第7話「颯という男」
山の主の一件から数日後。
村はすっかり平穏を取り戻していた。
私はあの日のことを「まぐれです」と誤魔化したが、タエさんは「はいはい」と笑っただけで、村人たちは「ツムギちゃんがいるから安心だ」と言ってくれるようになった。
誤魔化せていない気がするが、深く追及されないのがこの村のいいところだ。
その日の夕方、私は村はずれの川で薬草を洗っていた。
コハクは岸辺で蝶を追いかけて遊んでいる。
「隣、いいか」
ハヤテが、ふらりと現れた。
いつものように気配がない。この人は本当に、存在を消すのが上手い。
「どうぞ」
ハヤテは私の隣に腰を下ろして、川の流れをぼんやりと見つめた。
しばらく無言の時間が流れる。心地よい沈黙だった。
「……あの日のこと」
先に口を開いたのは、ハヤテだった。
「俺が〈鎮めの一族〉を知っていた理由、話しておきたい」
私は薬草を洗う手を止めた。
「俺は三年前まで、王都の鬼狩り衆で隊長をやっていた」
──鬼狩り衆。
退魔師団と双璧を成す、王都直属の妖怪討伐部隊。退魔師団が術を使うのに対し、鬼狩り衆は剣と体術で妖怪を狩る武闘派集団だ。
「隊長、だったんですか」
「ああ。それなりに名の通った隊だった。──あの事件が起きるまでは」
ハヤテの横顔が、夕日に照らされて影を落とす。
「三年前、王都の北で大妖が出た。退魔師団との合同討伐だった。俺たちは先陣を切って突入したが──情報が間違っていた」
声に、微かな震えがあった。
「大妖の力は報告の三倍。罠のような地形に誘い込まれて、隊の半数が一晩で命を落とした」
私は何も言えなかった。
「生き残ったのは俺を含めて四人。そのうち二人は重傷で、退魔師団の応援が来るまでの間、俺はただ──仲間が死んでいくのを見ていることしかできなかった」
川の流れる音だけが、二人の間を満たしている。
「応援が来て大妖は討伐されたが、俺の中で何かが折れた。隊長として仲間を守れなかった。責任を取って鬼狩り衆を辞め、王都を出た」
ハヤテは一度、深く息を吐いた。
「各地を放浪して、この村に辿り着いた。タエさんに拾ってもらって、用心棒として居着いた。──それが、俺の話だ」
「……聞かせてくれて、ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。お前に隠し事を暴かれたような気がしたから、公平にしたかっただけだ」
不器用な人だと思った。
隠し事を暴いたつもりはないけれど、ハヤテなりのバランスの取り方なのだろう。
「ハヤテ」
「ん」
「鬼狩り衆にいた頃、〈鎮めの一族〉の記録を読んだって言いましたよね。どんな記録だったんですか?」
ハヤテは少し考えてから答えた。
「鬼狩り衆の古い文献だ。三百年前、この国を滅ぼしかけた大妖──九尾の厄災を封じた一族がいたと書かれていた。〈鎮めの一族〉は代々、命を削って封印を維持し続けている。一族の人間は常に霊力の大半を封印に捧げているため、普段は力のない人間にしか見えない──と」
全部、知っているのだ。
この人には、もう隠しようがない。
「……ハヤテは、怖くないんですか?」
「何が?」
「九尾の厄災を封じている人間が、すぐそばにいること。封印が解けたら、国が滅ぶかもしれないのに」
ハヤテは静かに首を振った。
「怖くない。お前がどれだけの覚悟でそれを背負っているか、見ればわかる」
目の奥が、じんと熱くなった。
「それに、お前の封印の腕は確かだ。山の主を鎮めたときの術は、見事だった。あの精密な制御ができる人間を、俺は他に知らない」
褒められ慣れていないせいで、どう反応していいかわからなかった。
顔が熱い。夕日のせいだと思いたい。
「あ、ありがとうございます……」
「……で、訊かなくてもいいか」
「はい?」
「王都を追い出されたんだろう。封印を維持している人間を、追い出した連中がいる」
追い出された、という直接的な言い方に、少しだけ笑ってしまった。
「追放されました。退魔力十二の雑用係は不要だって」
「退魔力十二──霊力の七割を封印に回していたら、そうなるな」
「はい。でも、それを説明するわけにはいかなかったので」
「……そうか」
ハヤテの拳が、膝の上でぎゅっと握られた。
怒ってくれているのだと、わかった。
「ハヤテ」
「ん」
「私のこと、知ってくれてる人がいるだけで、少し楽になりました」
ハヤテは何も言わなかった。
ただ、握り締めていた拳をゆっくり開いて、川の流れに目を戻した。
「……風が冷えてきた。そろそろ戻るぞ」
「はい」
二人並んで村への道を歩いた。
コハクは私の肩の上で、満足そうに尻尾を揺らしている。
「きゅう」
「……なに、その得意げな顔」
「きゅう」
コハクが何を言いたいのかは、わからないふりをしておいた。




