表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/28

7 「もっと教えて」

 サンゴの海を抜けて、ペンギンのコーナーに着く。


「コウテイペンギンだって」


 水槽の奥で毛繕いをする、大きなペンギンを指差した。リョウちゃんは「大きいね」と言いつつ、ずっと僕を見ている。

 ちょっと気まずくなって、視線をそらした。


「ペンギン、見たら?」

「見てるよ」


 うそだ……。僕もリョウちゃんが気になって、ちらちらとそちらを見てしまう。ついでに、周りの視線が、リョウちゃんへ向いているのにも気づいてしまった。

 女の子たちが、ちょっと熱っぽい目で、リョウちゃんを見ている気がする。

 それになんでか、ムカムカした。僕はこれみよがしにリョウちゃんの近くへ寄って、僕のだぞと言わんばかりにくっついた。


「うお」


 リョウちゃんが変な声を出す。僕は慌てて離れて、「ごめん」と謝った。


「いやだった?」

「ん、いや……もっとしてくれていいよ」


 優しい。でも、さっきのは、マナー違反だったと思う。いきなりくっつくなんて、はしたないっていうか、距離感がおかしいっていうか。

 僕はちょっとだけ距離をとった。手を離そうと思ったけど、がっちり掴まれてほどけそうにない。

 戸惑って見上げると、リョウちゃんは、優しく僕の手を引っ張った。


「小さかった頃、こうやって手を繋いだことがあったよね」


 そう言われてふと、何か懐かしいものが、胸の底から込み上げてきた。

 僕は昔に……小学生の頃、ここを、リョウちゃんと二人きりで、歩いたことがあるはず。手を繋ぎながら、大人だらけの人混みをかき分けて。

 その時のぼんやりとした不安が、不意に蘇った。


「ねえ、リョウちゃん。小学生の頃、ここへ一緒に来たことなかった?」


 リョウちゃんを見上げる。あの時、僕はリョウちゃんと手を繋いで、この薄暗い館内の人混みを、歩いたはずだ。

 でも、いつの時だったんだろう。

 リョウちゃんは、僕を見下ろして微笑む。そのとろけるほどの優しい表情に、僕は思わず、言葉を失った。


「そうだよ。俺の、大事な思い出」


 その言葉に、僕は大切な出来事を忘れているんだと確信した。

 こんな顔をするくらい、リョウちゃんが大切にしている僕との思い出だ。だったら、きっと僕も、覚えていなくちゃいけないのに。

 黙り込む僕の手を、リョウちゃんは握り直す。


「いいんだよ、ハルくん。覚えてないハルくんが、俺は好きだ」


 その笑顔に、僕は胸がきゅうと苦しくなった。だけど嫌な感じじゃなくて、こんなのはおかしい。そもそも「好き」だって、きっと友達としての好きなんだ。勘違いしてはいけない。

 たまらなくなって、リョウちゃんの手を引いた。


「行こう、リョウちゃん」

「うん」


 リョウちゃんは、満面の笑みで頷く。僕は一体、その時、どんなことをしたんだろう。どきどきしながら、順路を進んだ。

 深海魚を横目に、僕はぼんやり、リョウちゃんの横顔を見上げる。今度はリョウちゃんが僕を引っ張って、あれこれ「見て」と促した。


「不思議な形だね」


 おどろおどろしい、古い潜水服の展示。おお、と声をあげると、リョウちゃんは目をうっとり細めて僕を見た。


「楽しいな」

「え、……そう?」

「うん。ハルくんとデートできて、嬉しいし、楽しい」


 これが、恋を教える姿。はっと我に帰って、僕はリョウちゃんを見上げた。どぎまぎしてしまって、なんとか頷くことしかできない。

 この「デート」は、僕がリョウちゃんに、恋を教えてもらうためのものだ。それを忘れるくらい楽しいのはいいことだけど、本来の目的じゃない。

 でも今この瞬間、リョウちゃんは、すごく楽しそうだ。

 その楽しさに、僕の「恋を学びたい」なんて気持ちで水を差すのは、絶対に違う。


「僕も、楽しい、よ」


 ちょっとだけ嘘。本当は、なんでかずっと胸が苦しい。

 もしかして、僕は病気なんだろうか。


「リョウちゃん。胸が苦しい……」


 正直に自己申告すると、リョウちゃんの顔色が変わった。僕の手を引いて、「帰ろう」と真剣な表情で言う。


「ごめん、体調悪かったんだね。それとも、座って休む?」

「ううん、ちがう。体調不良じゃなくて……」


 しどろもどろになる僕を、リョウちゃんはベンチへ座らせた。気づけば廊下の出口が近くて、窓から差してくる太陽の光が、僕たちを照らした。

 リョウちゃんは、僕の顔を、じっと見下ろす。


「真っ赤だ」


 ぽつりとこぼれた言葉に、僕は思わずうつむく。恥ずかしくて、また胸がどきどきして、苦しくなった。思い切って、リョウちゃんの手を掴む。目を丸くする顔を、しっかり見つめた。


「こういうとき、苦しいんだ」


 恥を忍んで自己申告する。ちらりとリョウちゃんを見上げると、リョウちゃんの顔が真っ赤になっていた。


「……じゃあ、普通にしてたら、大丈夫?」

「う、うん。へいき。リョウちゃんこそ、大丈夫?」


 体調が悪いのは、そっちじゃないだろうか。僕がおずおず尋ねると、リョウちゃんは首を横に振った。


「俺は元気だよ。たぶん俺たち、今、同じ気持ちだ」


 どんな気持ちだっていうんだろう。分からなくて、途方に暮れた。

 リョウちゃんは、その場にしゃがんで、僕へ目線の高さをそろえた。また、とろけるくらいに甘い微笑みを浮かべる。


「ハルくん、どきどきする?」


 その言葉にまた、心臓が跳ねた。迷わず頷くと、リョウちゃんは優しく「そっか」と頷く。


「じゃあ、行こうか」


 リョウちゃんは立ち上がって、僕へ右手を差し出す。僕がその手を取ると、彼は、心底嬉しそうに笑った。

 また心臓が、きゅんと跳ねる。

 もしかしてこれが、「恋」なんだろうか。僕は、リョウちゃんに、恋をしているんだろうか。

 本当にリョウちゃんは、僕と同じ気持ちなんだろうか。きっと違う。僕は今、こんなに苦しいんだから。楽しそうなリョウちゃんが、苦しんでいるとは思いにくい。

 だとしたら、僕たちは……。


 ぐるぐる考え込む僕を連れて、リョウちゃんは歩き出す。視界が開けて、海亀たちの水槽が目に飛び込んできた。悠々と泳ぐ亀たちを、僕はぼんやり見つめる。

 リョウちゃんが、ぽつんと置かれた水槽を指差した。孵化したばかりだろう亀のあかちゃんが、たくさん泳いでいる。


「ほら、ハルくん。亀のあかちゃんだよ。かわいいね」


 ぴこぴこ泳ぐ亀のあかちゃんたちは、確かにかわいい。さっきまでだったら夢中になって見ただろうけど、今の僕は、まるで集中できそうにない。


「リョウちゃん、その……」


 なんて言おう。手に汗がじっとりにじんで、リョウちゃんに気持ち悪く思われないか心配だ。

 リョウちゃんは首を傾げて、僕を見下ろす。


「ハルくん、どうかした?」


 僕も恋が分かったって、言ってしまおうか。そしたらリョウちゃんは恋の先生役から解放される。そして、僕たちは元通り。


「ううん。なんでもない」


 だというのに、僕は、恋が分からないふりをしてしまった。

 自分でも、なんでか分からない。ただ、リョウちゃんが他の人ともこういうことをするかもしれない、と思ったら、すごく嫌な気持ちになる。

 どうせだったら、しばらくはこのまま、リョウちゃんを独占していたい。

 うつむきながら、大きな手を強く握った。リョウちゃんは、そっか、と低く囁く。


「ハルくん。恋、分かった?」


 どきりとした。僕は恐る恐るリョウちゃんを見上げる。

 その瞳が、らんらんと光って見えて、生唾を飲み込んだ。

 ゆっくり、首を横に振る。


「分かんない。もっと、教えて」


 リョウちゃんは、笑顔で頷いた。

 弾む声で、僕に囁く。


「もちろん。いくらでも、教えてあげる」


 とんでもなく、悪い子になってしまった気がした。ちょっと後ろめたくなりながら、リョウちゃんの手を、じっと見つめる。

 僕は本当に、恋を理解しつつあるのかもしれない。

 こんな非論理的で、道徳的に間違った行動、前までだったらしなかったはずだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ