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22 怖気付いてばかりじゃいられない

 僕とリョウちゃんの会話は、劇的に減った。

 夏休み中でも、登校日には顔を合わせることになる。だけど、ほとんど話さなかった。

 それでも、一緒に帰り続けた。もう、僕たちがお互いに張っている、最後の意地なんだろう。

 僕は、リョウちゃんの話を遮った。大事な打ち明け話だったのに、聞こうとしなかった。リョウちゃんはずっとだんまりだから、怒っているかもしれない。

 それでも僕たちは、一緒にいた。

 文化祭の準備は、着々と進んでいく。道具類はほとんど出来上がって、衣装も着々と仕上がってきていた。リョウちゃんはうちのクラスの宣伝塔になるらしく、やたらと衣装に気合いが入っている。

 下は制服の黒いスラックスでも、トップスにフリルたっぷりのシャツを着れば、まるで王子様みたいだ。密かに見惚れていると、視線が合う。慌ててそらす直前、リョウちゃんが微笑んでいるように見えた。たぶん目の錯覚だろう。

 首元のあたりに散らばった、血のりの代わりの赤い絵の具が、また色っぽい。

 スマホが振動する。文芸部のグループチャットが動いた通知だ。

 製本作業の進行が遅れているから、ヘルプが欲しいという連絡だった。僕は文化祭委員の子に一言断って、教室を出る。僕はもう原稿を提出したから、安心して作業に取り掛かれるのだ。

 部室に入ると、何人かの部員が、ひたすら原稿を印刷した紙を折っていた。業者に製本を依頼する前の下準備が、まだ終わっていない。二つ折りにした用紙を重ねて、それを糊付けして表紙をかぶせて、本にしてもらうのだ。

 僕もぬるりと入って、鈴木くんの横に立つ。鈴木くんは、部員たちが折った紙のページ番号が合っているか、チェックしていた。


「チェックしてないやつ、半分ちょうだい」


 三年生はみんな、受験勉強に専念しているから、部室には来ていない。だから今、僕らの実質的なリーダーは、鈴木くんだった。

 鈴木くんは「ありがとう」と言って、額の汗を拭う。


「クラスの方はどう?」

「まだちょっと仕事は残ってるらしいけど、僕は完全に戦力外だから」

「そっか」


 他の部員たちは、にぎやかに雑談をしている。お互いのクラスの出し物のこと。楽しみな催しのこと。

 僕は鈴木くんと肩を並べて、小声で囁いた。


「作業終わったら、ちょっと話せない?」

「うん。いいよ」


 鈴木くんは、なんてことないみたいに言ってくれた。それがありがたい。

 作業が終わって、解散する。鈴木くんはいつも通り、みんなが出てから部室へ鍵をかけた。

 そして、ちらりと僕を見る。


「今日は、ちょっと遠回りしよう」


 そう言って、鈴木くんは、校門の方に歩き始めた。外で作業している人のいる中庭よりは、人気のない場所だ。


「ハルくん。何かあったの?」


 鈴木くんの優しさに、僕はうつむいた。自分が情けないけど、踏ん切りをつけるために、言う。


「僕は文化祭で、リョウちゃんに告白する」


 宣言すると、ぴたり、と鈴木くんの足が止まった。驚いたように目を丸くして、ぱくぱくと口を開け閉めする。


「そ、それは」


 真っ赤な顔の鈴木くんに、僕は微笑みかけた。彼がきっと思っているような、立派な動機じゃないし、勇気だってない。


「それでね。これは、勝算のない告白なんだ」


 僕は、洗いざらいを告白した。

 リョウちゃんには、好きな人がいること。僕が打ち明け話を遮って、傷つけてしまったこと。リョウちゃんは傷ついたのを隠して、元通りの関係へ戻そうとしてくれていること。

 そして僕は、それを全部台無しにしてでも、リョウちゃんへ思いを打ち明けると決めたこと。

 鈴木くんは、口を引き結ぶようにして閉じた。僕を真っ直ぐ見据えて、頷く。


「それでも、ハルくん。僕は君の勇気を、尊敬する」

「そんな風に言ってもらえるほど、僕はいい人じゃないよ」


 目を伏せる。鈴木くんは、「何を言うんだ」と笑って、また歩き出した。


「須藤くんを傷つけてしまったんだね。そうだとしても、それを踏み倒せないくらいハルくんが優しいことは、よく知っているよ」

「鈴木くん……」

「友達だもん」


 胸がじんわりと熱くなった。鈴木くんは、なんでもないことみたいに言う。


「どんな前提があるにしろ、ハルくんの勇気と誠実さは、本物だよ。僕はそう思うなぁ」


 そして「いいな」と呟いた。うらやむ響きに、ほんのりと悔しさが乗っている。


「僕にはとても、そんな勇気、出せない」


 その心細そうな声に、何も言えなくなった。ただ隣に並んで歩く。

 鈴木くんの横顔をちらりと見た。恋を知った僕には、鈴木くんの気持ちが、ほんのちょっとだけ分かる気がする。

 片思いは楽しいけど、怖い。恋をしたからといって、相手が同じ気持ちを返してくれるとは限らない。こっちが勝手に舞い上がってしまっているだけかもしれない。

 鈴木くんは僕と同じ、内気な性格だ。そして僕よりも責任感が強くて頼りになって、自分の信念に真っ直ぐで、誠実な人。

 そんな彼でも怖気付いてしまうのが、恋だということ。


「……フラれたら、慰めてよ」


 あえて、ちょっと明るい声で言う。鈴木くんは、うっすらと微笑んでくれた。

 職員室に鍵を返す。今日は、リョウちゃんたちと会わなかった。鈴木くんと解散して、グラウンドに行く。

 サッカー部は、ちょうど今日の練習を終えるところだった。整列して、先生が何かを話している。僕は定位置の松の下で、じっとリョウちゃんを見つめていた。

 ありがとうございました、と太い声が響いて、解散する。リョウちゃんは、真っ直ぐこちらへやってきた。


「帰ろう」

「うん」


 そして、それ以外の会話はない。

 駅まで歩いて、電車に乗る。今日はそれなりに混んでいて、僕たちは並んで立った。

 ぼんやり窓の外を眺めていると、リョウちゃんが「ハルくん」と僕を呼んだ。


「文化祭の後に会う約束、後夜祭を抜けてきてってこと?」


 どき、と心臓が跳ねた。ぎこちなく、首を横に振る。


「……ううん。すぐ終わる用事だから、後夜祭には参加できると思うよ」

「そっか」


 後夜祭ではキャンプファイヤーをして、みんなで踊る。それが嫌で抜け出す人も結構いる行事だけど、リョウちゃんはどうだろうか。去年は確か、抜けてたと思うけど。

 やっぱり、一緒に参加したい人がいるのかもしれない。

 だとしても、僕のやることは、変わらないんだけど。


「実は俺も、ハルくんに言いたいことがあるんだ」


 ぱっと顔をあげる。リョウちゃんは、苦い笑みを浮かべていた。

 唇がこわばって、上手く言葉が出てこない。だけどなんとか頷く。

 リョウちゃんは唇を噛んで、窓の外に視線を投げた。


「だから待つ。どれだけでも、待つよ」


 独り言みたいだ。自分へ言い聞かせているようにも見えた。

 僕たちはまた、それきり黙り込む。

 夏休みは、あと数日で終わり。そして九月に入ったら、すぐに文化祭だ。

 窓の遠くに、形が少し崩れた入道雲が見える。


 怖気付いている場合じゃない。僕はリョウちゃんの横顔をこっそり見つめて、拳を握りしめた。

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