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傭兵と彼女  作者: 七夕
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 既婚者であることを示す耳飾が耳元で音を立てて揺れる。

 すらりと背の高い男の手には白い花束があった。リボンの色は黄色。彼女が白の次に好きだった色だ。


 空はよく晴れている。戦の火で出来た煙の雲はひとつもない。

 穏やかな風が時折吹き抜ける中、男は足を進める。





 ***





 戦争は終わった。


 要した月日は五年。犠牲者は約七千万人と言われているが、はたしてその情報が正しいかは定かではない。もっと多く、もっと少ないかもしれない。しかし、失われた命は少なくないということだけは誰でもわかった。

 悲しみに暮れる者。怒りに震える者。

 帝国を恨む者。復讐を誓う者。

 平和を、願う者――。

 人々の心境は様々であり、それが何かの形になったり、胸の内に仕舞いこまれたり。それもまた様々だった。


 きっかけは停戦協定である。互いの身を削り合い続けた結果、互いに国力が低下してしまった。そんな二国を、また別の国が狙い始めたのだ。弱りきったところを攻め入り、手にしてしまおうと目論む国の数は少なくなかった。

 危機を感じた両国は停戦協定を結した。それから武力行使から対話交渉へと移り変わり、昨年、とうとう和平条約を結ぶに至った。事実上の終戦である。

 人々は皆涙した。

 それが喜びの涙なのか、悲しみのものなのか、別の何かなのか。恐らくは永遠にはっきりしない。


 ただ、死者の名が刻み込まれた墓石の山には、その繋がり等関係なく、多くの花が手向けられた。





 ***




 墓地へ訪れる人の並みに紛れて歩を進める。自分と同じように一人の者、連れが居る者。この場所を訪れる人々の姿は様々だった。

 街から少し離れた比較的静かな土地にあるこの墓地は、人気は少ないがよく手入れが施されている。管理人は昔からの知り合いで、彼の人柄を思えば納得がいく。出会った頃から細やかなところに目が届く、人柄の良い男だった。元気でやっているのだろうと、なんとなく察した。


 目的の場所は入り口を入って少し歩き、角を曲がって奥に進んだところにある。急ぐわけでもなく、ゆったりと、静かにそこへ向かう。

 やがて見えてきた一つの墓石に歩み寄り、目の前で足を止める。


 小さな石だ。

 しかしそこに刻まれる名は彼にとっての大きな存在だった。――今となっては、もういない。

 膝を着き、花を添える。それから、置いてある箱を開けて中身を確認する。日の光を浴びてきらりと光沢を放つそれの姿を認めると、答えるように彼の耳元のそれも輝きを放った。呼応するかのようなこの現象は、不思議なことに毎年起きているのだ。

 既婚者を示す耳飾。生前の彼女に渡せなかったものだ。


 今日は、彼女が亡くなってから三回目の命日である。



 ――最愛の人を亡くしてから三年。

 その間のクラウディオといったら酷いものだったと、友である彼は後に語った。

「まるで亡霊だ。生きてるようには見えなかった」

 彼の言葉通りである。彼女を失った衝撃がどこまでも彼の心を蝕んだ。何のために生きればいいのかと絶望する毎日。帰る場所を、希望を、大切な存在を失い、彼の心は荒れに荒れた。悲しみや苦しみを振り払おうと剣を振う姿は鬼神のごとく恐ろしかった。一時期は我を忘れ、敵味方関係なく剣を振るった事もあった。そんな自分も信じられなくて、いっそのこと一思いに死んでしまおうかと思ったこともあった。

 でも、彼は死ねなかった。

 彼女の遺言が、彼の命をこの世に縛り付け、何ものからも守ったのだ。

 最期の願いを聞いて欲しいと言わんばかりの、息絶え絶えに口にした彼女との約束を、彼には破る事が出来なかった。それだけ彼女の事を、誰よりも愛していたから。



(――いい天気だ)

 木の枝に留まる小鳥の鳴き声が聞こえた。

 穏やかな空気が流れていく。


 惨い戦の空気はどこにも見当たらない。

 それだけの月日が経ったのだと実感する。


 彼女が、死んでから。それだけの月日が――。




 ***





「あの」

 幼い声が聞こえた。

「あの」

 再度聞こえた声に反射的に振り向くと、三、四歩程離れたところに一人の少女が佇んでいた。

 水色のワンピースが風ではためくのと一緒に、幼子特有の柔らかな黒髪も揺れ動く。小さな腕の中に抱えた白い花は、店に売っている様なものではなく、どこかの野で詰んできた様なものだった。その証拠に小さな手には泥がついている。

「お花。置いても、いいですか?」

 首を傾げながら尋ねてくる少女に、断る理由もないので「ああ」と短く頷いてその場から退く。クラウディオが居た場所に少女が入れ替わりでやってきて、クラウディオの持ってきた花束と、耳飾の入った箱を挟むようにして野の花をそっと置いた。そしてぺこりとお辞儀する。

 ――どこかで見かけた事がある。

 クラウディオは直感的にそう思った。少し離れたところで少女の姿をじっと観察するが、頭に引っかかるものがあるものの、もう一息思い出せない何かがある。必死に頭の中で記憶を巡らせていると、大きな瞳と視線が重なった。

 澄んだ瞳。

 その色が、記憶のものと重なった瞬間。

「ウィズ?」

 クラウディオは咄嗟に、その名を口に出していた。

 少女の目が、大きく見開かれる。


「あの、『ウィズ』は、お母さんの名前です。このお墓の、人の」

 戸惑いながら一生懸命答える少女の言葉を聞いて、クラウディオは言葉を失った。


「お母さんの、おともだち、ですか?」



 ――信じられない事が目の前で起きている。三年前のあの時も、同じように思った。

 でも、今この瞬間は、それとは全く別物だ。あの時のように悲しみと苦しみに満ちたものでは決してないのだ。沸き上がるこの感情が、心臓の鼓動を湧き立てていく。

 風が吹いた。

 強くて優しい風。

 花びらが舞い上がり、抜ける様な青空へと飛んでいく。

 彼女を亡くしてからずっと色を失っていたクラウディオの世界に、一気に色が戻っていく。


 亡くなる直前に愛と約束を口にする、その前に。ウィステリアが口にした言葉がある。

 それが一体何を指しているのかクラウディオには全く分からなかった。どんなに彼女の事を調べても、結局わかるのはそれが花の名前であるということだけだ。虹の下に咲く神の花との言い伝えも残されているその花言葉は「愛」、「優しい心」、「あなたを大切にします」、「私は賭けてみる」等である。もう覚えてしまうほどに調べこんだ。彼女が何を伝えたかったのか、知りたくて。

 今になって、ようやっとその意味がわかった。


「君が、アイリス?」


 問いかければ少女は驚きながらも頷いた。何故自分の名前を知っているのかわからないと、その表情が物語っている。首を傾げ不思議そうに覗き込む瞳は彼女と同じものだった。それを思うと、視界がじわりと滲んだ。

 懐かしいと感じた自らの心に、彼女が残した尊い命を実感して目の奥が熱くなる。

「一言くらい言ってくれたって、よかったんじゃないのか」

 胸が一杯になって、思わず墓石に向かって文句を呟いた。墓石は当然返事を返さない。でも、彼女がしてやったりと微笑んでいる気がして、もうそれで充分だと思った。


「はじめまして。俺はクラウディオ」

 その場にしゃがんで視線の高さを合わせる。見れば見るほど、少女は彼女にそっくりだった。どうしようもなく、愛しさが溢れだす。

「君の、父親だ」

 この少女は、紛れもなく自分と彼女の子なのだ。


 気付けば、何ものからも護るように、しかしどこか縋るように、クラウディオは少女を抱き締めた。

「ずっと逢いたかった」

 花の名を持つ、愛しい我がに。



 クラウディオは妻を亡くしてから、初めて声を上げて泣いた。


 守らなければと、強く思った。





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