第二話「理」
ある日、ふと気づいたら俺は立っていた。
もちろん、少し前からよちよち歩きはできていた。
壁や物につかまり、不自由さを感じながらも歩いてはいた。
でも今日のは違った。
確かに、自分の足だけで立ち、自分の意志で一歩を踏み出していた。
……やった。歩けた。
歩く。それだけのことが、こんなに嬉しいなんて、転生する前は思いもしなかった。
机に向かい、キーボードを叩いて、ただ椅子に座っていたあの日々では、「歩く」なんて空気みたいなものだったのに。
まず目指したのは、母の台所。
ここはいつも、いい匂いがしていた。
でも、近づくのは禁止されていた。火傷すると危ないから、って。
確かに幼児にとっては危ないのだろうが、俺の精神年齢は28歳。
そんなこと言われんでも注意深く見れば危ないものくらいわかる。
「……あ、ダメよ? ラグナ……ってあれ?」
アイシャは首をかしげる。
「一人で歩けるようになったのね! 凄いじゃない! でもね、台所は危険だから火とか刃物には触っちゃだめよ?」
すぐに見つかったが、追い出されることはなかった。
大人の仲間入りだ。
俺はとぼけた顔をして、「うん」とだけ言った。
料理中だろうか。グツグツと音を立てる鍋が火の上に置いてあった。
コンロなんてものはないからな。薪に魔法でも使ったんだろう。
俺は既に盛り付けられていた皿から揚げ物を1つ拝借し、すぐさま台所を出た。
次は、父の鍛冶場。
ここはもっと危険。刃物や火はもちろん、バルトがいる。
バルトは見た目通り厳しい。前もここに入って怒られた。
でも、俺はそっと壁の影から覗き込む。
火花が散るたびに、父の額から汗が落ちる。
ただの鉄の塊が、槌で叩かれるたびに少しずつ形を変えていく。
父は気づいていたかもしれないけど、何も言わなかった。
ただただ黙って、自分の仕事を続けていた。さすが職人だ。
さらに家の裏庭。
兄が木刀を振り回して遊んでいた。
「おっ、ラグナ! 一人で歩けるようになったんだな!」
兄は手を止めて、満面の笑みで俺に駆け寄った。
「ほら、見てろよー。俺、今日も練習するから!」
その姿は、剣士そのものだった。
俺はただ見つめていた。
兄が振る木刀の軌道、踏み込み、腕の使い方。
少しでも理解しようと、必死に目で追った。
俺の家探検は、一日で終わらなかった。
家の中には、まだまだ知らない部屋、知らないもの、知らない音が溢れていた。
壁にかかった地図、本棚の奥に眠る古い本、天井の梁に吊るされたドライハーブ、地下の物置に置かれた壊れた鎧。
小さな冒険は、まだ始まったばかりだった。
ある日、ふとしたきっかけで、家の奥にある小さな書棚を見つけた。
鍛冶道具や薬草棚の奥に、ぽつんと置かれた古びた木製の棚。
そこには、父や母が読み終えたであろう本が、雑に積まれていた。
これは魔法の本……?
表紙には、読めない文字がびっしりと刻まれていた。
今の俺はまだ、文字が完全には読めない。
だけど、兄や母から少しずつ読み方を教わっていた俺は、ひとつひとつなんとか拾い読みを始めた。
「……えーと……“マ、マソ……カ、ん……、……理?」
つっかえつっかえ読みながら、ページをめくる。
そこには魔素や“理”という言葉が並んでいた。
難しいことはわからないけど、どうやら、魔法は「世界にある力を正しく動かすこと」
らしい。
ただ火が出るとか、水が出るんじゃないんだな。
ちゃんと“燃える仕組み”や“水が集まる理由”を作ってやらないと、魔法にならない……。
理屈を理解する……。
一生懸命考えていると、突然背後から声がかかった。
「おーい、ラグナ! 何してるんだー?」
ロイドだった。
木の剣を担いで、汗だくで庭から戻ってきたところらしい。
「……本、読んでる」
「また? 最近難しい顔ばっかしてんなー。まぁ、でも……母さんとか父さんも、昔からそうだったよな」
ロイドは苦笑いしながら俺の隣に腰を下ろした。
「わかんないとこ、読むの手伝ってやろっか?」
「……お願い」
それからしばらく、兄が簡単な言葉に言い換えて読み聞かせてくれた。
「つまり、こういうことだよ。火の魔法を出すには、まず燃えるってどういうことかを考えろってさ。燃えるには、火のもとがあって、空気があって、熱があって……って」
「……難しいね」
「俺もむずい。だから、詠唱を使ってその理屈を省略するんだって書いてあるぞ」
二人で本に顔を近づけて、しばらく黙り込む。
たぶん、ロイドも完全にはわかってない。
でもこうして、兄弟で一緒に考える時間が、なんだか心地よかった。
夜、母・アイシャに文字の練習を見てもらう。
「“マ”、ほら、ここはこうやって跳ねるの。もう一回書いてみて」
「ん……こう?」
「うん! よくできました!」
母はにこっと笑って、頭を撫でてくれた。
それだけで、少しだけできるようになった気がした。
まだ魔法を使えるわけじゃない。
でも、こうして少しずつ、世界を知っていくことが、今の俺の冒険なんだと思った。
次の日。
昨日の魔術書を片手に俺は唸っていた。
かれこれ三時間はにらめっこを続けていただろうか。
火の魔法を出すには、まず燃えるってどういうことかを考えろ。
燃えるには、火のもとがあって、空気があって、熱があって……。
――――あれ?
魔法って、要するに、この世界の「物理法則」を人為的に操作する技術じゃないか?
俺はふと、前世で授業中にうとうとしながら聞いていた物理や化学の知識を思い出した。
前世では、火を起こすのに可燃物・酸素・発火温度が必要だった。
こっちの世界でもそれは同じなんじゃないか?
つまり、火を生み出す魔法は……。
魔素というエネルギーを可燃物に変換。
空気中の酸素と結びつける。
そして一気に魔力を使い、発火温度に到達させる。
――この流れを一瞬でやってるんだ。
これなら、“燃える仕組み”や“水が集まる理由”を作ることに辻褄が合う。
「この空間で火が出るには、燃える材料と空気とエネルギーが必要ですよ」
と自然が決めているのと同じだ。
地球では、酸素のあるところで紙や薪を用意し、摩擦で火花を散らしてやっと使える火ができる。
でも魔法は、この世界の魔素という“便利な万能エネルギー”を、自分の魔力で【可燃物】【熱】【空気】の役割に変換し、瞬時に「火が燃える状況」を作り出す。
つまり、 魔素はエネルギー源、魔力は魔素という万能エネルギーを変化させる力。魔法の理はそのエネルギーが現実になる仕組みってわけだ。
さらに読み進めると、別の例もあった。
《水の魔法》
普通なら水を出すには、水をどこかから持ってこないといけない。
でも魔法なら、空気中にある水蒸気(湿度)を魔素で冷やして凝結させ、「そこに水がある状況」を作り出せる。
つまり、水蒸気を集め、集めた水蒸気を冷却して液体化。という一連のプロセスを、一瞬で再現する。
まぁ、要するにだ。
「自然現象」を瞬時に実行する力だな。
でも、この本にはこうも書いてあった。
『理を理解せずに魔素だけを暴走させれば、それはただの無秩序なエネルギー爆発となる』
……つまり、理論を知らずに魔力を込めて「火よ出ろ!」なんて叫んでも、燃える準備が整ってなければ火花すら散らないどころか、最悪、魔素が暴発して自分ごと吹っ飛ぶってことか。
そうならないよう、みんな詠唱をつかって魔法を発動してるんだ。
例えば、焔理系の初級魔法の詠唱はこうだ。
我が声に応えよ、魔素よ。
燃焼の理に従い、灯れ、微光の焔。
世界に対してこうしてくれってのを伝えて、使用者の魔力を用いて勝手に現象を起こしてる。
四歳児にしては難しいかもしれないけど、前世の高校物理・化学を知っている俺からすれば、なんで火が燃えるかを知らないで火を出そうとする方が怖い。
……ふふ、俺って天才じゃね?
ちょっと調子に乗ったのは、まぁ仕方ないよな。
魔法の仕組みと理論を理解したら次は何をするか。
もちろん試すに決まっているだろう。
さっき久々にステータスを見たんだが……
【名前】:ラグナ Lv1
【種族】:人間(0歳)
HP:8/8 MP:4/4
筋力:6 体力:7 敏捷:7
器用:9 精神:20 知力:26
運:25
【ユニークスキル】
・《成長制御》SP0UP0
・《識穿の魔眼》(適合率26%)
【加護】
・創造神の加護(成長促進)
ほら、ステータスが上がってるだろ?
転生して間もない頃は、このステータスを開いて成長制御スキルとにらめっこしてたんだが、どうもレベルは魔物を倒さないと上がらないらしい。
成長してもレベルは上がらず、ポイントはまだ0だ。
だが、成長に伴って各ステータスは上がっているし、家中を歩き回ったり、勉強していたおかげか体力と知力の上り幅が大きい。
ということは、だ。
魔法も自力で練習すればスキルを使わずとも習得できるんじゃないか?
可能性があるならやるしかない。自分で習得できるのならポイントを使うのは避けたいしな。
ラグナは段々とこの世界を理解し順応していきます!