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18 父曰く

 まっすぐ家に帰って、冷水のシャワーを浴びた。

 汗を落として服を着替えて、ドライヤーでしっかり髪を乾かす。さっぱりしたところで、スマホの電源を落とした。

 パソコンの電源をつけて、テキストエディタを開く。原稿の続きを書かなければ。

 だけど出てくるのは、リョウちゃんへの懺悔ばかり。許されたいとか、つい昨日までに戻りたいとか。この期に及んで、まだリョウちゃんが好きな僕は、キーボードの前につっぷした。目元がじんわりと熱い。みじめにしゃくりあげて、後悔に震えた。

 でも、泣いてる場合じゃない。腕で乱暴に目元を拭って、顔を上げた。

 ひたすら画面に向き合って、タイピングする。生み出される大量の駄文を消して、また大量に書いた。それを繰り返すうちに、気づけば日が暮れていて、部屋のドアをノックする音が聞こえる。原稿は、ちょっとも進んでいない。全然まともな文が書けない。


「春希。ご飯だぞ」


 お父さんの声だ。部屋の電気も点けずにやっていたから、いつのまにか周りは薄暗くなっている。

 僕はパソコンをスリープモードにして、部屋のドアを開けた。お父さんは無表情に、だけど優しい目をして、僕に向かって話しかける。


「お母さんが、ご飯を作ってくれたんだ。食べよう」


 僕の腫れた目元には、何も言わなかった。それがありがたくて、情けなくて、うつむく。

 リビングに行くと、もうご飯が並んでいた。味噌汁からほかほかと湯気が立っているし、ゴーヤーチャンプルーはつやつやだ。

 お母さんは僕の顔を見て、微笑む。安心する表情だった。


「たくさん食べなさい」


 お父さんとお母さんが、並んで座った。僕も二人と向かい合わせに座って、手を合わせる。


「いただきます」


 ご飯に箸をつけた。ほろ苦いゴーヤーの味に、かえってほっとした。卵がとろとろに絡んで、しょっぱくておいしい。

 無心で食べる。お腹いっぱいになるにつれて、自分の心が、ふっとゆるんでいくことに気づいた。

 最後の一口を噛みしめる。お母さんが、一杯の温かいお茶を差し出してくれた。


「春希。今日は、早く寝なさいね」


 その言葉に、なんでかたまらなくなった。

 僕は唇を噛んで、お茶を一息に飲み干す。熱い喉越しに、頭が少しシャッキリした。


「ごちそうさま!」


 食器を流しへ突っ込んで、部屋に戻る。パソコンのスリープモードを解除して、またテキストエディタに向かった。

 今度は、さっきよりもずっと、冷静な言葉が出てくる。

 許されたいという気持ちは、関係が元通りになってほしいという願望だ。だけど前と同じになんか、戻れっこない。リョウちゃんが「許す」と口で言ってくれたとしても、リョウちゃんの傷はなかったことにならないからだ。

 僕の本当の願いを、掘り出そう。タイピングを止めて、目をつむる。

 リョウちゃんに笑っていてほしい。つらい気持ちを我慢してほしくない。でも、僕がつらい気持ちにさせてしまった。謝ったけど、きっと受け入れてもらえていない。

 いや、違う。もっと僕の剥き出しで、自分勝手な欲望があるはずだ。

 もっと赤裸々に言ってみよう。素直になるなら、こうだ。


 リョウちゃんに、告白したい。

 あわよくば、付き合いたい!


「……はは」


 思わず、乾いた笑い声が漏れた。自分にほとほと呆れる。

 だけどこれが、僕のいつわらざる、本当の気持ちだ。

 それなら、これを書くしかないじゃないか。

 たとえリョウちゃんには届かないとしても、届けてはいけないとしても、僕自身への供養くらいにはなるだろうから。


 タイピングを再開する。今度はちゃんと、使える文章がすらすら出てきた。

 しばらく経って、部屋のドアがまたノックされる。


「春希、風呂が空いたから入ってくれ。春希が最後だ」


 お父さんだ。僕は返事をして、自分のパジャマを用意する。

 部屋を出ると、お父さんはまだそこにいた。驚いて足を止めると、お父さんは咳払いをする。


「まあ、なんだ。何か悩みでもあるなら、お父さんとお母さんは、春希の味方だから……」


 もごもご何か言っている。僕は「お父さん」と笑った。心遣いが嬉しい。

 うつむいて、自分のつま先を見る。ここは、先人の知恵を借りていい場面だろう。

 思い切って、切り出してみた。


「……それなら、もしもの話を聞いてくれる?」


 お父さんは重々しく、「なんだ」と頷いた。僕はできるだけ冷静な声で、悩みを話す。


「大切な人と喧嘩をして、とてつもなく深く傷つけてしまったんだ。もう前と同じ関係には、戻れそうにないくらい。こういうとき、どうすればいいと思う?」


 お父さんは、腕組みをした。しばらく首を傾げてうなって、「今、言葉を選んでいる」と呟いた。


「うん。そうだな……春希は、まだその人のことが、大切か?」


 僕のことだと、あっさりバレている。頷くと、お父さんは腕組みを解いた。


「できることなら、まだ仲良くしたいか?」

「……うん。もう、無理だろうけど」


 素直に頷く。お父さんは「そうか」と重々しく言って、うっすら口元を緩めた。


「春希がその人を傷つけたと思っているなら、これからの関係をどうするかは、相手に委ねなくてはいけないよ」

「うん。そう思う。僕に、その資格はない……」


 うなだれると、お父さんは僕の肩を軽く叩いた。


「そうだとしても、春希の気持ちはどうなんだ。ちゃんと『まだ仲良くしたい』って、相手に伝えたか?」

「そんな資格ない……」


 改めて現実を直視して、気持ちがどんどん落ち込んでいく。お父さんは、「いいや」と僕の両肩を掴んだ。つられて顔をあげる。

 お父さんは優しく笑って、さとすみたいに言った。


「春希。相手のことを考えるのもいいけれど、同じくらい、自分の気持ちも大事にするんだよ」


 え、と声をあげる。お父さんは頷いて、自分の胸を軽く叩いた。


「自己完結せず、時にはもっと憎まれるくらい、図々しくなってみるんだ。そうしたら……」


 そこで一度言葉を区切った。そして思い切るように唇を噛んで、続けた。


「もっとひどくなるかもしれないし、前よりいい関係になるかもしれない」


 ええ、と思わず不満の声が漏れた。なんなんだろう、そんなあいまいで、怖い言い方。

 お父さんは「まあ、最後まで聞きなさい」と僕をいなす。


「喧嘩をして相手を傷つけたら、償いをしなければならない。だからといって、自分自身を軽んじてはいけないよ。春希も、僕とお母さんの、大事な人なんだから」


 は、と顔をあげる。お父さんは、僕の目を覗き込んだ。


「春希の気持ちは、春希自身が大事にしなくちゃいけないんだ。相手の気持ちも思いやりつつ、正直にぶつかってみなさい。……がんばれ」


 それだけ言って、お父さんは寝室に入っていった。

 僕はお風呂に入る。ぬくぬくと湯船で温まりながら、さっきの言葉を考えた。


 僕は、僕の気持ちを、リョウちゃんへ伝える資格がないと思っていた。

 だけど話は、そんな単純なものじゃないんだろう。

 しっかり髪と顔と身体を洗って、さっぱりした。今度はパソコンをシャットダウンして、ベッドに入る。

 夜に考え事をすると、ネガティブという獰猛な獣がいつもやってくるんだ。ただでさえ暗い気分になる悩み事なんだから、今は考えない方がいい。

 明日の朝、ちゃんと眠った健康な身体で、考えてみよう。

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