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5 デートに予習は必要?

 翌日。朝から雨が降っていた。夏休み直前で半日授業だというのに、もったいない。

 グラウンドを使えない日だ。放課後は、運動部が廊下でランニングする声や、階段を駆け上がる音が聞こえてくる。

 リョウちゃんと別れて部室へ向かうと、鈴木くんが待ち構えていた。


「ハルくん。須藤くんと、水族館で……デートをすることになったんだって?」


 眼鏡を押し上げて、なんだかちょっといやらしい口調で彼が言う。メッセージは、読んでいてくれたらしい。僕は思わず、神妙になって頷いた。


「うん。リョウちゃんが、誘ってくれたんだ」


 そうか。鈴木くんはしばらく口元を抑えて、そして首を横に振った。その口は、だんだん、にやにやと笑みの形に歪んでいく。


「いや、僕からは何も言うまい。楽しめるといいな」


 からかわれている。僕は気恥ずかしくなって、「そうだね……」とぼそぼそ呟いた。

 そっぽを向くと、鈴木くんはにやにや笑いをさらに深くする。

 僕は唸りつつ、頭をかいた。話を逸らそう。


「……でも、デートって何をすればいいんだろう。さっぱり分からないんだ」

「一緒に遊んで、同じものを見るだけじゃダメなのかな? 僕も分からないけど」


 鈴木くんが首を傾げる。なんだ、鈴木くんも分からないのか。僕は唇を尖らせて、「だったらからかわないでよ」と恨めし気に言った。


「ごめんって」


 鈴木くんは軽く謝りつつ、そうか、と頷いた。さっきよりも落ち着いた声だ。


「ハルくんは、デートをするのか……」


 どうやらこの様子だと、鈴木くんもデートをしたことはないのかもしれない。先を越してしまったんだろうか。僕はさっきの鈴木くんの胡乱な言葉を思い返しつつ、そうだよ、と意気込んだ。


「こういうとき、恋をしている人は、どんな気持ちになるのか、よくよく学んでくるよ」


 そう言ったら、鈴木くんは、腕を組んでうんうん唸りはじめた。こういう時の鈴木くんは、がんばって何かを伝えてくれようとしている。僕は静かに、彼の答えを待った。

 鈴木くんは眼鏡のズレを直しつつ、そうだね、と頷く。


「だけどハルくん。そう意気込んで『学ぼう』と思わなくても、いいんじゃないかな」

「うーん……でも、そもそも、僕はリョウちゃんに恋を教えてもらってるんだよ。そうしてもらっている以上、何か学ばないと失礼じゃないかな」


 気づくと、僕たちは部室の隅っこで身を寄せ合って、ひそひそと話し合っていた。他の部員たちの華やかな笑い声をよそに、僕たちはどんどん声をひそめる。


「いやいや。デートなんだろう? 何かを学ぼうって力んだら、楽しめるものも楽しめないんじゃないかな?」

「そりゃあちゃんと楽しむよ。だけど、せっかく恋心を教えてくれるって言ってるのに、学ばないなんてもったいないと思うんだ」

「ちょっと待ってくれ。それはもしかしたら、本末転倒じゃないか?」


 鈴木くんが眼鏡を押さえつつ、早口で指摘する。どういうことなのか分からなくて、首を傾げた。僕のリアクションに、鈴木くんが重々しく頷く。


「恋を理解してもらうには、まず、恋される側の気持ちから入ろうという指導なのかもしれない。もしかしたら、アプローチを受けるという訓練なのかも……」


 その考え方があったか。僕が打ち震えている間に、僕らを見ながら、女子たちがひそひそ声で顔を見合わせている。


「鈴木くんと志村くん、またなんか変なこと言ってる」

「すみっこで固まってかわいいな。癒やしだわ」


 彼女たちが何を言っているのか分からないけど、鈴木くんの言葉を、僕はゆっくり考えた。

 アプローチを受ける側の気持ちを理解してほしい、というのが、リョウちゃんの意図なのかもしれない。となれば、僕が「恋する側」の気持ちを分かろうとするのは、ちょっと的外れなのかも。


「リョウちゃんに聞いてみるよ」


 僕は早速スマホを取り出して、リョウちゃんへSNSでメッセージを送ろうとした。すると、鈴木くんがそっと手で画面を覆う。

 顔をあげると、彼は、はっきりと首を横に振った。


「ハルくん。それを本人へ直接聞くのは、なんだか違う気がする」

「でも……何を教えてくれるか分からないと、デートで十分な効果が得られないかもしれない」


 僕の訴えに、鈴木くんは「そこだよ」と眼鏡をクイッとあげた。


「恋というのは、理屈で説明しきれないものだ。思うに、ハルくんはもう、それについて十分に考え尽くしている」

「そうかなぁ」


 そうだよ、と鈴木くんは食い気味に言う。


「考えるな、感じろってことだよ。もう君はきっと、理論習得から実践の段階に入ってるんだ。何も考えずに、デートを楽しんでくればいい。そうしたら、新しい発見があるはずさ」


 恋という分野では、鈴木くんが先輩だ。僕は、ひとまず頷いた。

 正直に言えば、まだ納得いっていないところもある。だけどここは、先達のアドバイスに従っておこう。


「分かった。何も考えず、楽しんでくるよ」


 女子たちは、どこか生ぬるい目つきで、僕らを見守っていた。

 部活動の時間が終わって、鈴木くんが部室の鍵を締める。今日はなんだか鈴木くんともう少し話していたくて、僕は職員室へ鍵を返すのについていった。


「鈴木くんは、好きな子にどうしてるの?」

「どうって、どうもしないよ」


 その声は、いつになく自信なさげだった。僕はいてもたってもいられなくなって、肘先で、うりうりと鈴木くんをつつく。うつむきがちな顔を覗き込んだ。


「僕には、これだけ、いろいろ言っているのに?」


 ちょっとだけからかうみたいな色を乗せると、鈴木くんはつんと澄まし顔をする。


「そりゃあ、僕は人一倍、恋について『考えて』いるからね」


 その強気な返事に、なんだかほっとした。いつも頼りになる鈴木くんがしょげているように見えて、ちょっとだけ心配になっていたから。

 だべりながら職員室まで行くと、ばったり、ジャージ姿のリョウちゃんと出くわした。隣には、同じくサッカー部の桂木くんもいる。


「ハルくん、お疲れさま。珍しいね」

「リョウちゃん」


 僕がひらりと手を振ると、隣の桂木くんがふとこちらを見た。いや、鈴木くんを見て、「やっほ」と肩をすくめる。


「鈴木くん、いつもお疲れ」

「う、うん。おつかれ……」


 途端に、鈴木くんがしどろもどろになった。どうしたんだろう、と桂木くんと鈴木くんをかわるがわる見る。桂木くんはリョウちゃんより背が高くて、がっしりしている。僕と同じくらい細身で小柄な鈴木くんと見比べると、体格差がすごくて、見ごたえがあった。

 ふーん、とリョウちゃんが意味ありげに鼻を鳴らす。


「桂木、あとまかせた。俺、ハルくんと先に帰るから。お先」

「ん。分かった、お疲れ」


 軽い返事をする桂木くんに手を振って、行こう、とリョウちゃんが僕を呼ぶ。振り返って鈴木くんを見ると、心なしか、頬が赤い。体調でも悪いんだろうか。


「ねえ、鈴木くん。顔が赤いけど」


 鈴木くんへ寄ろうとすると、素早くリョウちゃんが「いいんだよ」と口を挟んだ。


「ハルくん。たぶん、鈴木くんは健康だから」

「でも……」


 リョウちゃんは、僕の手を掴んで連れていく。何度か振り返る僕に、リョウちゃんがそっと耳打ちをした。


「あの二人はきっと、あれでいいんだよ」


 あれとは。

 二人は鍵を持ったまま、職員室の前で、何か話し込んでいた。たしかに仲が良さそうだし、これでいいのかもしれない。

 というか、あそこ、知り合いだったんだ。

 僕は首を傾げて、リョウちゃんの後へ続いた。


「そういえば、職員室にいるなんて珍しいね」

「うん。部内の日誌の当番にあたって」


 ふうん、と他愛のない相槌をうった。


「じゃあ、職員室に行けば、また会えるかも?」

「うん。もしかしたら」


 リョウちゃんが微笑む顔の、優しさといったら。

 僕はどぎまぎして、「うん」とうつむいてしまった。

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