第10話「私の戦う理由」
眠れない夜だった。
布団の上でコハクを抱きしめながら、天井を見つめている。
王都に戻るべきか。このまま村にいるべきか。
頭では答えが出ている。九尾の封印が崩壊すれば、この国は滅ぶ。村だって無事ではいられない。
行かなければならない。
でも、心が追いつかない。
八年間、ずっと一人で封印を守ってきた。
誰にも気づかれず、感謝もされず、最後には追い出された。
それでもまた同じ場所に戻って、同じことをするのか。
『──小娘。眠れぬのか』
玉藻さまの声が、念話で届いた。
「……起こしてしまいましたか」
『わしは三百年眠っておる。少しくらい起きてもどうということはない』
玉藻さまの軽口に、少しだけ笑えた。
『迷っておるのだろう。王都に戻るかどうか』
「はい」
『ならば、ひとつ聞かせてやろう。お前の祖母──先代の鎮めの巫女の話だ』
祖母。私が五歳のときに亡くなった、先代の封印管理者。
『あの女もお前と同じだった。誰にも知られず、一人で封印を維持し続けた。国中が平和を享受する中で、たった一人、命を削ってな』
「祖母は……辛くなかったんですか」
『辛くなかったわけがなかろう。だが、あの女はこう言っておった──「誰かが気づいてくれなくても、私が守ったという事実は消えない。それだけで十分です」と』
──ああ。
祖母もまた、同じ言葉を抱えて生きていたのか。
『だがな、小娘。わしはあの女の言葉に、ひとつだけ反論したことがある』
「反論?」
『十分ではない、と言った。誰にも気づかれぬ献身など、十分であるものか。お前たちはもっと報われるべきだ。わしを封じる者として、ではなく──一人の人間として』
玉藻さまの声が、ほんの少し震えていた。
『小娘。お前は王都に戻りたいのではない。戻らなければならないと思っているだけだ。違うか?』
「……違わないです」
『ならば、こう考えろ。誰のために戻るのか、を』
誰のために。
退魔師団のため? カガリのため? 王都の民のため?
──違う。
「……玉藻さまのため、です」
『ほう?』
「封印が崩壊したら、玉藻さまは三百年前と同じように、大妖として討伐されるかもしれない。そうなったら──玉藻さまが傷つく。それは嫌です」
沈黙が流れた。
長い、長い沈黙。
『……まったく。歴代の鎮めの巫女の中で、封じている妖を心配する馬鹿はお前だけだぞ』
玉藻さまの声は、怒っているようで、笑っているようで、泣いているようだった。
『好きにしろ、小娘。お前が何を選んでも、わしはお前の味方だ』
「ありがとうございます、玉藻さま」
『……ふん』
念話が途切れた。
胸の中の靄が、すっと晴れた。
理由がはっきりした。
王都に戻るのは、退魔師団に頭を下げるためじゃない。
玉藻さまを守るためだ。
翌朝、私はタエさんの家を訪ねた。
「タエさん。私、王都に行かなくてはなりません」
「そうかい。行っておいで」
あまりにもあっさりとした返事に、面食らった。
「あの……引き止めないんですか」
「引き止めてどうするんだい。あんたの目を見ればわかるよ、もう決めた顔してるじゃないか」
タエさんは、いつものように味噌汁を出してくれた。
「ただし、条件がひとつ」
「条件?」
「ちゃんと帰っておいで。ここはあんたの家なんだからね」
──帰っておいで。
その一言で、涙が溢れた。
「は……はい。必ず帰ります」
「泣くんじゃないよ、まったく。味噌汁が塩辛くなるだろう」
タエさんは笑いながら、私の頭をぽんぽんと叩いてくれた。
村の入り口で、ハヤテが待っていた。
旅支度を整えて、腰には太刀を差している。
「ハヤテ、あなた──」
「一緒に行く」
「え? でも村の守りは──」
「タエさんに頼んだ。結界はお前が強化してくれたから、しばらくは持つ」
「でも──」
「一人で行かせるつもりはない」
有無を言わさぬ声だった。
反論しようとして──やめた。
正直に言えば、心強い。一人で王都に乗り込むのは不安だった。
「……ありがとう」
「礼は後でいい。行くぞ」
コハクが私の肩に飛び乗った。当然のような顔で、旅支度完了の態だ。
「コハクも来るの?」
「きゅう!」
力強い返事だった。
三人と一匹で、王都への道を歩き始めた。
振り返ると、タエさんが手を振っていた。
村人たちも、みんな。
「いってらっしゃい、ツムギちゃん!」
「気をつけてね!」
「待ってるからね!」
この村に来て、はじめて「いってらっしゃい」を言ってもらえた。
帰る場所がある旅は、こんなにも心が軽いものなのか。
「──行ってきます」
今度は、ちゃんと帰ってくる。
私の居場所に。




