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23 夏休み明け

 夏休みが明けて、いつもの学校生活が始まる。期間内に課題を終わらせられなかった人たちが、空き教室に集められて補習を受けていた。それを尻目に、僕は部室へ急ぐ。

 とうとう部誌が刷り上がったと、文芸部のグループチャットで連絡が入ったんだ。部室へ入ると、もう何人かの部員たちがダンボールを囲んでいる。先輩たちも、ちらほら来ていた。鈴木くんの姿も、もちろんその中にある。

 ダンボールは、すでに開封されていた。中にはみっちり、B5サイズの本が詰まっている。

 今年の文化祭で販売する部誌だ。


「はい。ハルくんの分だ」


 鈴木くんが、一部を手渡してくれた。その空色の表紙とタイトルに、胸がいっぱいになる。

 ぱらぱらとページをめくると、紙とインクの香りがふわりと立った。

 僕の作品ページを開いて、じっと見つめる。リョウちゃんへの恋心と、それにまつわる嬉しさや後悔、苦しさを綴ったエッセイだ。

 恥ずかしい。たぶん、これからもっと恥ずかしさは増してくるだろう。来年なんかは、燃やしてなかったことにしたがってるかもしれない。

 だけど間違いなく、今の僕の精一杯だ。

 鈴木くんが寄ってきて、頷く。


「読んだよ、ハルくん。すごくいいエッセイだった。魂で書いたんだね」

「うん。……魂で書いた」


 にこりと微笑みかけると、鈴木くんもはにかんだ。僕たち部員はひと足先に部誌を手に入れて、各々の作品を読むことができる。僕もその特権にあずかろうと、リュックへ部誌をしまった。

 出し物の準備も、ほとんどのクラスや部は終わっているらしい。

 いよいよ、文化祭がやってくる。

 身震いがした。


 部活動の時間が終わって、部員たちはぞろぞろと外に出る。鈴木くんは鍵をかけて、職員室へ鍵を戻しに行った。僕もリュックを背負って、リョウちゃんのもとへ急ぐ。

 今日はサッカー部の解散の方が早かったみたいだ。グラウンドのあちこちにサッカー部員が散らばって、雑談している。

 リョウちゃんの姿は見えない。僕はグラウンドをぐるりとしたけど、見つけられない。

 どこに行ったんだろう。首を傾げてまた見渡していると、桂木くんが声をかけてきた。


「志村くん。もしかして、須藤を探してる?」

「うん、そうなんだ。どこに行ったか知ってる?」


 あー、と桂木くんは言葉を濁した。頬を掻いて、気まずそうに苦笑いを浮かべる。


「や、まあ、ちょっと待ってなって。あとちょっとで戻ってくると思う」


 その言葉がまた不思議で、僕は桂木くんを見上げた。彼は水筒の中身を飲んで、黙っている。

 なんとはなしに、嫌な予感がした。


「ふーん? ありがとう。じゃあね……」


 リョウちゃんを探すために、歩き始める。桂木くんは何も言わなかった。

 運動部の部室棟へ差し掛かったところで、女の子の声が聞こえる。


「須藤くん、好きです。付き合ってください」


 告白だ。それも、リョウちゃんへの。咄嗟に物陰へ隠れて、息を殺す。部室棟の裏で、リョウちゃんが告白されているらしい。

 しばらく無音の時間があった。そよ風の音すら聞こえそうなくらい、静かだ。


「ごめんなさい。俺、好きな人がいるから」


 リョウちゃんが言う。僕はしゃがんで、膝を抱えた。分かっていたけど、いざそう言われると、堪える。


 女の子の泣き声が、かすかに聞こえた。リョウちゃんは「ごめんね」と、もう一度謝る。

 僕も釣られて泣きそうになりながら、そっとその場を離れようとした。ずっと音を立てて鼻を啜って、目元を拭う。いつもの松の下まで戻ろうと、気配を殺して歩き出したときだ。

 後ろから足音が迫ってきて、僕の肩を叩いた。


「ハルくん」


 リョウちゃんだ。僕がびっくりして顔をあげると、リョウちゃんは心配そうに顔を歪めた。


「泣いてた? 誰に泣かされたの」

「う、ううん。違うよ」


 まさか、さっきの告白でもらい泣きしそうになったなんて言えない。僕は速足で歩き出したけど、もちろんリョウちゃんは簡単に追いついてくる。


「ハルくん……」


 だけどリョウちゃんは、僕の名前を呼ぶだけだ。僕は「ほんとに大丈夫」と笑いかける。そのはずみで、あの女の子の泣き声を思い出して、また涙がこみあげてきた。

 あの子は、ちょっと先の、僕の姿かもしれないから。

 僕は、こんなに涙もろかったのか。


 べそべそする僕の手を、リョウちゃんがとった。驚いて、わっと声を上げても、構わずに手洗い場まで連れていかれる。

 リョウちゃんが蛇口を捻って、タオルを水で濡らした。それで顔を拭かれると、無条件にほっとする。

 こんな時にまで、リョウちゃんは、僕へ優しくしてくれるんだ。やっぱり、好きだ。

 さらにバッグから、飴の袋を取り出す。ハッカ飴だ。まだ、持ち歩いていてくれてたんだ。


「はい」


 飴を一粒、手渡される。ひそかにときめいていると、リョウちゃんはくしゃりと顔をしかめた。


「……なんで泣いたのか、俺には、言えない?」


 まったく、過保護なんだから。ふっと口元がほどけて、緊張がゆるんだ。


「うん。言えない。ありがとう、リョウちゃん」


 何があったって、これまでの幼馴染としての時間が、なくなるわけじゃない。やっと、それを理解できた気がする。

 これから先どんなことがあっても、僕たちがずっと友達で、一緒にいた過去や思い出は、消えないんだ。

 それはもしかしたら呪いかもしれないけど、救いかもしれない。


 リョウちゃんは、「そうなんだ?」と首を傾げた。まだ納得のいっていない様子で、唇を噛む。

 僕は覚悟を決めて、リョウちゃんに微笑みかけた。


「リョウちゃん。僕はこれまでも、これからも、リョウちゃんのことが大好きだよ」


 好きという言葉は、いろんな意味を持つ。恋愛的な好きもあれば、友愛の好きも、家族愛の好きもある。

 僕はぜんぶひっくるめて、リョウちゃんが好きだ。

 なのに、リョウちゃんの顔は冴えない。うん、と力なく頷いて、皮肉げに微笑んだ。


「俺も……好き、だよ」


 うん、と頷く。ごめんね、は言わないと決めていた。

 謝罪は乱発するものじゃない。ここぞというときに使う言葉は、きちんと非常事態のために取っておかないと。


「リョウちゃん。一緒に帰ろう」


 僕から誘う。リョウちゃんは、顔を上げた。夕日を背負って、目だけがらんらんと光っている。

 恐ろしいくらいの光をたたえた目を、真っ直ぐ見つめた。リョウちゃんはすぐに目を伏せて、頷く。


「帰ろう」


 そして、僕たちは歩き出した。駅までの道のりは無言だし、電車内でも、最寄駅に降りても無言。僕はハッカ飴を口に放り込んで、黙りこくっていた。

 だけどリョウちゃんは、僕を家まで送ってくれた。彼にとっては、遠回りなのに。

 それは彼の真心だし、僕たちにとって、かけがえのない真実だ。


「またね。リョウちゃん」


 僕は手を振って、家の中に入る。リョウちゃんも微笑んで、僕に「またね」と言った気がした。

 玄関の扉を閉める。部屋に駆け込んで、リュックから部誌を引っ張り出した。胸がいっぱいになって、思わず抱きしめる。

 いよいよ、僕たちの運命が決まる日が、近づいてきた。

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