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 第一回の調査を終えた朝霧あさぎりは皇后の元へ報告を行った。翡翠や珊瑚、紫水晶の珠飾りが吊るされた御簾は上げられていて、ひいらぎは倚子に座っていた。


 「何か、わかったことは?」


 柊が尋ねると、朝霧は懐から紙を取り出した。帳簿の写しであるが、早く書いているので字が崩れていて朝霧にしか解読ができない。


 「はい。青朽葉は複数の貴人に献上されていました。今上陛下、中宮様にも。青朽葉は湿性の炭を使わなければ毒の効果が発生しません。知識ある者が悪意ある者にそのことを授けたのだと感じます」


 頭を下げながら、朝霧は淡々と報告と己の考察を述べる。それを柊は静かに聞いていた。


 「その知識ある者で、悪意ある者に与した者の当たりはつきましたか?」


 柊が尋ねる。朝霧はにやりと笑った。


 「少し、お時間をください。今日、私は典薬寮に()()()()()を仕込んでまいりました」


 朝霧の笑いにつられるように柊も微笑みを返す。


 「それは楽しみです」


 柊は扇で口元を隠した。それでも目が笑っていることを示していた。


 「皇后陛下にお尋ねしたいことがございます。今上陛下は病を経てから、変わられました。それについて何かご存知なのでは?」


 朝霧の問いに柊の目がすっと冷たくなった。先程まであどけない少女のように笑っていたというのに。もともと柊は若宮を出産したというのに体型が崩れることもなく、美貌が衰えることもなく、瑞々しい少女のようなかんばせと雰囲気を纏った皇后だった。


 「今上陛下は以前は、皇后陛下こそが唯一の妻であり魂の伴侶であると公言なされていました。それが今や中宮様の元へも通われています」


 ただの心変わりだと思ってもいいのか。何故だか、朝霧はそれを信じられなかった。それは一途な愛という崇高さを崇拝しているわけじゃない。


 「数代前から中宮様の実家である巳家からの入内が続いています。今上陛下は、これ以上血を濃くしないために中宮様と子を成すことは絶対にしない。そうであったのではないのですか?」


 朝霧の推論に、柊は反論するでもなく肯定するでもなく黙っていた。


 「今上陛下は以前とは決定的に変わられてしまった。異常である、と思わずにはいられません。皇后陛下は何か隠し事をなされている」


 それは問いではなく、断言。柊は朝霧の覚悟を見たのか、ふっと笑った。凍てつく冬が溶けて春が訪れるような笑みだった。


 「では、その謎の真実に辿り着き、あなただけの真実を手にしなさい。それまでは、私のことを陛下のお心を繋ぎ止められなかった愚かな女とでも思いなさい」


 まだ「試されている」のか。朝霧は悔しさが滲んで唇を噛んだ。信用していると言ったのは口だけだったのか。いや、これから朝霧が信用を勝ち取っていかねばならない。


 「謎を解いてみせます」


 「期待していますよ」


 柊は微笑みを絶やさなかった。この人の微笑みは武器なのだと直感的に思った。微笑んで、相手を黙らせる。優雅にして鋭利な武器だ。

 

 「以前、皇后陛下の飲み物に砒霜を入れるにはどうしたらよいかと尋ねられましたね。その言葉が気になり、砒霜を中心に帳簿を調べたところ、砒霜を含む薬が不自然に処分されていました。また附子も行方が分からぬものがあります」


 附子という単語に柊は眉を動かした。


 「その行方の分からぬ附子の行方なら知っていますよ。巳家の分家、巳笠原(みかさはら)大納言の指示で、私を暗殺するために取り寄せたのでしょう」


 巳笠原大納言は中宮派の重鎮の一人だった。太政大臣の右腕とも呼ばれる人物だ。


 「それにしてもわざわざ典薬寮から誤魔化してくすねるなんて阿呆ですね。自生しているものを取れば無料タダなのに」


 柊の皇后らしからぬ庶民的な反応に、朝霧は緊張が解けていくのを感じた。宮中とは意外に狭いのだ。偉くなればなるほど、自分の手の中だけで事を進めようとする。わざわざ自生している鳥兜を取りにいくなんて考えつかないのだろう。


 「私が仕込んだ毒が回るのをとくとご覧ください」


 朝霧はそう言って柊を見つめた。この人を絶対に信用させてみせると決意を固めて。


 朝霧が仕込んだ毒が、効果を発揮したのはそれから数日後のことだった。皇后の女官の不審死に関する噂の続報だ。呪いだと抽象的なものだった噂は皇后が邪魔になった女官を()()によって殺害したものと変化した。


 「皇后陛下の出身の北の地は日常的に附子を使った狩りを行っていたようですから、手軽な毒だったのでしょうなぁ!」


 この噂を嬉々として広め、声高に吹聴していたのは巳笠原大納言であった。この噂の出所を確かめた朝霧は、柊に「典薬寮に潜む知識ある者とその者が情報を流した悪意ある者がわかりました」と報告した。




 ***



 「朝霧殿」


 典薬寮の視察に訪れていた朝霧に楉爾じゃくじがこっそりと話しかける。


 「行方不明の附子の件ですが、まだわからないのです。お力になれず申し訳ありません」


 「いえ、大丈夫ですよ。楉爾殿。ちょうど、楉爾殿と会えないかと思っていたところです」


 朝霧が微笑むと、楉爾は「えっ!」と声をあげて頰を赤らめた。朝霧が手を握ると、楉爾の指先が震えた。声が詰まったように話始める。


 「もしや、朝霧殿も私と同じ気持ちなのでしょうか」


 楉爾の問いに朝霧は曖昧に微笑む。


 「楉爾殿に私の胸のうちをすっかり話してしまいたいのです。どうか、ひと気のない場所に…」


 薬殿の裏にある、日陰でしか育たない薬草を育てる薬草園に朝霧は楉爾を連れて来た。


 「朝霧殿…話とは…」


 楉爾が我慢ならないと言ったように口を開いた瞬間に、朝霧は木製の笛を吹いた。ピィーと甲高い音が鳴り、それを合図に潜んでいた弾正台の役人たちが飛び出して楉爾を取り押さえた。


 「朝霧殿、何を!」


 楉爾は喚いたが、朝霧はそれを冷静に見下ろした。


 「あなたを今から弾正台の詰所に連れて行き、刑部省に引き渡します」


 朝霧の言葉を楉爾は理解できないというような目をした。


 「冤罪です!」


 楉爾は叫び、弾正台の役人たちに自分の拘束を解くように伝えるが、余計に拘束が厳しくなるだけだった。


 「他言無用だと言いましたよね、楉爾殿。私は皇后陛下の女官の不審死に附子が使われていたと言いました。でもそれを言ったのはあなただけなのですよ。巳笠原大納言が吹聴している附子を使った皇后の陰謀とは、どこから漏れたのでしょう」


 「知りませんよ。 月光宮の何処かから漏れたのではないですか?」


 楉爾はあくまで自分の無罪を主張し続けた。


 「私は同じ話を典薬寮の他の人間にもいたしました。典薬頭には、曼陀羅華と。毒空木、夾竹桃、河豚毒、蝮毒など毒の部分は別にして、どの毒が使われたと噂になるのか調べたのです」


 それを聞いて楉爾は青褪めた。自分が罠にかかった事、そしてもう自分は狩られた獲物であることが分かったのだろう。


 「あとは我ら弾正台にお任せください。必ず此奴と巳笠原大納言を皇室侮辱罪で捕らえましょう」


 弾正の一人がこちらに礼を取った。朝霧も礼を返す。附子以外の毒の噂も出回るようなら、複数人の裏切り者が典薬寮にいる証明となったが、噂になったのは附子だけだ。他の皆は口を噤んだ。裏切り者は楉爾だけだったのだ。


 あとは弾正台の職分になるため、朝霧は手を出せない。楉爾だって立派な典薬寮の役人だった。典薬寮でしか扱わない青朽葉の効能──湿性の炭など特定の条件下でのみ毒になる事を知っていただろう。


 典薬寮に潜む知識ある者は楉爾。悪意あるものは巳笠原大納言だ。だが、どうして柊は附子の行方が分かったのだろう。




***




 朝霧は月光宮に戻ると、女官の不審死の事件について洗い直すことにした。毒に使われたのは沈香の変種、青朽葉。水で処理することによって湿炭で焚いたことによる殺害。


 「皇后陛下にお願い申し上げます。件の女官の検屍を行ったのはどなたでしょうか」


 朝霧は柊に拝謁した時に尋ねた。柊の膝には齢三歳になる若宮、さくが遊び疲れて眠ってしまっており、その柔らかな髪を穏やかに柊は撫でていた。月光宮という私的な空間であることと朝霧が若宮に危害を加える人間ではないことから、同席している。


 「今上陛下の侍医である藤花公澄(ふじはなのこうちょう)殿です」


 朝霧は柊の返事に妙な違和感を覚えた。帝の御典医がわざわざ皇后付きの女官の検屍を行うだろうか。少し職務から外れているような気がする。その違和感を感じたことが顔に出ていたのか、柊は続けた。


 「私には味方が少ない。公澄殿は口が固いし、彼女の死因を広める方ではない。今上陛下が最も信頼なされている方の一人だし、私も信頼している」


 微笑みを浮かべ誰でも受け入れるかのように見せて、実は疑り深い柊に、信頼しているとまで言わしめる方なのだから本当にそうなのだろうと朝霧は納得した。


 「公澄殿の書いた検屍記録を私も閲覧できないでしょうか。できれば、実際にお会いして話したいことがございます」


 「わかった。公澄殿に伝えておこう」


 柊がそう言った時に、朔が身じろぎをして大きなあくびをした。その様子を慈しむように柊は見つめた。


 「そろそろ私は失礼いたします。若宮様を寝かしつけてください」


 「ありがとう、朝霧」


 柊は朔を抱き上げる。女房や乳母たちが仕事をとらないでくれ、と嘆いている姿は何度か朝霧も見たことがあった。柊は子育てに関しても異例尽くしの事をしていて、本来ならば乳母が乳をあげるところを、皇后自らが乳をあげて育てたらしい。


 朔も人見知りの激しさから、懐いている女房も少なく、時折母を求めて泣くという。


 「ははうえ、公澄が来るの?」


 目をこすりながら、母親譲りの水晶のような大きな瞳を開けた朔を見て柊は困ったように笑った。


 「朔ったら、寝たふりをして話を聞いていましたね」

 

 「よくわからないけど、公澄が来るんでしょう?」


 朔は話の中に出てきた公澄という人物名だけを理解できたようだ。朝霧としてはまだ幼い朔に、検屍という単語が理解されなくてよかったと思った。


 「ははうえ、小夜さやはどこに行ってしまったの?」


 朔の言葉に、柊は目を見開き瞳が揺れた。動揺していることが、朝霧にはわかったが、朔はその僅かな変化に気づけなかったようだ。小夜とは、亡くなった女官の名前であると知ってはいたが、朔が懐いていた数少ない人の内の一人であることは知らなかった。


 「…小夜は暇を貰って家族のもとに帰りました」


 柊の言葉は少し震えていた。


 「いつ帰ってきますか?」


 朔が無邪気に尋ねる。その様子が痛々しくて、朝霧は無意識のうちに胸の辺りを押さえていた。朔には女官の不審死の事件も、皇后への誹謗中傷も、何も知らされていない。外部の悪意から柊が、そして女房たちが守り抜いてきたのだ。


 「もう帰っては来ないのです」


 柊は出来るだけ傷つけないように優しく頬を撫でながら朔にそう教えた。帰っては来ない、と聞かされて朔の瞳には涙が溜まっていた。


 そのまま泣き出すかと、思われたが朔は涙を拭き鼻を啜る。


 「小夜が家族のもとで幸せならいい」


 朔は涙を堪えてそう言った。柊は泣きそうになりながらも破顔し、「そうですね。よい縁談話がきたのでしょう」と朔の頭を撫でた。この人が涙を堪えながらも強かに微笑む様子に、朝霧は母性という言葉だけでは片付けられない信念を感じた。


 後日、朝霧は公澄と対面した。衣冠姿の白髪混じりの老獪そうな人物で、医者というよりは軍部の参謀のような瞳の鋭さがあった。


 「皇后陛下の女房、朝霧と申します」


 朝霧が礼を取ると、公澄も礼儀を尽くす人間には礼儀を尽くすのか「公澄と申す」と頭を下げた。


 「朝霧殿は典薬寮の後輩だと聞く。私の検屍記録に不備でも見つけたのだろうか?」


 公澄の瞳が鋭く光る。それだけで彼は自身の仕事に矜持を持っていて誇りを持って職務に当たっていることがわかった。そのことが、柊に気に入られた要因だろう。


 「不備を指摘するなど、そんな大層なことは致しません。ただ私がこの事件を調べるに当たって、検屍記録を確認したいだけにございます」


 「良いでしょう。こちらが検屍記録の書簡にござりまする」


 手渡された書簡に朝霧は目を通す。銀の簪を口内に入れ、和紙と酒粕で密閉。銀に腐食あり。細筆で舌をなぞると黒ずむ。香炉に残った灰から湿性を帯びていた。濃く甘い香りの中に鉄錆のような異臭。沈香の変種、青朽葉であると特定。


 公澄の検屍記録は彼が優秀だということを示していた。柊が、朝霧を試すための謎かけを仕掛けてきた時に、沈香が青朽葉であると知っていたのは、公澄から教えて貰ったからだろう。


 「青朽葉は、本来皇后陛下を狙ったものだと聞きます。なぜ、この日皇后陛下は無事に生き延び、女官だけが死んだのでしょうか」


 青朽葉は、皇后の安眠のため皇后の寝室で焚かれていた。


 「若宮様の夜泣きで乳母や女房たちの手に負えず、皇后様自ら、若宮様のもとに向かわれたのです。その間、不寝番だった小夜という女官は香炉の管理をするため寝室に残っていたのです」


 公澄の事件当日の夜の説明に、朝霧は偶然の若宮の夜泣きが皇后の命を救ったのだという事を知った。


 「若宮様のことも心配だ。お父上である、今上陛下が病に倒れられてから不安定になり、言語の遅れや排泄障害を抱えておられる。これが未来の日嗣の御子とは…嘆かわしい」


 公澄の言葉に、朝霧は怒りの火花が散ったような気がした。


 「お言葉ですが、公澄殿。若宮様はまだ幼いですし、何もそこまで言わずとも良いではありませんか!」


 感情的になった朝霧に対し、公澄はこれだからお前は未熟なんだと言わんばかりの顔をした。女は月のものの血の巡りで、怒りやすくなるだとか、感情的になるといったことを考えているのだと感じた。


 「若宮はただの幼子ではない。将来、この皇国すめらぎのくにを導いて行かねばならない。普通の幼子のように泣いたり、母に甘えるといったことは許されないのだ」


 帝になるのなら、公澄の言ったことはある意味では正しいのかもしれない。しかし、理屈ではなく感情で、朝霧はこれにどうしても反論したくなった。あの朔の無垢な心を守りたいと思った。

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