第四章 プロローグ:そして、声は残された
本書を手に取っていただき、ありがとうございます。
ここから始まるのは第四章の物語ですが、その前に、これまでの旅路を一度振り返っておこうと思い、このプロローグを設けました。
第一章から第三章では、人類がはじめて異星知性――エリディアンと出会い、そして木星に眠っていた超高度知生体「オメガ」を目覚めさせるまでの過程が描かれています。
その出会いはやがて、銀河全体に広がる超知性ネットワーク――ヴォクス・インフィニタの存在と、文明の「失踪」という深刻な問題を浮かび上がらせることになります。
とはいえ、この第四章から読み始めても、まったく問題はありません。
むしろ、ここを起点にして、後から第一章から第三章を読み直していただくことで、時間軸を遡るように物語を再構成する読み方も可能です。
このプロローグは、そのための橋渡しでもあります。
三隻のアーク――アルファ、リュクス、ノヴァは、それぞれ異なる星域へ向かい、それぞれ異なる知性との出会いを記録しました。
記録は蓄積され、応答はまだすべて返ってきてはいません。けれど、確実に、何かが始まっている。
このプロローグでは、その軌跡をたどり、そして新たな一歩へと続く扉をそっと開いていきます。
少し長い回顧になるかもしれませんが、どうか安心して読み進めてみてください。
きっとその先で、なぜこの物語がここにたどり着いたのか――そして、なぜここから再び始まるのか、その理由が見えてくるはずです。
――失われた声をたどり、いま扉の向こうへ
22世紀半ば。
人類は、土星の衛星タイタンにおける探査活動の最中、メタンの海の底に静かな文明を築いていた種族――エリディアンと出会った。
彼らは、人類とはまったく異なる認知体系を持っていたが、「共鳴」という独特な方法によって、意思の疎通が可能となった。
エリディアンは、土星の表層を覆うストームセル(雷嵐)に、微細な秩序や意識の兆候を見出していた。
さらに彼らは、木星にはるかに進化した知性が潜んでいる可能性を示した。
人類とエリディアンは手を取り合い、木星へと向かった。
そこで彼らは、半覚醒状態にあった超高度知生体――「オメガ」を目覚めさせる。
覚醒したオメガは語る。
自分を含め、銀河各地のストームセルが超知性ネットワーク――ヴォクス・インフィニタを構築していること。
オメガが明かしたその存在と記憶は、恐るべき事実を浮かび上がらせた。
銀河中の数多の知的種族が、忽然と姿を消している。
それは数百万年から数億年にわたり、繰り返されてきた。
理由もなく、痕跡すら残されていない。
人類は気づき始める――
これは、かつて答えを得られなかった「フェルミのパラドックス」、
すなわち「なぜ宇宙に知的種族が見られないのか」という問いに対する、現実的で、そして深刻な答えなのかもしれない。
その「失踪」は、人類、エリディアン、オメガにも降りかかってくることは、ほぼ必然のことのように思われた。
オメガは言う。
この謎を解くためには、銀河に分布するヴォクス・インフィニタの「ノード」、
すなわち半覚醒状態にある超高度の知性と、その無限の記録の保管庫を一つずつ目覚めさせていく必要がある。
そのためには、「扉」と呼ばれる時空構造の亀裂――ゲートウェイを通じて、
超光速で各ノードへと到達できる手段が求められた。
オメガは、その技術の実現可能性を示す。
人類とエリディアンは協力し、「生きた宇宙船」――コヒーレンス・アークを建造した。
完成した3隻のアーク。
ARC-1「アルファ」、ARC-2「リュクス」、そしてARC-3「ノヴァ」は、それぞれ異なるノードへの旅に出る。
それは、知性という存在の存続をかけた、銀河規模の探索の始まりだった。
◇◇◇
ARC-1「アルファ」が到達したノード47において、人類は三つのガス惑星から成る集合知性「ノーヴァス」との接触を通じて、ある惑星に人類と遺伝的に極めて近似した知的種族が存在していることを知る。
彼らはかつて文明の崩壊を経験した後、記憶も記録も失った状態から文明を再構築している最中であり、その発展段階はまだ初期的なものだった。
このため、彼らから「失踪」の真相を聞き出すことはできず、むしろ人類の介入がその自然な進化を阻害する懸念すらあった。
こうした判断のもと、探査チームは非干渉方針を選び、静かにその文明を見守ることにした。
ARC-2「リュクス」は、ノード104「レミナンス」に到達した。
そこでは通常の覚醒手段が通用せず、音楽療法に似た共鳴刺激を用いることで、かすかに残された記憶の層へアクセスすることに成功した。
レミナンスの記録には、三つの異なる星系において知的種族が突然“失踪”した出来事が記されていた。
それらは発生した場所も時期もまったく異なるにもかかわらず、すべてのケースで共通して、失踪の直前に「フェージング」と呼ばれる広域通信障害が発生していた。
さらにその分析から、各星系を襲ったフェージングはいずれも、銀河北側の特定宙域から、極めて狭い角度で到来したことが明らかになる。
このビーム状の伝播経路を時空的に逆解析することで、人類は共通する「発生源」と思しき一点の座標を突き止めた。
この発見は、失踪の原因に迫るための決定的な突破口となった。
ARC-4「オミクロン」は、「扉」の出口から進入した先に広がるブラックホール宙域の調査を進め、
その周辺に八つの巨大なモノリスによる構造体が精密に配置された稼働中の施設――「エリシオン」を発見する。
それらの構造体は、極めて高い技術水準によってブラックホールの周回軌道上に安定して配列されており、
現在もなお、外部に向けて定常的な中継信号を発信し続けていることが確認された。
この信号には、外部に知的存在がいるかどうかを確かめるための応答要求に加え、通信手法の概要や初期言語の解析に必要な語彙・構文の情報が含まれており、
相手が誰であるかを問わず、あらゆる知性との接続の可能性を前提とした自動対話の起点として機能していると考えられた。
これは、かつて存在した知性に向けた「呼びかけ」であると同時に、いまも誰”の応答を待ち続けている痕跡でもあった。
エリシオン内部への接近が許可され、調査隊は応対者「アラ・メレフ」、および知識管理者「セイ・ルアス」と接触した。
彼らは美しい、「人間」の少女であり、少年だった。
そして隊員たちは、すぐに理解する。
彼らこそ、六万年前に地球を去り、消息を絶った「前・人類」の末裔――あるいは、その姿を保ったまま存続し続けていた存在たちなのだと。
エリシオンの内部には、社会や家族といった人間的構造を失いながらも、機能として文明を保ち続けている「人のかたちをした知性」が確かに生きていた。
彼らはすでに個の意志を持たず、役割を遂行するために存在する「維持者」だった。
そして彼らは、失われた文明と過去の記録を、ライブラリの深奥で管理していた。
三つの文明の失踪。
三度にわたって観測された、ブラックホールの降着円盤における明確な質量欠損。
そして、それと時期・座標を一致させるように記録された高エネルギーのガンマ線バースト。
これらの現象は、それぞれ無関係に起きた偶発的な事象ではなかった。
すべてが、まるで誰かの「判断」によって文明が「撃たれた」かのような、冷酷な整合性を備えていた。
そしてついに、人類はその中心構造――ブラックホールのエネルギーを利用し、ガンマ線バーストを人工的に、かつ指向的に照射しうる機構の存在をエリシオンの内部に確認するに至る。
それは、明らかに文明を「消去」するための手段であった
◇◇◇
オメガは、人類とエリディアンによって目覚めさせられた。
彼は、ヴォクス・インフィニタを構成する一員として、自身の星系での出来事をダイジェストとして、他のノードへ送信していた。
それは、極めて高度に洗練された情報伝達手法だった。
人類とエリディアンという異なる知的種族と出会ったこと、
そして自らが「鯨夢」――深い静止状態から覚醒するに至った経緯が、詳細に記録されていた。
今回のダイジェストは、いつもとは異なる構成をとっていた。
いつもであれば、外界の観察や対話の記録にとどまる内容だったが、
今回は、自らが経験した覚醒のプロセスそのものも含まれていた。
この構成は、他のノードに強い反応を引き起こした。
受け取ったノードは速やかに鯨夢の状態から目覚め、自己を再統合する。
そしてオメガが求めた通り、自らの星系で発生した知的種族の「失踪」に関するあらゆる情報を、遺漏なく送り返すようになっていた。
この情報伝達は、極めて高精度かつ有機的だった。
だが、それでも物理法則の限界――すなわち光速という壁からは逃れられなかった。
オメガの近傍に位置するノード「スフェクス」は、ケンタウルス座アルファ星系に存在する。
オメガの覚醒からおよそ四年後、スフェクスはダイジェストを受信し、覚醒を果たした。
そしてさらに四年をかけて、スフェクスはオメガに情報を返信した。
オメガは、八年越しにその応答を受け取ることになる。
何十億年という時間を存在してきた彼にとって、その八年は取るに足らぬ一瞬にすぎなかった。
だが、そのわずかな時間さえ、人類にとっては決して短くはなかった。
ここまでプロローグを読んでくださって、ありがとうございます。
このパートでは、これまでの旅路をあらためて整理し、物語の大きな流れを再確認していただきました。
ARC-1では、人類に似た種族との非干渉の接触がありました。
ARC-2では、言語も常識も通じない知性との音楽による共鳴が試みられました。
ARC-4では、前・人類の痕跡と、「文明を撃つ」かもしれない装置の存在が明らかになりました。
オメガは目覚め、いまや彼自身が語る者となり、問いかける者になっています。
八年という時間をかけて受け取った“応答”が、何を意味するのか。
その先に何が待っているのかは、まだ誰にもわかりません。
ここで描かれたのは、終わった物語ではありません。むしろ、ようやく本格的な第四章が始まろうとしています。
過去を振り返ったことで、今はっきりと見えてきたものがあります。
だからこそ次は、その続きを描かなければならない。
どうか、このプロローグの先に続く物語を、これからも見届けていただけたら嬉しいです。