1 ハルくんは恋心を分かりたい
高校二年生、一学期、期末テストの返却日。
先生から「志村」と名前を呼ばれて、教壇の前へ立つ。
「今回も、よくがんばったな」
ねぎらいの一言と一緒に、古文の解答用紙を返却される。点数は、まずまず。努力の結果が出たみたいだ。思わず、ふふ、と口角があがる。
席に戻ると隣の男子が、「どうだった?」と僕の答案用紙を覗き込んできた。点数を見て、うわ! と叫ぶ。元気なことだ。
「ハルくんすげえ、八十五点……!?」
唇に人差し指を当てて、しぃ、と微笑む。彼は途端に口をつぐんで、静かになった。顔がちょっと赤い。ここしばらく大変な暑さが続いているから、バテてしまったんだろうか。
僕の名前は、志村春希。クラスメイトたちからは、ハルくんと呼ばれて親しまれている。
そして僕の「ハルくん」呼びを広げた幼馴染が、次に名前を呼ばれて前に出た。
「須藤、よくがんばったな」
すっと長い腕を伸ばして、須藤涼太……リョウちゃんが答案を受け取った。去年の秋頃から身長がぐっと伸びて、ちょっとつんつるてんのスラックス。でもそれもそういうファッションみたいに様になる、かっこいい僕の幼馴染だ。切れ長の綺麗な目つきで、右目の下の二連泣きぼくろが、すごくチャーミング。
彼はどこかニヒルに微笑んで、「ありがとうございます」とお礼を言った。席に戻ったリョウちゃんを、後ろの席の子が覗き込んで、こっそりつついているのが見える。かける声は押さえているつもりなんだろうけど、教室中に響いているくらいに元気だ。
「百点!? やっぱマジですげぇな、須藤。何食ったらこんな点数取れんの?」
「そんな変わったものは食べてないよ。全然うどん屋でカルボナーラうどんとか食べる」
「そっか……」
テスト用紙が、全員のもとに帰っていく。やいのやいのと騒ぐみんなの前で、先生が黒板に平均点を書いた。今回は、六十点弱くらいだったらしい。とはいえ、平均点がいくらだろうと、僕には関係ない。
テストでは、ただ目の前の問題を解いて、正解を出すだけなんだから。そこには決まり切った解答パターンがあって、それを頭から引っ張りだすだけ。少なくとも理論上は、そう。
ぼんやりしていると、リョウちゃんとばっちり目が合った。手のひらを振られて、思わずさっと視線を逸らす。気のせいでなければ、なぜか最近、彼とよく目が合うんだ。どうしてか熱くなる頬を押さえている間に、授業が始まった。
僕は勉強が好きだから、それなりに毎日、学校は楽しい。がんばっても分からないことはたくさんあるけど、それをひとつひとつ噛み砕いて、理解できるようになんとか落とし込もうとするのも面白かった。
ただ、どうしても、全く分からないことがある。歯が立たない、と言っても過言じゃない。
それは、国語……特に古文の授業で、頻発する問題だ。
物思いへふけっている間に、授業が始まる。黒板へ和歌をすらすら書いて、先生が振り返った。
「みちのくの、しのぶもぢずり誰ゆえに、乱れそめにし我ならなくに。ということで、どんな意味か、何の歌か、分かるか?」
はい、と真っ先に、迷わず手を挙げた。クラス中の視線が、僕に集まる。
「私の心が乱れているのは誰のせいでしょうか、それはあなたのせいです、という意味です。恋の歌だと思います」
先生は満足げに頷いて、僕の解釈を黒板へと書いていった。だけど僕は、すごく不満だ。
古文の意味はだいたい分かる。どう訳せばいいかも、だいたい分かる。だけど、僕にとっての問題はそこじゃなかった。
自分の心が乱れているのを、恋する人のせいにするだなんて、信じられない! 好きな人を相手にするなら、もっと楽しくて、優しい気持ちになるんじゃないのか? しかもどうして、自分の不機嫌の理由を、相手に押し付けるんだろう。
しかも、これは恋の相手へ送るラブレターらしい。本当に分からない。
そう。僕は、まるっきり、恋というものが分からないんだ。国語……特に古典で学ぶ、この「心情」がどうしても分からなくて、モヤモヤしている。
そして授業は今日も、僕のモヤモヤを解決することなく終わった。
休み時間に、テストの点数を報告しようと、リョウちゃんの席へ向かう。今回のテストでも、勉強を教えてもらっていたから、お礼をいわなきゃいけない。
リョウちゃんは分かっていたように、僕へ飴玉を差し出した。
「ありがとう」
僕の好きなハッカ飴だ。リョウちゃんは、いつもこれを持ち歩いて僕にくれる。頭を使った後はお腹が減るし、スッキリしたいから、助かるんだ。
口の中へ放り込んで、かろかろと転がす。リョウちゃんはニコニコしながら、飴玉の袋をしまった。
「ハルくん、テスト勉強頑張ってたもんな。おつかれ。さっきのテスト、どうだった?」
「結構よかったよ。八十五点だ」
「そっか。すごいじゃん」
「ううん、うふふ。リョウちゃんのおかげだよ。ありがとう」
照れ臭くて、ちょっとクネクネしてしまう。リョウちゃんには勉強でも運動でも勝ったことがないけど、なんでかよく僕を褒めてくれる。それは、素直に嬉しい。
クネクネする僕を見て、リョウちゃんは頬杖をついた。上目遣いを寄越してくる。
「今日も、一緒に帰ろうよ。部活が終わったらいつも通り、グラウンドの脇で待っててくれる?」
「うん。迎えにいくね」
リョウちゃんも、うん、と優しく頷いた。途端に胸へ残っていたモヤモヤが晴れて、気持ちもパッと明るくなる。
一緒に下校するのは、小学生からの習慣。それを高校生になっても、ずっと続けられていることが、本当に嬉しい。
だって僕は、リョウちゃんのことが、大好きだから。
かっこいいリョウちゃん。僕の面倒を見てくれるリョウちゃん。
ずっと一緒にいる、大切な幼馴染。
「途中でコンビニに寄りたいな」
「お菓子、また買うの? そればっかじゃ虫歯になるよ」
からかうみたいな口調。だけど、どこか穏やかで、あたたかい声色だ。僕は甘えたくなって、唇を尖らせる。
「もう。その分、ちゃんと歯磨きするからいいんだよ。リョウちゃんには関係ないもん」
わざと怒ったふりをする。リョウちゃんは、仕方ないなって顔で笑った。
僕とリョウちゃんは、小学校の頃から同じ学校へ通う友達。そしていつ頃からかは忘れたけど、リョウちゃんは、いつも僕の側にいてくれるようになった。
何か、仲良くなったきっかけがあったように、ぼんやり覚えている。何があったんだっけ。
たしか遠足のバスで、隣の席になったのがきっかけだったような。僕の都合のいい夢かもしれないけど。
考え込んでいると、リョウちゃんが僕の肩を叩いた。
「ハルくん、もうちょっとでチャイム鳴るよ。戻った方がいいんじゃない?」
「あ、うん」
はっと我に帰る。リョウちゃんは、「またね」と手を振って、僕を席へと返した。
思い出せないということは、大したことじゃないのかもしれない。
首を捻っている間に、次の授業の先生が入ってきた。




