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12 忘れた思い出

 リョウちゃんを家へ送り届けて、僕も自宅に帰った。リョウちゃんは僕を送っていくって言ってくれたけど、体調が悪そうなのに頼めるわけない。

 家の玄関を開けると、廊下の奥から笑い声が聞こえてきた。お客さんが来ているらしい。

 リビングを覗くと、リョウちゃんのお母さんが来ていた。うちのお母さんとお茶を飲んで、クッキーを食べている。


「ただいま。こんにちは、おばさん。いらっしゃい」


 顔を出して、軽く挨拶をした。おばさんは顔を上げて、僕にちょっと頭をさげた。


「こんにちは、春希くん」


 にこやかな表情で、おばさんはさっと手元を見る。あっと声をあげて、立ち上がった。


「いけない、もうこんな時間。志村さんとお話しするのが楽しくて、つい長居しちゃったわ」

「そんな、いいのに。またお話ししましょうね。……ああでも、そろそろ夕飯の支度をしなくちゃいけない時間だわ」


 お母さんとおばさんは、仲良しだ。

 おばさんはバッグを肘にひっかけて、椅子を引いて立ち上がる。そして、僕に向かって、微笑みかけた。


「ハルくん、これからも涼太と仲良くしてやってね」

「それはむしろ、こっちがお願いしたいくらいです」


 真面目に返事をすると、おばさんは「そうねぇ」とニコニコ頷く。

 これは、いつものやり取りだ。おばさんはいつも、僕に、リョウちゃんと仲良くしてねって言う。そんなの僕の方こそ、そうしていたいのに。


「それじゃあ志村さん、また今度」

「はい、また」


 お母さんもにこやかに手を振って、おばさんを玄関まで見送る。僕は机に残されたクッキーを頬張りつつ、いちいち大げさだなあと考えていた。

 クッキーをかじっていると、お母さんが戻ってくる。そのまま残りのクッキーをそれとなく取り上げて、「涼太くんは?」と尋ねてきた。


「体調悪そうだったから、今日は僕が送ってきた」

「あら、そう。これだけ暑いとね」


 お母さんは頷いて、そういえば、と頬に手を当てる。


「春希たちが小学生だったときも、こんなことがあったわね。涼太くんが体調を崩して、あなたが送っていくんだって言って……」

「え? あったっけ」


 まったく覚えがない。首を傾げる僕に、お母さんは頷いた。


「あったわよ。小学校の遠足で水族館に行った日、覚えてない? うちと須藤さんちは、それで仲良くなったのよ」


 水族館、という言葉に、僕は目線をあげた。お母さんは、「忘れちゃった?」と笑っている。


「涼太くんが熱出しちゃった話。学校へ着いてお母さんがお迎えに行っても、一緒に帰るんだって言い張って。でも覚えてないか、そんな昔のこと」

「遠足……あ、そういえば」


 少しだけ、覚えがある。バスの中で、リョウちゃんの隣に座っていたおぼろげな記憶。

 あれはきっと、水族館に行ったときの思い出だったんだ。


「それより春希、手を洗ってきなさい」


 お母さんに促されて、洗面所に向かう。いつもより手を念入りに洗いながら、じっくりと昔のことを思い返してみた。

 言われてみれば、小学校の学校の遠足だったか野外学習だったかで、水族館へ行ったことがあった。たしか当時も、同じクラスだった覚えがある。そうなら、出席番号順で並んでいただろうから、バスで隣の席同士だったかもしれない。

 たしかに言われてみれば、その辺りから、リョウちゃんと仲良くするようになった気がする。

 僕らの間に、一体何があったんだろう。首を傾げて手を拭いていると、ポケットのスマホが通知で震えた。見ると、リョウちゃんからのメッセージだった。


 送ってくれてありがとう、という言葉に、なんだか気恥ずかしくなる。体調はどう? と尋ねる前に、続きのメッセージが来た。文面は、こうだ。


 さっきはごめんね、変なこと言っちゃった。

 でも、本音だから。


 リョウちゃんの「本音だから」というメッセージに、視線が吸い付くみたいに固定される。

 電車の窓から外を眺める横顔を思い出して、いけない、と首を横に振った。

 それにしても、リョウちゃんの言う「本音」って、どれなんだろう。かわいいって言われたこととか……。

 途端に、身体が熱くなる。頬のあたりに手で触れると、洗い立ての手が冷たくて気持ちいい。

 僕は夢うつつのまま、晩御飯の食卓についた。お父さんも帰ってきて、家族そろっての夕食だ。


「春希。春希」


 お父さんが僕を呼ぶ。顔をあげると、お父さんの眼鏡の奥で、細い目がきらりと光った。


「何かあったのか。心ここにあらずのように見える」

「そ、そんなこと」


 図星だ。どうして分かったんだろう。しどろもどろになると、お母さんが「あなた」とお父さんを肘でつつく。


「そういうのは、春希が言ってくれるまで待たなくちゃ」

「そ、そうだな。しかし……」


 二人が小声で話しているのを見て、僕はふと、尋ねたくなった。


「ねえ、お父さん。お母さん。僕ってかわいいの?」


 途端に、食卓の時が止まった。お父さんとお母さんは、じっと顔を見合わせている。

 何か、まずいことを言ってしまっただろうか。気まずくなってご飯を一口食べると、お母さんが頷いてこちらを見た。


「かわいいわよ。お母さんとお父さんの宝物だわ」


 お父さんも、重々しく頷く。


「かわいいが、どうした。もしかして、もうかわいいと言わない方がいいか?」


 二人の真剣な顔に、慌ててご飯を飲み込んだ。違う、と首を横に振る。


「そ、その……友達から『かわいい』って言われたから、それはどういう意味なのかなぁって、思って」


 からん、と音が立った。お父さんの箸が、床へ転げ落ちた音だった。

 お母さんは真剣な顔で、ふうん、と頷いている。


「誰が、どんな時に、あなたへ言ったの?」

「りょ、リョウちゃんが……いろんなときに……」


 途端に、お母さんが「そっか」とにやけた顔になる。お父さんは箸を拾って、キッチンへ洗いに行った。お母さんが、少し身を乗り出して続ける。


「それで春希は、『かわいい』って言われて、どうだった?」

「すごくうれしかった……」


 恥ずかしい。お母さんは俯く僕に頷いて、微笑みかけた。


「そういうことなら、まず悪い意味じゃないわ。安心しなさい」


 お父さんが戻ってくる。お父さんも重々しく頷いた。


「春希。僕は、僕の考え方に偏見がないとは、とても言えない」

「え、うん。なに?」

「だが、息子の大事な人がいれば、それがどんな属性の人であれ、歓迎したいと思っている」

「うん……?」


 何を言っているんだろう。首を傾げると、お母さんがまた肘でお父さんをつついた。


「もう、気が早いのよ。春希、お父さんの言うことは気にしないで」


 僕はあいまいに頷いて、二人を交互に見た。

 なんだか、お父さんもお母さんも浮ついているように見える。なんでだろうか。

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