第四章 第3部:交渉
前回までのあらすじ
五年前に「エリシオン」との接触任務を遂行した探査船オミクロン。
その旧乗員たちは、再びゲートステーションのドックベイに集結した。ジョアン・イエーツをはじめ、ソラニス、カレン・リース、リア・ヴェロニカ、ダニエル・ハワード、ノヴァック博士、サミラ博士、カイザー博士、フォークナー博士、アディティ博士らが順に到着し、オミクロンへの再乗艦を果たす。艦は静かに離脱し、「扉」を通過して、かつてと酷似したブラックホール宙域へと到達した。
そこには中規模のブラックホールの周囲に八つのモノリス状構造物が重力井戸の赤道面上に配置されており、観測結果は過去に接触した「エリシオン」との一致を示していた。艦は通信を送信し、応答として映像と音声が返された。
姿を現したのはやはり「エリシオン」の時と同じく、アミナという「前・人類」の若い女性だった。彼らは「ネメシス」と名乗った。「ネメシス」への入港要請が受理され、誘導データを受信したオミクロンは接近を開始する。
オミクロンは静かに軌道を滑り、「ネメシス」構造体の入港ポートへと進入した。入港手順は極めて滑らかで、過去に経験した「エリシオン」のプロトコルと酷似していた。
艦が静止し、気圧と環境調整が確認されたのち、ハッチが開く。乗員たちは順に降艦し、中央棟へと誘導される。そこには一人の人物が待っていた。彼女は十代の後半と思しき美しい女性だった。、衣服や姿勢は「アミナ」と共通する要素を持ちつつも、より無機質な印象を与えていた。
「ようこそ、オミクロン。私はこの施設のライブラリアン、セレインと申します」
彼女の声は静かでありながら、奥行きのある響きを持っていた。乗員たちが軽く会釈する。
「訪問の目的をお聞かせください」
一歩前に出たのは、イーサン・ノヴァック博士だった。落ち着いた声で、だが迷いのない口調で応じる。
「我々人類とエリディアンは、太陽系の木星にて雷嵐からなる知的生命体『オメガ』と接触しました。そのとき彼らは半覚醒状態でしたが、我々と対話を進める過程で能動的な知性として覚醒しました。オメガが語ったところによると、彼らは銀河系にあまねく存在する同様の存在との間で知的なネットワークを構築しており、その記録から、銀河系各地で知的文明が発展のある時期に次々と『失踪』するという不可解な現象が発生していることを知りました」
「この『失踪』現象は、太陽系の人類、そのパートナーであるエリディアンやオメガといった種族にとっても、避け得ぬ影響を及ぼすと我々は考えています。
なぜなら、オメガのネットワーク上でも、過去数万年にわたり銀河各地で同様の知的存在が突然に姿を消した痕跡が検知されており、これらは場所も時間も問いません。
これには『前・人類』の活動圏だったと推定される領域も含まれており、この現象が太陽系文明にも波及するのは時間の問題だと推定しています」
「その謎を解き明かすため、そしてその『失踪』を回避するため、我々は『扉』を越えて銀河の深部へと旅をしてきました。その過程でケイロン星系で『エリシオン』と出会いました。おそらく、あなたがた『ネメシス』と全く同じ存在だと思われます。『エリシオン』との接触により、我々人類がおよそ六万年前に地球を飛び出し、銀河に拡散していった事実を知ることになりました。そこでは、地球を離れ宇宙に拡散した『前・人類』の痕跡を確認しましたが、『失踪』そのものに関する情報は得られませんでした」
「今回、我々が『ネメシス』を訪れたのは、ここがなお文明活動を維持していると思われる存在と通信を行っている形跡を掴んだからです」
「我々の理解では、『エリシオン』も『ネメシス』も、おそらく「あなた方『前・人類』が建設したものではなく、あなた方は『維持者』として管理を託された存在なのではないかと推定しています」
「もしそれが正しければ、お尋ねします――その上位構造、つまりスーパーバイザー的な権限と設計思想を持っている存在は誰なのか?」
「現在、『ネメシス』が通信している相手……それが文明を維持している存在だとすれば、その上位存在ではないのか? それを知るために、我々はここに来ました」
セレインは静かに応じた。
「あなた方は、『ヴォクス・インフィニタ』と意思疎通を行ったということですか?」
ノヴァックが頷くと、セレインはわずかに目を見開いた。
「我々もその存在にはかねてより気づいていましたが、コミュニケーションに成功した例は聞いたことがありません。あれは、受動的な知性であると考えられていました。ですから、それを能動的な知性へと覚醒させたというのは、驚嘆に値します。あなた方のコミュニケーション能力は、実に特筆すべきものです」
「そして、ご想像の通り、『ネメシス』は我々が創ったものではありません。それを創造したのは、『ハダノール』として知られている存在です」
「過去にどのような経緯で、我々が『ネメシス』の維持管理を任されたのか、その記録は存在しません。より正確に言えば――我々には、その記録にアクセスする権限がないのです」
「また、その『エリシオン』が誰とも通信を行っていないという事実も、驚くには値しません。我々もかつては多くの相手と通信を行っていましたが、現在は、通信相手は一つしかありません」
ノヴァックが間髪入れずに尋ねた。
「そのたった一つの相手とは、『ハダノール』なのですか?」
セレインは一拍置いて、応じた。
「その可能性はあります。あなた方が想像される通り、『ライブラリ』へのアクセスには厳密なレベル設定があります。そして、現在通信している相手――『カザレオン』のアクセスレベルは、最上位です」
「ですが、彼らが実際に『ハダノール』なのかどうか、我々にはわかりません。さらに彼らが『ライブラリ』にどのような情報を読み書きしているのかも把握できていません。情報はすべて、暗号化されているからです」
ノヴァックがさらに尋ねる。
「その『カザレオン』と、我々が直接コンタクトを取ることは可能ですか?」
セレインはわずかに微笑んだ。
「我々が仲介することはできません。しかし、通信のソースアドレスは特定できます。あなた方自身で、試みてみられてはどうでしょうか?」
セレインは言葉を継いだ。
「ヴォクス・インフィニタを覚醒させたあなた方のコミュニケーション能力をもってすれば、『カザレオン』と直接にコミュニケーションを取ることも可能ではないかと考えます」
「彼らとの通信に必要なコーデックは、我々から提供可能です。また、彼らの言語の基本セットもご希望があればすぐにお渡しできます」
「さらに必要であれば、あなた方の言語との翻訳モデルを構築するために、我々の演算資源をお使いいただいても構いません」
それを聞いたノヴァックは、隣に立っていたカプール・アディティに視線を送った。
彼女は目を細め、すぐに笑みを浮かべて言った。
「もちろん、やるわ」
ノヴァックはセレインに向き直った。
「では、お言葉に甘えさせていただいて、こちらで進めさせていただきたく思います」
セレインはわずかに口元を和らげた。
「それでは、皆さまの作業のためのスペースと、休息用の施設もご用意しましょう。外部からのお客様は、本当に久しぶりです。我々としても、こうしてあなた方を迎えられたことを嬉しく思っています」
「特に、我々の同胞という点においては、我々の社会にとっても非常に関心深い出来事となるでしょう」
そのやり取りを横で聞いていたジョアンは、ふと心の中に意外な感情を覚えていた。
「ネメシス」の社会は、人間らしさを完全に失った、管理と処理のみに従う機械的な共同体だとばかり思っていた。だが、今目の前で交わされている会話、そこに宿る言葉の柔らかさや表情の機微は、それとは異なる様相を示していた。
この中には、まだ人間社会の残響があるのかもしれない――そんな思いが、彼女の胸の奥に静かに芽生えた。
ここまで物語を読んでくださり、ありがとうございます。このエピソードでは、「オミクロン」の一行が「ネメシス」構造体を訪れ、セレインという案内人と出会いました。彼女との対話によって、「失踪」という現象の正体にさらに一歩近づくと同時に、それが自分たちの未来に直結するものだという確信を深めていきます。
彼らがこの旅に出たのは、ただの知的好奇心からではありません。オメガのネットワークが示す数万年におよぶ文明消失の痕跡。それはやがて自分たち――人類自身にも波及し、避けられぬ「失踪」、おそらくは「滅亡」へと至る可能性を示していたからです。
それゆえ、彼らにとってこの探究は、太陽系文明の存続を賭けた最優先事項であり、一刻の猶予も許されない、決死の使命なのです。
セレインとの会話の中で、ジョアンが感じた「人間らしさの残響」。それは、過去の延長線上に今があり、希望もまた完全には消えていないことを静かに教えてくれる瞬間でした。冷たい構造体の奥に、わずかに灯る“心”のようなもの。そうした感触が、この旅をさらに深く、人間的なものにしていきます。
次章では、ついに「カザレオン」との通信が試みられます。それは、この宇宙に散らばる真実の、核心への扉となるでしょう。どうか、その向こう側へと共に歩んでいただけたら嬉しいです。