21 毒をくらわば(涼太視点)
どうしてこんなにハルくんが好きなんだろう、と何度か考えたことがある。
その度に、あんな人を好きにならずにいられるわけない、と結論が出た。
いつも一生懸命で、ひだまりみたいに温かい優しさで、この手を掴んでくれた。
周りから持て余されてばかりの俺に哀れみも持たないで、友達になってくれた。嫌味なんて一個もない素直さで俺を褒めて、俺の言葉を疑わなくて、言葉の裏なんか絶対に読まない。
まんまるな性格の、かわいい男の子。だから俺は、ハルくんを好きになったんだ。俺からの好意に鈍いところですら、魅力的に見えるくらい。
家に帰ると、すぐに樹が飛んでくる。お兄ちゃん、と腕にぶら下がる樹を持ち上げて、中にあがった。
「涼太、おかえり」
母さんが、俺が帰ってきたのを見て、ご飯を茶碗へよそいはじめる。生姜焼きの甘辛い香りが、あたりに漂っていた。帰りの遅い父さん用により分けられた分以外が、一枚の大皿に乗せられる。
樹が大皿を持ち上げて、机にどんと置いた。母さんも、茶碗を机に置いていく。俺のは大盛りで、母さんは小盛り。樹の小さい茶碗には、それなりの大盛り。
荷物を部屋に置いてくる間に、食事の用意が整っていた。つけっぱなしのテレビから、民放のバラエティ番組が流れてくる。樹はいそいそと座って、早速箸を持った。もうご飯に口をつけようとしている。
「いただきます」
これみよがしに手を合わせた。樹も慌てて、「いただきます」と俺に続く。本当に、かわいい弟だ。
樹が豚肉のいちばん大きな一切れを選んで、自分の皿へ置く。
「お兄ちゃん、今日もハルくんと一緒に勉強してたの?」
藪から棒にそんなことを尋ねるから、俺は一瞬、動揺を飲み込む時間が必要だった。
「違うよ。別の友達」
「ふーん」
樹は、あからさまに興味をなくした返事をする。俺は「どうして?」と尋ねた。樹は「別に」と、白米をたっぷり口に含む。
「おにーひゃん、ふぁるふんいふぁいの」
「いっくん、ご飯食べながら喋らないの」
母さんにぴしゃりと注意されて、樹は首をすくめた。しっかり噛んで飲み込んでから、俺を見上げる。
「お兄ちゃん、ハルくん以外の人と一緒に勉強するんだ」
「するよ。なんで?」
「うちにハルくん以外の友達、連れてきたことないじゃんか」
確かにね、と苦笑いする。でもきっと、ハルくんは、二度とうちへは来ないんだろう。樹が、目をくりくりさせながら尋ねた。
「なんかあったの?」
「なんにもない」
まったく、みんな聡くて嫌になる。俺は黙々と、生姜焼きの玉ねぎを噛んだ。樹は肉以外を食べたがらないから、自然と俺が玉ねぎを食べる量は多くなる。
樹は、ふーん、と鼻を鳴らした。残念そうだ。樹は俺によく似ているから、きっとハルくんのことが好きなんだろう。もしかしたら、初恋かもしれない。憎まれ口を叩くばかりで、逆に分かりやすかった。
残念だったな、樹。俺ですら失恋するんだから、樹じゃもっと無理だよ。
そんな大人気ないことを思いながら、完食する。食器類をシンクへ片付けて、また食卓に戻った。今日は俺が食器洗い当番だから、まだ部屋へ引っ込むわけにはいかない。
母さんが冷蔵庫からピッチャーを出して、コップにお茶をそそいだ。それを受け取って飲みながら、ぼんやりテレビを眺める。平日の深夜に放送される、恋愛ドラマの番宣をやっていた。フィクションの恋愛は、たいていハッピーエンドだから、うらやましい。
ふと、桂木の言葉を思い出した。ムカつきがぶり返す。やっぱり半端に傷つく方が、全力で傷つくより、マシじゃないだろうか。少なくとも、痛みは少なく済む。
テレビでは男性の俳優二人が、仲良く手を繋いでいた。最近は、男性同士の恋愛を描いたドラマも多い。ハルくんはそもそも、テレビをあまり見ないから、こんなこと言っても興味が湧かないだろうけど。
またハルくんのことを考えている。重症だ。
テレビでは、和やかなムードで宣伝が続いている。
「当たって砕けろ、というのが、ドラマの主人公の口癖です。そしてその体当たりな一生懸命さで、道を切り開いていきます」
一生懸命が報われる話、みんな好きなやつだ。俺は他人事みたいに思いながら、お茶で唇を湿らせた。
「時にぶつかり合いは、取り返しのつかない不和を招きます」
テレビに視線を流した。にこやかな笑みで、俳優が続けた。
「だけどその先にしか、見えない景色がある。そう信じることができる人は、強いと思います」
そうだ。認めたくないけど、確かに桂木は強い。そして俺は、臆病な負け犬だ。
急に気分が落ち込む。やっぱり、相当弱っているらしい。
樹と母さんも食事を終えて、俺は皿を洗った。そして、とっとと部屋に引っ込む。無心で筋トレをして、呼ばれたら風呂に入った。父さんが帰ってきて、母さんと晩酌を始める。その間に、とっとと寝支度を整えた。
馬鹿みたいに早い時間に寝て、翌朝、馬鹿みたいに早い時間に目が覚める。家族全員が寝静まった家で、ひとり食パンをトースターにかけた。
今日は部活もない、暇な一日だ。樹の宿題は七月中に終わるようにがんばらせたから、勉強を教えるタスクもない。
腹立たしいことに、俺の頭には、桂木の言葉がこびりついていた。そりゃあ、俺にだって分かる。桂木の言っていることは正論だ。
だけど俺に、ちゃんと告白する度胸なんてない。もうハルくんにあんな顔をさせておいて、またもう一度拒絶される勇気はない。
でも当たって砕けないと、見えないものもあるのは、そうなんだろうな。
もやもやしながら目玉焼きを三枚焼き、味噌汁を作り、また部屋へ戻った。ベッドで二度寝に興じる。昼前に、スマホの振動する音で目が覚めた。
ハルくんからのDMだった。
慌てて開く。その文面に、俺は、我が目を疑った。
文化祭のあと、時間ある?
教室に残れたら残ってほしい。
指が勝手に動いて、「いいよ」と書き込んでいた。既読はつかない。
ハルくんは、どんな気持ちで、これを書き込んだんだろう。俺にそれは分からないけど、ハルくんの、とてつもない勇気を感じた。
やっぱり、俺はハルくんが好きだ。この気持ちは、誤魔化しようがない。
どうして恋人になろうだなんて突拍子もないことを言ったのか、思い出せ。
後悔の底から、浮かれ切っていたときのかろやかなときめきを、引っ張り出す。
俺はもう到底、ハルくんの善良な友達でいられないと思ったから、あんなことを言ったんだろうが。
どうせ俺は、もうダメだ。俺たちの関係は、どう足掻いても、根本的に大きく変わってしまう。パラダイムシフトを起こしたいなんてほざいたことを思い出して、ベッドの上で悶絶した。
だけど、そうだからこそ、考え方を変えよう。なおさら、ちゃんと終わらせた方が、まだマシかもしれない。
それにもしかしたら、ハルくんから告白してくれるのかもしれないんだ。これはそういう可能性のあるタイミングだから。
そんな自分に都合のいいことばかり考えてしまう。俺はスマホをベッドへ放りなげて、キッチンへ立った。両親は仕事に出ているから、夏休みの間は、俺が昼食を用意しなければいけない。
鬼のようにキャベツを刻み、強火にフライパンをかけて、野菜炒めを作る。豚肉も玉ねぎも、もちろんたっぷり入れた。焼肉のタレを無心でかける。
俺の皿に玉ねぎを放り込もうとする樹と戦いながら、次の登校日を思った。文化祭まで、あと一ヶ月くらい。まだまだ準備期間が残っている。
随分と、気の長い約束だと思った。だけど俺たちには、その時間が必要だとも。
「お兄ちゃん、ケチ! ひどい!」
玉ねぎを食べてもらえないと悟った樹が、半泣きでたまねぎを口に運ぶ。嫌そうな顔を見下ろしながら、「お兄ちゃんはこれから、もっと酷いことをするんだぞ」と内心毒づいた。




