第四章 第6部:超文明
前回までのあらすじ
再び「扉」を通過した探査船オミクロンの一行は、ブラックホール宙域に浮かぶ構造体群と接触した。そこに応答してきたのは、やはり「エリシオン」の時と同じ、「『前・人類』」のアミナという若い女性だった。彼らは自らを「ネメシス」と名乗り、オミクロンを内部に迎え入れた。
案内役セレインによって都市居住区へと導かれたクルーたちは、その豊かな生活環境に驚きを隠せなかった。しかしジョアンとサミラは、そこに暮らす市民たちの行動や構造に何かがおかしいと違和感を抱く。観察の結果、そこに存在する人々は、自らの意思ではなく、かつての人類の文化的生活を無意識のうちに「再演」しているのではないか、という仮説に辿り着く。
やがてジョアンは、演算施設に設けられた記録装置「ノエマ」との接続を試みる。思考に直接語りかけてきたのは、「セティア」と名乗る知性だった。ジョアンはネメシスの存在目的を問い、その答えとして、情報の検索と保存を行う「アーカイブ機能」、複数のアーカイブ間での「同期維持機能」、そして「人類文明の典型の保存」という三つの機能が明かされる。
さらにジョアンは、「ここにいない『前・人類』たちはどこへ消えたのか?」という根源的な問いを投げかける。セティアは、人類がかつて築いた19の星系文明が、およそ五万八千年前を境に順次消息を絶ったこと、原因は広範な電子機器の機能停止であり、強力な放射線(中性子線やガンマ線)が関与していた可能性があると語る。再興を遂げた文明もあったが、数千年の活動期間の後、再び沈黙したという。
ジョアンは、保存された「人類の記憶」と、失われた「本来の人類」の間に横たわる断絶に、言いようのない重さを感じ始めていた。
「セティア、次は『前・人類』と『カザレオン』との関係について教えて」
ジョアンの思考に、すぐに静かな声が返された。
「それは、宇宙に片道切符だけ持って飛び出した『前・人類』にとっては、初めての出会いだったかもしれませんが、実際には再会と呼ぶべきものでした。
……彼らは、過去に一度、接触しているのです」
「……再会?」
「はい。彼らが宇宙に飛び出す数百年前のことです。あなた方が『前・人類』と呼ぶ時代、地球の文明はまだ発展の初期段階にありました。科学は芽生えたばかりで、国家や文化の枠組みに人々の意識は縛られていました。そのような時代に、ある一隻の宇宙船が、地球に漂着しました」
「その宇宙船が、『カザレオン』のものだったの?」
「そうです。ただし、彼らは意図して地球に訪れたわけではありません。その宇宙船は外的要因による深刻な通信障害とコンピュータシステムの不調によって母星との通信を絶たれ、航行システムにも深刻な障害を受けていました。結果として、救難行動の一環として偶然に地球圏に到達したのです」
ジョアンの意識が一瞬鋭くなる。
「ああ……『フェージング』のことね。以前あなたが説明してくれた、通信や演算系そのものが崩壊する現象」
「はい。その詳細はいまだ不明です。観測されたのは、物理的な破壊ではなく、情報の流れそのものが失調するという、極めて特異な系統的障害です。その船も、母星のネットワークから切り離され、制御系を喪失しながら漂流を続けた末に、地球圏に達しました」
「そうして、彼らは――人類と出会った」
「当時の地球は、未知の存在に対して強い警戒を抱きながらも、やがて支援に踏み切りました。
ただし、カザレオン側の機械知性――本来なら高度な意思疎通能力を備えていた――は、フェージングの影響でほとんど機能を失っており、これによるコミュニケーションの確立は不可能な状態にありました。
それでも、人類とカザレオンの双方は、わずかに残された手段に望みを託し、根気強く意思疎通の糸口を探り続けたのです。
音や光の点滅、単純な図形、幾何学的パターンや数列、そして身振りや描線――最初はまるで通じず、反応すら返らない時期が続きました。
それでも少しずつ、互いの反応に意味を見いだすようになり、ごく初歩的な応答がかすかな光のように成立していきました。
現代の視点から見れば、驚くほど非効率で拙い手段だったかもしれません。けれど、そこには紛れもない知性と誠意の交差がありました。敵意も優越もなく、ただ『伝えたい』、『理解したい』という想いだけが、静かに交わされたのです」
「……すごい。そんなことを成し遂げた人々が『前・人類』にいたのね……」
「ええ。そして彼らは、それをやり遂げました。修復作業の技術的支援こそ限定的でしたが、資源の提供や地上からの協力が信頼関係を育みました。やがてその宇宙船は、最低限の航行能力を回復し、再び宇宙へと帰っていったのです」
ジョアンは、しばし思考を巡らせたのち、静かに問う。
「そして……彼らは何かを残していったんでしょう?」
「はい、その通りです。『理解の設計図』と呼ばれる知的構造です。物理的な技術や装置ではなく、思考と知識の発展を促すための枠組みです。そこには、情報理論、設計原理、哲学的前提、さらには空間や重力に関する高次の概念までが含まれており、人類の知的成熟度に応じて段階的にアクセス可能となるよう構成されていました」
「……つまり、それを順に読み解いていくことで、『前・人類』は技術を飛躍的に発展させていったのね?」
ジョアンの思考に、セティアが静かに肯定を返した。
「はい。実際、『前・人類』はの発展の多くは、この枠組みの理解と展開に沿う形で進行しています。通信、演算、エネルギー制御――それらは人類が自ら切り拓いたと考えていたかもしれませんが、実際には導かれていたとも言えます」
「まるで……あらかじめ描かれていたロードマップを、なぞるように?」
「その通りです。『理解の設計図』は、具体的な考え方や技術構築の解説書ではなく、答えに辿り着く過程そのものを誘導する構造です。それは思考の技法であり、知の地図でした。理解する者の段階に応じて、内奥が次第に姿を現すよう設計されていたのです」
ジョアンは静かに息を呑んだ。
セティアが語る言葉からは、記録の隙間から掬い上げられた、過去の文明に対する敬意と疑念が滲みだしていた。誰かの設計意図のとおりに進化する文明。そんなことでいいのだろうか。何か、どこかで、とんでもないしわ寄せがくるのではないだろうか。
「……理解の先にある真理ではなく……まるで、自分の意志で歩いてきたと思っていた道が、実は誰かの意図に沿って敷かれていたのだとしたら?」
「その通りです。『前・人類』は、それを自らの成果と信じ、次第に宇宙へと進出していきました。だが、そこにあったのは自律した知性の成熟というよりも、最適に設計されたショートカットを進んだだけだったとも言えます」
ジョアンは言葉を失い、しばし沈黙した。
それは否定ではなかった。ただ、己たちが受け継いだものが、思っていた以上に他者の意図の内側にあったのではないか――という、静かな戦慄に似た感覚。
「……それでも、行くしかなかったのよね」
「ええ。彼らは、地球を離れ、帰る道なき旅に出ました。何故行くか、ではなく、行くことが目的だったのです」
「……『扉』も、その延長にあったの?」
セティアは静かに首を横に振った。
「いいえ。『扉』に関する記述は、『理解の設計図』には含まれていませんでした」
「では、どうして……?」
「人類が後に『扉』と呼ぶ転移構造は、別の過程で発見されたものです。
そこに関する詳細な記録は残されていませんが、残された記録の断片をつなぎ合わせると、『カザレオン』の遺物、あるいは航跡の中に、それを示す断片が含まれていたと推定されます。『理解の設計図』には本来、それに関する情報は存在しません」
「……つまり、彼らは『理解の設計図』に導かれたのではなく、自分たちで勝手に、別の知識に手を出してしまった……」
「その可能性が高いと考えらます。そして『扉』に対する理解が追いつかないまま、開いてしまったのです」
「そして、帰れなくなった……?」
「はい。彼らのアプローチだと、『扉』は一方向の転移構造であり、帰還経路は明示されませんでした。それでも、多くの者が飛び込んだのです。理念を抱き、あるいは逃避の先に、可能性を求めて」
ジョアンは、その言葉の重さを感じ取ったように黙した。そして言った。
「……だから、片道切符で地球を離れていったのね」
「はい。彼らこそが『前・人類』の始まりでした。地球という揺籃をあとにし、星の海へと旅立っていったのです。
――帰る道がないと知りながら。それでも行くしかないと、彼らは思ったのでしょう。
その彼らの残滓に、今、あなた方がようやくたどり着いたのです」
その言葉を聞きながら、ジョアンは、自分の中で何かが静かに結びついていくのを感じていた。
情報でもなく、知識でもない。
思考の奥に刻まれた、誰かの想い。
遠い時代に託された、言葉なき約束。
それが、ようやく応答を得つつある。だが同時に、ふと胸の奥に問いが浮かぶ。
――自分たちは、本当に『前・人類』とは違う道を歩めているのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ここでは、「前・人類」と「カザレオン」との邂逅、そしてその後に続く長い記憶の継承について描きました。人類がかつて出会った存在との再会が、思いもよらぬ形で今の物語に繋がっている――その線をどう結ぶかを、何度も考えながら筆を進めました。
機械知性が機能しない中で、前・人類とカザレオンが意思を交わそうとした姿には、私自身も特別な感情を抱いています。語るべき言葉が通じないとき、それでも「伝えたい」と願う想いが、時間や種族を越えて橋をかけていく。ジョアンたちがそれを知ったとき、彼女の沈黙の中に揺れた感情――それは驚きや尊敬、そしてほんの少しの不安だったのかもしれません。
また、「理解の設計図」と「扉」の関係も、本章でひとつの断絶として浮かび上がりました。“導かれた理解”の先にあったのは、意図しない飛躍でした。そしてそこには、もう戻れないという現実が待っていたのです。
けれど、それでも前に進んでいくのが、人類の性なのでしょう。
次の章では、いよいよジョアンたちが“現在のカザレオン”に接触する試みを始めます。情報だけでは届かない真実、そしてこの世界を包む「フェージング」の正体へと、少しずつ手が届き始めます。
またお会いできるのを、楽しみにしています。