじで、わだじだぢはじななぎゃいげながっだの?」
死という不条理に対する怨嗟を、私に向ける。
……そんなことを言って私がためらうとでも、うろたえるとでも思っているの?
答えず無言で3匹ほどまとめて木刀で叩き潰せば、マイクがハウリングしたような不快極まりない絶叫を残して蟲は融解する。
もう数えるのが面倒くさいくらいに蟲を潰したはずなのに、わらわらとその辺を蠢いているのが見えて、頭が痛くなってくる。
本当に、数打てば当たる戦法で呼び出しまくってたようだけど、呼び出しすぎ。
「じゃまずるな」
「邪魔しないで!」
さっさと全部潰してソーキさんのところに行きたいのに、まだまだかかりそうでイラついてきたら、私以上にイラつき、怒り、憎悪する声が聞こえた。
濁った水底からの声と、何かにすがる母親の二重奏に私は答える。
「こちらのセリフ」
本当に、邪魔するな。どいつもこいつも。
あぁ、もう本当にイライラが治まらない。
ただでさえ蟲を見逃さないように、霊感をセーブするのをやめて普段見えないようにしてるものまで見えるわ聞こえるわ感じるわで頭が痛いのに、こいつらときたら……
もういい。ソーキさんの元に早く行きたいけど、ソーキさんがいないのなら遠慮なんかせずにぶっちゃけてしまおう。
どうもあの人は、「彼女」に対して私が同情していると思っているようだけど、ソーキさんには何か悪いけど違う。同情なんかしてない。
私は初めからずっと、イラついている。八つ当たりじみた感情を懐いてる。
私の本心を知られても、あの人は私に失望をしないと思っていることは多分、自惚れじゃない。
むしろ何故ソーキさんは、私のことを優しいと思ってくれているのかが嬉しいけど真剣に疑問。
だから、別にあの人の前で言っても良かったんだけど、やっぱり少しは猫被りたいも私の本心。
それは男の人が思うよりずっと単純な、ただの乙女心。
それくらい、私だって持ち合わせてる。
「何も見えてない、聞いてないくせに、何が『邪魔しないで』?」
言って、睨み付ける。
「彼女」の二つに分かれた一つの顔が、それぞれの表情を形作る。
どちらも怒りに顔を歪ませたけど、種類が違う。
私の言葉が理解できないけど、とにかく馬鹿にされてることだけは気付いて、中身もなくただ本能のままに怒る顔。
私の言葉を理解し、そして図星だからこその怒りと、その図星であることから目をそらすための理不尽な怒り。
前者は元々どうでもいいので無視しよう。
言いたいことがあるのは、私を苛立たせているのは後者。
母親の方だけ。
「どれが、自分の子かもわかっていないんでしょう?
自分の子が死んでないと主張しておきながら、呪法に頼ったのは何故? 本当は、自分の子供は死んだってことをわかっているんでしょう?」
「…………黙って」
半面の母は言う。
歯を噛みしめて、激痛に耐えるように、今にも泣き出しそうになりながら、その感情は怒りだと自分を騙して。
自分の罪悪感から、目の前の現実から目をそらして、耳を塞ぐために言う。
そして私はもちろん、そんな身勝手な要望を受ける義務なんてないから無視して言葉を続ける。
むしろ今までのストレス発散に、そっちが付き合え。
「あなたの現実逃避にソーキさんを巻き込まないで。あの人はあなたの息子、『カズラ』じゃない。
あなたの息子がどんな人だったかなんて知らないけど、あなたの息子はソーキさんの代わりになんかなりえないんだから、さっさと諦めて現実を直視して。
……関係ないソーキさんを傷つけないで!」
「だまれええぇぇぇぇぇっっっ!!」
私の要望と鬼子母神の咆哮が唱和する。
木刀を持った私と、素手の彼女が駆け出したのも同時だった。
* * *
半面の歪みがさらにひどくなる。
「よくないもの」に乗っ取られた方ではなく、「母」の顔が怒りと狂気で歪み、むしろもう片面はそれに戸惑っているようにさえ見える。
獣のように身を低くして右腕を振りかぶった彼女にもはや、人としての尊厳も面影もない。
けれど、彼女がこうなった理由、人としての何もかもを捨ててまでして戦う訳、人でなくなっても忘れられない絶望と怒り。
それらは、獣と人を隔てる最大のもの。
振るった腕を木刀で弾く。手首を狙って打ったので、良くて絶叫を上げる、悪くて気絶するぐらいの激痛が走るはずだけど、それをものともせずに彼女は左手で木刀を握り、そのまま握りつぶして折った。
「あんたに、あんたに何がわかるって言うのよ!!」
まさか握力だけで握りつぶされるとは思ってなかったので、そちらに一瞬気を取られた。
それは余りに、迂闊なこと。
獣の反応速度で痛みを無視した右腕が、私の首を掴む。
「あっ」
声になる前に気道がふさがれて、そのまま地面に叩き付けられる。
左手も私の首にかかり、体は馬乗りの体勢を取られる。最悪の体勢。
けれど、まだ大丈夫。
私の首は絞められているだけで、折られはしてない。
私は、首を絞められたまま見上げる。
鬼子母神の顔が見える。
怒りと狂気に満ちた瞳の中に、別のものがかすかに混ざっていた。
「あの子は、私の全てだった! あの子の為なら何でもできたし、何でもしてあげたかった!」
人をやめて鬼になっても、捨てられなかったものを彼女は叫ぶ。
「あの子の為なら、何だってする!
その為なら、誰だって犠牲にする! 何人死んだっていい! あの子が戻ってくるのなら! あの子が帰ってくるのなら!」
鬼女の叫びに同調するように、呼応するように、「よくないもの」の半面が嗤う。
生き残りの蟲どもが、私に群がる。
「ぞうだ」
「じね」
「じね」
「じんで、ぞのがだらをよごぜ」
「わだじのだめにじね」
他者を犠牲にして自分だけを優先する醜いその欲望は、鬼のもの。
だから、「よくないもの」にとって、彼女の中は居心地がよいのだろう。
溶け合うように、その身を、精神を乗っ取れるとお前らは思ったはず。
「母」の顔が、叫ぶ。
泣き叫んだ。
「あの子が帰ってくるんなら、私なんか死んでもいい!
あの子が幸せになるんだったら、どんな苦しいことも辛いことも痛い目にあったって耐えられた! あの子の為なら、私は何回だって死ねた!!
あの子が帰ってくるんなら、生きながら食い殺されたって笑っていられる! 何度でも私は殺されたっていい!
私の命なんかいらないから、あの子を返してよおおぉぉぉっっ!!」
乗っ取れたのは、半分。「鬼」の部分だけ。
もう片方は、お前らでは無理。
自らを真っ先に、犠牲にする。そのことを恐れず、誉れと思う。
「聖母」の領域を、お前らは侵せない。
お前らには、侵させはしない。
そこを侵すのは、私だ。
* * *
頭の中で、カチャリと錠前が外れる音がした。
最後のリミッターを外した音。
この場に着いた時から霊感をいつも以上に開放してたけど、まだ全開ではなかった。
これはそれを外した合図。
ただの、幻聴。
「■■■■■■■■■■■■■!!」
私の体に這いずり回る蟲と、鬼女に寄生した「よくないもの」が、完全に声ではなく耳障りは音としか認識できない絶叫を上げる。
焼けるような匂いがして、煙が上がる。
私に触れるものすべてが灼熱を持ち、蟲が蒸発、鬼子母神の手は焼ける。
私を躰を乗っ取れると思った?
なめるな。この躰はソーキさんとは真逆。彼岸から一番遠い場所にある。
普段封じているのは、悪霊もその辺の無害な浮遊霊も、他人の守護霊さえも触れたらもちろん、傍にいるだけで傷つけ、破壊して生まれ変わることさえできなくなってしまうかもしれないから、封じて制御してる。
蟲どもは慌てて逃げようとするけれど、調子に乗って群がっていたこいつらはすでに私の躰から離れても、効果範囲外まで遠ざかることはできない。
全て焼けるを通り越した灼熱で蒸発していく。
「よくないもの」は絶叫を上げ続け、顔も苦痛一色に染まっている。
逃げたい、離れたいと望んでいるけど、それはできない。
聖母はまだ、苦痛に顔を歪ませながらも、私の首を離さない。
わが子との再会を邪魔する、自分を否定する私を許さず、その手が灼熱に焼かれても離さない。
鬼女と聖母の両手を、私は掴む。
首にめり込む指を、渾身の力で引きはがしながら、彼女の手を焼きながら、手よりも力をこめて喉を震わせる。
「……聖人も……度が過ぎれば……毒でしかないのよ」
呼吸なんか今はどうでもいい。
言葉さえ伝わればいい。
蒸発する蟲も、絶叫する「よくないもの」も、お前らなんか眼中にない。
用があるのは、ずっとずっと気に入らなかったのはこの「聖母」だ。
「お前は……考えたことが……あるの? お前を……犠牲にして……蘇った子供が……その後……どう思うかを」
聖母の目が揺れた。
また一つ、目をそらしていたものを突き付けられて、それが目に入らない場所を探して揺れ動く。
逃がさない。
目を、そらさせはしない。
「お前を……母親を……犠牲にして……何とも思わない子供を……愛していたの? そんな……子供に……育てたの?
お前の……子供が……そんな……身勝手で……残酷なら……そいつに……生きる価値も……意味も……ない」
「黙れ黙れ黙れ黙れええぇぇぇっ!!」
私の抵抗をものともせず、鬼子母神の、我が子を喪った聖母の両手の力は増す。
首に再び指がめり込んで、私の言葉を潰す。
「……い……やだ」
潰させはしない。言ってやる。
「お前の……子供が……そうじゃ……ないのなら……。……母を……人並みに……愛して……いるのなら……」
お前にとって、我が子の生を否定されるよりも聞きたくない、目をそらしてたい可能性を紡ぎだす。
「……その子は……生き……返っても……喜ばない。……お前の……したことは……永遠の……傷に……なる」
聖母を殺す言葉を、私は吐いた。
「お前の犠牲は無意味だ」
* * *
『痛いの痛いの飛んでいけー。ママの所に飛んでこーい』
お母さんはいつも、そう言った。
私が怪我をしたときはもちろん、熱を出した時、悪夢を見て起きた時、悪霊から私を庇っている時、私が叱られて拗ねている時だって、そんなことを言っていた。
……死ぬ間際でさえ、言っていた。
血まみれで倒れ伏しているくせに、ほぼ無傷の私に言ったんだ。
……ふざけないで。
あなたの死に責任を感じないような無神経になんか、育ってない。
そんな風に私は、あなたに育てられていない。
何を言ったって、あなたの死は私にとって永遠の傷。
私だけの、誰にも奪わせない痛み。
その痛みを、勝手に持って行かないで。
傷を抉ってるくせに、痛みだけを持って行かせはしない。
お母さん。私はあなたが嫌いです。
聖人じみた、見返りを求めない愛で私を最期まで包み込んでいたあなたを、愛しているからこそ一生許せない。
「死」という残酷で逃れられない結末で終わるあなたとの、短くて、数少なくて、だからこそ何一つとして手放したくない愛しい思い出を、私から奪おうとしたあなたが
聖母が、大嫌い。
* * *
「だまれええぇぇぇぇぇっっっ!!」
聖母が叫ぶ。
蟲は全て、焼き尽くした。
鬼女に寄生した「よくないもの」も、たぶん放っておけばもう少しで焼き尽くされる。
でも、それで終わりじゃない。
蟲も「よくないもの」も、これらは彼女が生み出した一つの結果に過ぎない。
原因はまだ、そのまま丸ごと残っている。
「よくないもの」を焼き尽くしても、彼女は私の首を絞め続けるし、ソーキさんを自分の子供だと思い込んだまま。
我が子の幻想を、追い求め続ける。
それじゃ、ダメ。
それじゃ、私がここに来た意味がない。
あの人を、連れてきた意味がなくなってしまう。
カチャリとまた、音がする。
今度は錠前をかける音。
私は自分の霊感を閉ざした。
今ここで「よくないもの」を焼き尽くしてしまえば楽なんだけど、焼き尽くしたらダメ。
彼女の「鬼女」の部分に寄生した「よくないもの」を完全に消滅させてしまえば、それは彼女の魂の一部を壊すという事。
半身が残っているとはいえ、確実に精神に多大な後遺症を残す。
昔話の結末とそう変わらない結末にしかならない。
そうなれば、あの人は悲しむ。
だから、ダメ。
私はあの人のように、心から誰かのために何かができる人間じゃない。
これはただ、あの人に恥じない人間でありたいからという身勝手な意地。
怪物と戦うことも、怪物になることも怖くはないけど、あの人が悲しむのが一番嫌だから、あの人に失望されたくないから。
だから、しない。それだけの事。
あなたなんて、母親なんて、聖母なんて大嫌いだけど……
自分を焼く熱が引いたことで、「よくないもの」に支配された片面が、私を見下ろし、嘲笑いながら、首にかける指の力を増す。
純粋に腕力だけで私は抵抗を続ける。
あの人が、悲劇の結末を望まなかったから。
誰もが笑って終わる、カーテンコールを望んだから。
時間を、稼がなくちゃいけない。
もう少し、もう少しだけだから、死ぬのはもちろん、気絶だってできない。
私にはしなくちゃいけないことがあるのだから。
母親の顔は、泣いている。
もはや自分が何をしたいのか、何処に行きたいのかすらわからなくなって、けれど今更やめることはできなくて、後悔にまみれながら泣いている。
大きく二分された顔と心。
もう少し、あと一つ、何らかのきっかけさえあれば、完全に別れることが出来るはず。
「よくないもの」と母親を、引き離せる。
あの人が望んだ結末を、迎えられるはず。
だから早く、早く来て。
『……あー、羽柴。ありがとう。いつものことだけど、マジで迷惑をかけてごめんな』
いつだって、助けてもらえるのが当たり前だなんて思わず、私に感謝しながら自責する尊い人。
『お前は何も悪くない。絶対に悪くなんかない!!』
何もできなかった私に失望せず、ただ泣きじゃくるしか出来なかった私をずっと励まして、慰めてくれた優しい人。
『お前は大丈夫なのか!? あんなもん潰して!』
悪霊に取り憑かれて、精神を追い詰められて人を信じられなくなっていたのに、その悪霊を潰した私を真っ先に心配してくれた人。
普通の女の子なんかじゃないと理解しているのに、いつだって私を「普通の女の子」のように扱ってくれる、大好きな私の王子さま。
……ソーキさん。
* * *
「羽柴/お母さん!!」
奇妙な二重の声が聞こえた。




