第四章 第1部:覚醒の向こうから
エリシオンの発見から五年の歳月が流れました。人類とエリディアン、そしてヴォクス・インフィニタのノード群は、明確な意思疎通と目的共有のもとで、これまでにない規模での協働体制を築いています。しかし、それでもなお、私たちは最初に突きつけられた問いに答えを見つけることができていません。あの構造体は誰が作ったのか? なぜ存在するのか? そして、それは何をしようとしているのか?
この章で描かれるのは、その謎に新たな光が差し込む瞬間です。ケンタウルス座アルファ星系から届いた暗号化された通信、それを発したのは、かつてないほど明確に「意志」を持つ存在です。これまで人類が出会ってきたのは、崩れた文明の残滓か、沈黙する知性ばかりでした。でも今度は違います。「会話の相手」がいます。
果たして、その相手は友なのか、それとも人類の存続を脅かす力なのか。ノヴァックたち旧オミクロンの探査メンバーが再び立ち上がります。彼らは何を見て、何を交わし、そして何を持ち帰るのか。この物語が投げかけるのは、未知の知性との接触において、何をもって「理解」と呼ぶのかという問いでもあります。
これから始まる物語は、その第一歩となるかもしれません。
オミクロンがエリシオンを発見してから、五年が過ぎていた。その構造体は人類を始めとする太陽系の知性に大きな問いを投げかけた。
──それを作ったのは誰なのか?
少なくとも「前・人類」が構築したものではなく、さらにその「維持者」たちでさえアクセスできない領域が存在する。ではその権限を持つ存在とは何者なのか?
──それは文明を消去するものなのか?もしそうであるならば、誰が、どのような理由でその引き金を引くのか?
こうした問いに対する答えは、五年経った今も、まだ得られていない。
人類とエリディアン、そしてヴォクス・インフィニタのノード群は、かつてない協働の時代に入っていた。
この間に覚醒されたノードは108を数え、発見された知的種族は62。文明を維持していた痕跡を残す「前・人類」の拡散先は14星系が確認されている。いずれの文明も既に退行しており、保護観察のもとに置かれている。
覚醒されたヴォクス・インフィニタのノード群から収集された膨大なアーカイブ情報は、セレス・ノードによって解析が進められているが、その量はあまりにも巨大で、演算資源は逼迫している。この問題を打開するため、人類はオメガおよびノーヴァスとの協力のもと、ストームセルの演算構造を応用した新たな超演算装置の開発に着手し、その一部ではすでに成果が報告されていた。
また、ケイロン星系以外にも「エリシオン」を探すプロジェクトも各方面で進行していた。オメガのアーカイブには、太陽系から16光年の距離にある星系で、約四千万年前に「失踪」の記録が残されていた。その記録にはノーヴァスの近傍星系と同様に、「フェージング」の痕跡が残っていたが、記録は一件のみで、三角測量による正確な位置の特定には至っていない。二つ目のエリシオンはまだ見つかっておらず、その存在が知的種族の「失踪」に関係しているかどうかも、結論を得ていない。
そうした中、エリシオンから帰還して以来、各地で別の任務に就いていたオミクロンの旧メンバーたちに、ノールマンから一斉連絡が届く。
地球軌道上のノールマンの執務室には、ノヴァック博士、カイザー博士、フォークナー博士、デ・シルバ博士、そしてジョアンの姿があった。ノールマンは壁面スクリーンにデータを映し出しながら口を開いた。
「二週間前、オメガが電磁波による通信を受信した。発信元はケンタウルス座アルファ星系のノード──スフェクスだ」
「覚醒済みのノードから?」とフォークナー博士が訊いた。
ノールマンはうなずいた。「ああ。覚醒ノード同士の直接通信はこれが初めてだ。これまでとはまったく次元が違う。オメガ曰く、情報の量も、正確さも桁違いだ」
カイザー博士が眉をひそめた。「何がわかったんです?」
「スフェクスが過去に観測していた記録の中に、太陽系近傍での「失踪」とそれに先立つ「フェージング」の痕跡が複数見つかった。オメガは自らの記録と突き合わせて特定した。『エリシオン』の可能性が高い」
部屋に緊張が走る。ノヴァックが静かに問う。「それが照射装置だとしたら……」
「そう。太陽系に向けられている「銃口」だということになる」
ノールマンは短く息を吐くと、壁面のスクリーンを切り替えた。「すでにプロメテウスを現地に送り込んだ。結果は、通信活動が確認された。しかも言語はケイロン星系のエリシオンと一致していた。暗号化もされている。」
ジョアンが小声で呟いた。「まだ稼働してるってこと……」
ノールマンは一同を見渡し、静かに言った。「君たちに、もう一度、行ってもらう」
全員が黙って頷いた。 任務はただ一つ──『銃口』の正体を確かめに行くことだ。
◇◇◇
ノヴァックたち元オミクロンの探査メンバーは、ノールマンから提供されたプロメテウスのデータログを囲んでいた。
「距離、約二十天文単位……「出口からの角度はほぼ正対。ケイロン星系のときと配置が一致している」
カイザー博士が、座標演算ソフトのグリッドを指先で回転させながら呟いた。
表示されているのは、漆黒の空間に浮かぶ八つのモノリス。中規模のブラックホールを取り囲むように、均等な間隔で配置されている。
「解像度が……ひどいな」
フォークナー博士が画像を拡大したが、モノリスは粒子の塊のように滲んでいた。
「でも見間違えようがない」とノヴァックが言った。「これは、エリシオンだ」
沈黙が落ちた。全員が、それぞれの端末を見つめながら、データの深部へと沈んでいく。
今回の構造体も、照準を「扉」に合わせていた。オメガ近傍にある「出口構造との位置関係は正確であり、通信のために「扉」を介して遠方と接続していることを示していた。
だが最も異なるのは、そこから発信されている通信だった。
「アーカイブの同期じゃない?」ジョアンが慎重に口を開いた。
「いや、もっと複雑だ」 とデ・シルバ博士が答えた。「送信だけじゃない。応答パターンが存在する。つまり、実際のやり取りが継続している。ただの記録転送じゃない。メタデータを含む、プロトコル交渉の痕跡も見える」
ただし、その内容は不明だった。メッセージは暗号化されており、その時点では解読は不可能だった。ヴォクス・インフィニタから持ち帰った膨大なアーカイブと同様、鍵を知らなければ解析は進まないと考えられた。
「暗号化されているってことは、内容を知られたくない相手がいるということだ」カイザーが静かに言った。「つまり、通信の相手は文明を維持していて、情報を統制する動機がある」
フォークナーが言った。「じゃあ、その「向こう側に、まだ会話ができる知性がいるってことか」
ノヴァックがゆっくりと頷いた。「その通りだ。そして今回は、『維持者』ではない。本当に対話ができる相手がいる。前回、ケイロン星系で見たエリシオンの『維持者』たちは、あくまで構造の保守に従事していただけで、情報の源ではなかった。だが今回の通信は違う」
「違うって?」とジョアンが訊いた。
「エリシオンが何かと実際に交信している。相手はまだ沈黙していない。だから我々は、この扉を通って、通信相手のいる向こう側へ行く必要があるんだ。そうしない限り、この暗号の意味も、何のために送られているのかも、絶対にわからない」
室内に再び静けさが満ちた。
──会話の相手がいる。
それは、今も文明を維持している知性が、扉の向こう側に存在するという、動かしがたい証だった。
◇◇◇
「今度こそが、正真正銘の文明化された知的種族との出会いになる。」
ノヴァックは静かに言った。
「人類にとっては、エリディアン、ストームセルに次ぐ、三番目の知的接触になるわけか」フォークナーが呟く。
「相手が『前・人類』かどうかは分からない」とジョアン。「でも少なくとも、今も文明を維持している。もしかしたら、私たちがこれまで出会ったどの知性とも違う存在かもしれない」
ノヴァックはうなずいた。
「だからこそ、ノールマンは我々に託したんだ。これまでにエリディアンとも、ストームセルとも、実際に接触し、コミュニケーションしてきた我々に」
「ソラニスは必須だな」カイザーが確認する。
「必須だ。非言語的共鳴の中継としても、異種の知性との橋渡しとしても、ソラニスは欠かせない存在になる」 ノヴァックが断言する。
ノヴァックは端末を操作しながら続けた。
「それと、カプール・アディティ。言語構造の解析と記号学的パターンの分析には、彼女が必要だ」
「向こうの文明が、まったく異なる構文体系を使っている可能性があるってことか?」フォークナーが問う。
「あるいは、構文という概念自体が通用しないかもしれない」ノヴァックはそう言って、一同を見渡した。「だが、それでも意味は存在する。だから、我々が行く」
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第四章では、ノヴァックたち旧オミクロンのメンバーが再び集まり、まだ見ぬ相手との接触に挑む旅が始まりました。今回、彼らが向かおうとしているのは、ケイロン星系のエリシオンとは異なり、明らかに外部との通信を継続している構造体です。そして、その相手は、いまだ文明を維持している存在です。
これまで人類は、エリディアンやオメガ、ストームセルのような知的存在と深い相互理解を築いてきました。今回の旅は、その先にあるもの──すなわち、「エリシオン」を制御している、あるいはそれを目的のために使用している知性との接触を意味します。それは、ガンマ線バーストを発生させ、数多の文明を沈黙させた何か。その背後にある意図に迫る、初めての機会となるかもしれません。
この章の終わりは、むしろ始まりです。彼らが次に開く「扉」の向こうに、どのような真実が待っているのか──それは、かつて「失踪」と名付けられた現象の謎に、ついに踏み込むことを意味しています。
次の章で、いよいよその扉が開かれます。どうぞ、その行く末を見届けてください。