第1話「雑用係の退魔師」
宮廷退魔師団の朝は早い。
夜明けと共に霊脈が活性化するこの国では、妖気の残滓が朝露のように大地に降りる。それを払い清めるのが退魔師の最初の仕事だ。
──もっとも、その仕事をしているのは私だけなのだけれど。
「ツムギ、東の結界に綻びが出てる。直しておいて」
「はい」
「あと、南の封印陣の定期補修もよろしく」
「わかりました」
「それから地下霊脈の巡回点検、今日中にね」
「……承知しました」
次から次へと指示を出してくるのは、同期のヒイラギだ。
彼は私の顔を見もせずに巻物を押しつけると、欠伸をしながら詰所の奥へと消えていった。
手元に残された巻物は三本。どれも一日がかりの仕事だ。
それを一日で全部やれというのだから、なかなかに無茶な話だと思う。
でも、言っても仕方がない。
「大丈夫。慣れてますから」
誰に言うでもなく呟いて、私は巻物を抱えて詰所を出た。
私の名前はツムギ。宮廷退魔師団に所属する、封印管理係だ。
肩書きだけ聞けば重要な役職に思えるかもしれないが、団内での扱いは『雑用係』である。
結界の修繕、封印陣の補修、霊脈の調整、瘴気溜まりの浄化。
どれも地味で、目に見える成果がなくて、誰からも感謝されない仕事ばかり。
退魔師団で花形とされるのは、妖怪を直接討伐する『退魔術師』たちだ。
派手な術を使い、大妖を打ち倒し、民衆の喝采を浴びる。
それに比べて、封印管理係は──。
「おい、雑用係。廊下の浄化、まだ終わってないぞ」
「すみません、今日中にやります」
「今日中じゃ遅い。さっさとやれ」
すれ違いざまに嫌味を言ってきたのは、サカキだ。退魔術の腕は中の上だが、態度だけは一人前以上に大きい。
私は頭を下げて、足早にその場を離れた。
悔しくないと言えば嘘になる。
でも、仕方がないのだ。
私が本当は何をしているか、彼らは知らない。知る必要もない。
知らないまま、平穏に暮らしてくれるのが一番いい。
東の結界に辿り着き、私は地面に手をついた。
結界の綻びは確かにあった。ほんの小さな亀裂だが、放置すれば妖気が漏れ出す。
指先から霊力を流し込み、丁寧に修繕していく。
──ついでに、もうひとつの仕事も。
結界の奥、誰にも見えない深い深い場所に、巨大な封印陣がある。
私の祖母が、その祖母が、そのまた祖母が──代々命を削って維持してきた封印。
〈九尾の厄災〉を鎮める、鎮めの一族の大封印。
封印に触れると、いつものようにぞわりと禍々しい気配が返ってきた。
『──小娘。今日も来たか』
封印の向こうから、低く、艶やかな声が響く。
九尾の大妖狐、玉藻。三百年前にこの国を滅ぼしかけた災厄そのもの。
その声を聞けるのは、鎮めの一族である私だけだ。
「おはようございます、玉藻さま。今日もご機嫌麗しゅう」
『……ふん。その減らず口だけは歴代随一だな、小娘』
玉藻さまは三百年もの間、この封印の中に閉じ込められている。
毎日のご機嫌伺いは、私の最も重要な──そして誰にも知られてはならない仕事だ。
封印を維持するには膨大な霊力が必要になる。
正確に言えば、私の霊力の七割は常にこの封印に注ぎ込まれている。
残りの三割で日常の仕事をこなしているのだから、退魔術が弱いのは当然だった。
でも、それを説明するわけにはいかない。
封印の存在を知る者が増えれば、玉藻さまの封印を悪用しようとする者が必ず現れる。
だから私は黙って、雑用係として生きている。
『封印の調子はどうだ』
「安定しています。今日も綻びはありません」
『そうか。──小娘、お前また痩せたな』
「……気のせいです」
『嘘をつくな。霊力が削れておるのは、こちらからでもわかる』
玉藻さまは、なんだかんだで優しい。
三百年の幽閉で丸くなったのか、それとも元々こういう性格なのか。
少なくとも私に対しては、団の誰よりもずっと気を遣ってくれる。
「大丈夫です。慣れてますから」
『……その口癖、やめろ。慣れていいことと、慣れてはならぬことがある』
返す言葉がなくて、私は小さく笑った。
封印の補修を終えて詰所に戻ると、妙にざわついていた。
廊下を歩く退魔師たちの表情が明るい。何かいいことがあったらしい。
「聞いた? カガリさまが副団長に就任するって」
「まじか! あの〈紅蓮の退魔師〉が?」
「これで退魔師団も変わるな。実力主義になるって話だぜ」
カガリ──篝。
炎の退魔術を操る若き天才。大妖を単騎で焼き尽くしたという武勲から、〈紅蓮の退魔師〉と呼ばれている。
私より一つ年上で、退魔師としての実力は本物だ。
ただ──。
「実力主義、か」
嫌な予感がした。
カガリさまの言う「実力」は、目に見える派手な戦果のことだ。
結界の修繕や封印の維持なんて、彼女の目には映らないだろう。
その予感は、三日後に現実のものとなった。




