第9話「迎えの使者」
村の暮らしが始まって、一月半が経った。
私の日常はすっかり定まっていた。
朝は畑仕事、昼は薬草と薬作り、夕方は村の子どもたちに文字を教え、夜はコハクと一緒に結界の巡回。
ハヤテは相変わらず寡黙だが、夜の巡回にはさりげなく同行してくれる。
「最近、妖怪の出現が減ったな」
その夜も、二人で村の外周を歩いていた。
コハクは私の頭の上に乗って、見張り台のつもりらしい。
「結界を強化したからだと思います。村の周りの瘴気も薄くなりましたし」
「一月半でここまで変わるか。お前が来る前は、週に二、三度は妖怪被害があった」
「えっ、そんなに……」
「タエさんは言わなかっただろうが、この村はずっと妖怪に悩まされていた。お前が来てから、この村は初めて安心して眠れるようになったんだ」
知らなかった。
私はただ、自分にできることをしていただけなのに。
「……私は、ここに居場所をもらっただけです」
「もらった以上のものを返している。胸を張れ」
ハヤテの声は素っ気ないが、言葉は温かい。
この人のそういうところに、少しずつ──。
「きゅう!」
コハクが突然、毛を逆立てた。
同時に、ハヤテの手が太刀の柄に触れる。
村の入り口の方角から、複数の気配。
妖怪ではない。人間だ。
「……騎馬が三騎。武装している」
ハヤテが低く呟いた。
こんな山奥に、武装した騎馬が来ることは普通ありえない。
松明の灯りが近づいてくる。
先頭の騎馬が、村の入り口で止まった。
「退魔師団の使者である! この村にツムギという女がいるはずだ!」
退魔師団。
その名を聞いた瞬間、胃の奥がぎゅっと縮まった。
「……来たか」
ハヤテが私の横に立った。壁のように。
「出なくていい。追い返す」
「……ありがとう。でも、大丈夫。話だけは聞きます」
村の入り口に出ると、三人の退魔師が馬を降りて待っていた。
先頭の男に見覚えがある。退魔師団の連絡係だ。
「ツムギ殿。お探ししました」
「……お久しぶりです。こんな山奥まで、何の御用ですか」
「カガリ副団長からの伝言です。王都に戻っていただきたい」
一瞬、耳を疑った。
「……戻る? 私を追放したのは、カガリ副団長ですけど」
「は、はい。その……事情が変わりまして」
使者は気まずそうに目を逸らした。
「王都の結界が崩壊しかけています。封印陣の維持もできなくなり、妖怪被害が深刻に──」
「それは、マニュアルに書いた手順で対処できるはずですが」
「マニュアル通りにやっているのですが、上手くいかず……特に地下の大封印陣が──」
大封印陣。
九尾の封印のことだ。
「あの封印に気づいたんですか」
「カガリ副団長が発見しました。亀裂が広がっていて、応急処置でも食い止められない状態です」
血の気が引いた。
封印は遠隔で維持しているが、物理的な亀裂は遠隔では修繕できない。
私が直接、封印陣の前で修繕しなければ──。
「玉藻さま」
心の中で呼びかける。
『──聞いておるよ、小娘』
玉藻さまの声は、いつになく穏やかだった。
『封印は保つ。わしが内側から押さえている。だから、焦るな』
「玉藻さまが……押さえている?」
『三百年も入っておれば、封印の構造くらいわかる。完全には止められんが、時間は稼いでやれる』
「……ありがとうございます」
『礼はいらぬ。お前を困らせる連中は、少しばかり怖い目に遭えばいいと思っておるだけだ』
玉藻さまなりの優しさだった。
使者に向き直る。
「状況は理解しました。ですが、すぐには戻れません」
「そんな! 王都は一刻を争う状況なのです!」
「私もこの村を守る仕事があります。それに──」
一度追い出した人間を、都合が悪くなったから呼び戻す。
その傲慢さに、怒りを覚えないと言えば嘘になる。
「カガリ副団長は、なんとおっしゃっていましたか」
使者が口ごもった。
「……『ツムギを連れ戻せ』と」
連れ戻せ。
呼び戻してほしい、ではなく。助けてほしい、でもなく。
連れ戻せ。まだ自分が上の立場だと思っている物言いだ。
「お断りします」
はっきりと言った。
「私は自主退団勧告を受けて退魔師団を辞めました。もう退魔師団の人間ではありません。命令に従う義理はありません」
使者たちが顔を見合わせた。
「ツムギ殿、しかし王都の民が──」
「民を守るのは退魔師団の仕事です。私の仕事は、この村を守ることです」
言い切ってから、胸の奥がちくりと痛んだ。
王都の人々のことを思うと、見捨てるような真似はしたくない。
でも──。
「ツムギ」
ハヤテが、静かに声をかけた。
「本当のことを言え」
……かなわないな、この人には。
「……本当は、行かなきゃいけないって思ってます」
小さく吐き出した言葉に、使者たちの目が輝いた。
「でも、この村を守る人がいなくなるのも──」
「村は俺が守る」
ハヤテが迷いなく言い切った。
「お前がいない間、この村は俺が命に代えても守る。だから──行きたいなら行け」
月明かりの下で、ハヤテの目はまっすぐだった。
この人は本気だ。いつだって本気だ。
「きゅう」
コハクが、私の頬をぺろりと舐めた。
行ってこい、と言っているように見えた。
「……少し、考えさせてください」
使者たちにそう告げて、私は家に戻った。
答えは、もう出ていたけれど。




