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第四章 第8部:新たなる航路

前回までのあらすじ

ブラックホール宙域の構造体「ネメシス」に到達したジョアンは、記録装置「ノエマ」を通じて知性体セティアと対話を重ねる中で、「前・人類」と異星種族「カザレオン」との過去の関わりを知る。かつて地球に漂着したカザレオンの宇宙船は、フェージングの影響で母星との連絡を絶たれながらも、地球の人類と原始的な手段で根気強く意思疎通を図り、信頼を育んでいった。


別れ際、カザレオンは「理解の設計図」と呼ばれる知的構造体を人類に託し、それが後の「前・人類」の飛躍的発展の基盤となる。しかし彼らの技術進化は、あくまで他者に用意された「地図」に沿ったものであり、自律的発展とは異なるものだった可能性がセティアから示唆される。


やがて宇宙に進出した「前・人類」は、「扉」と呼ばれる転移構造を発見し、帰還の手段を持たぬまま宇宙へと散っていった。一方、母星圏を失ったカザレオンの生き残りは、フェージングの影響を避けて「アルセイデス」と呼ばれる構造体に隠遁し、やがて前・人類の一派からの通信に応じて彼らを導いた――それが「エリシオン」や「ネメシス」である。


セティアの語りから、ジョアンは「カザレオン」はフェージングに対して直接的な抵抗を試みた存在ではない可能性に気づく。そして、セティアの記録領域ではこれ以上の情報が得られないと知り、ついにジョアンは次の一歩として、「カザレオン」との直接的な接触を決意する。


挿絵(By みてみん)


静かに、演算空間の相が変わった。

アディティ・カプール博士は、ノエマの対話領域からカザレオン言語の学習モードへと接続されていた。


セティアの導きにより、最初に提示されたのは、カザレオンの基本的な言語単位とその構造であった。視覚領域には発音波形のパターンと、それに対応する意味連鎖の概略が表示され、聴覚経路にはリズムと位相のずれを伴う発声サンプルが流れる。


――だが、その試みは、早い段階で困難に直面した。


「セティア、これは……音声だけじゃないのね?」


「はい。カザレオンの言語は、可聴音域の振動に加えて、可視光域の明滅、干渉縞、さらには波形の干渉性を含む複合的な波動情報で構成されています」


「つまり、光のリズムや強度までが意味単位になる……」


アディティはしばし沈黙し、空間に浮かぶ複合波形の変調を眺めた。その動きは美しく、意味を持っていることは感じ取れる――しかし、人間の口では再現できず、耳でも完全に聴き取れない、目は光の色や強弱を感じても、位相変化は捉えられない。


「……これは、通常の言語習得とはまったく違う。模倣すらできないものを、どうやって会話に使えというの?」


セティアの応答は、あくまで中立的だった。


「非カザレオン種族にとって、完全な模倣は非常に困難です。学習支援は可能ですが、習得には相当な変換処理を要します」


アディティは、深く息を吐いた。学習プロセスの続行は可能かもしれない――だが、そもそもそれが最適解なのか?


おそらく、かつて地球に漂着したカザレオンと当時の人類は、生理的な限界をすり合わせることで、両者にとって理解可能な折衷的通信手段――いわば新たな共通語のようなもの――を構築したのだろう。

それは称賛に値する試みだったに違いない。だが、いまここでそれを再現しようとするのは、目的を見失うことではないか。


模倣に時間を費やすのではなく、いま本当に必要なのは、「意図を正確に伝える手段」だ。ならば、方法は別にある。


「……セティア、ちょっと方向を変えていい?」


「どうぞ」


「最初に『エリシオン』に接触したとき、通信形式の選択肢があったわ。記号、音声、画像、それに……ノエマ」


「はい。『アルセイデス』における標準的なコーデックです」


「ということは、カザレオンもその四つのコーデックのどれかで通信しているってことよね?」


「はい。とくに、ノエマは彼らと『アルセイデス』との間で使用される主要な対話手段の一つです」


「なら聞くけど、カザレオンと言葉を交わすには、彼らの言語を完璧に習得していなくても、ノエマを通じて意思疎通できるのでは?」


セティアは即答した。


「その通りです。ノエマは言語構造そのものを変換・整合するインタフェースです。相互理解の前提として、構文・意味・概念レベルでの翻訳が行われます」


アディティの表情に、明らかな安堵の色が浮かんだ。


「……人類とカザレオンが、かつてノエマを通じて対話したことはあるの?」


「はい。最初に『前・人類』の一派がアルセイデスに接触した際、直接的な音声通信が困難だったため、ノエマを介した共通の対話環境が整備されました」


「じゃあ、私たちもそれを使えばいいんじゃないの? 音声で真似ようとするよりずっと合理的よね」


アディティは姿勢を正し、演算空間に向き直った。


「セティア、私はもう言語そのものの習得にはこだわらない。カザレオンとノエマを通じて話す。あなたの助けを借りて」


「了解しました。あなたの認知特性にあわせて、カザレオンとの意思疎通に必要な翻訳処理を調整します」


情報空間の奥に、新たな接続ノードが淡く光を灯した。


「できました」 セティアはこともなげに言う。


それを聞いてもアディティは特に驚かなかった。このテクノロジは人類のレベルを遥かに凌駕している。神の手が何を掴もうと、驚くには値しない。そんな心境だった。


「問題は……何を話すか、ね」


それは、アディティにとって新たな問いだった。発話する手段は手に入れた。だが、そこにどんな問いを込めるのか――それが、次なる課題だった。


◇◇◇


ノエマを通じた対話――それは、言語という媒介を介さない、直接的な概念と感情のやりとりだった。

言葉にする前の衝動、未分化の思考、理屈ではない確信。そうしたものが、そのまま伝わり、返ってくる。

そして、それは同時に、相手にも自分の内奥が――曖昧さも含めて――そのまま透けて見えるということでもあった。


だが、アディティは迷いを見せなかった。

見透かされてもかまわない。むしろ、それこそが望みだった。


こちらが真に知りたいのは――「ハダノール」だ。


セティアとの対話では限界があった。

その存在について、記録は一切残されていなかった。

もしくは、アクセスが許されていないのかもしれない。

だが、「ハダノール」という言葉自体が、「エリシオン」との接触の中で現れたのだ。

「維持者」である「前・人類」でさえ、その名前を知っているということは、カザレオンが

何かを知っていることの確かな証拠だった。


もちろん、カザレオンがその正体を知っているとは限らない。

彼らは、フェージングの脅威を前にして、アルセイデスに避難するという選択を取った。

交渉しようとした痕跡も、戦おうとした形跡もない。

それはつまり、カザレオンが「ハダノール」に何の影響力も持たないということだ。


だが、もし仮に――

もし、このアルセイデスという構造体そのものが「ハダノール」の手によって作られたものであるならば。

そこには、明確な技術的接点があることになる。


となれば、「ハダノール」とは、少なくとも「神」などではない。


そして、交渉の余地がある存在なのだとすれば――


会話が可能である限り、わたしたちはまだ試みることができる。

その可能性はゼロではない。


ならば、カザレオンに尋ねるべき問いは、たったひとつだ。


「ハダノールとは、何か?」


アディティは、思考の深部でその言葉を強く刻んだ。

今度こそ――真正面から、問う。


この宇宙の静寂の奥に潜む、未知なる知性の名を。

そして、それが、終わりではなく、

この宇宙のどこかに開かれた、もうひとつの「始まり」であることを――強く、願っていた。


このエピソードでは、アディティ・カプール博士がカザレオンとの対話を試みる過程を描きました。

当初、彼女は正攻法としてカザレオンの言語と文化を学ぼうと試みました。しかしその言語体系は、人類の可聴音域や視覚認知を超える「波動」の構造を基盤としており、音声や視覚による模倣ではとても再現できないことがすぐに明らかになります。


それを受けてアディティは、従来の言語習得を断念します。

そして発想を転換し、ノエマ――思考そのものをやり取りできる対話インタフェース――によって、カザレオンと意思疎通ができる可能性に着目します。セティアの返答は肯定的なものでした。実際、「前・人類」もかつて同じ方法を使ってカザレオンと交流していたというのです。


こうしてアディティは、言葉そのものを覚えるのではなく、思考を通わせるという道を選びます。

その判断は、彼女が単に効率を求めたのではなく、「伝える」という行為の本質を見極めた結果でもありました。


いよいよ、彼女がカザレオンに問うべき核心が見えてきます。それは、「ハダノールとは何か?」という問いです。

フェージングの謎、文明の崩壊、アルセイデスの創造。すべての背後に影のように存在するこの名もなき知性に、カザレオンは何を知っているのか。


次章では、ついにその対話が始まろうとしています。

どうかその行方を、最後まで見届けていただければ嬉しく思います。


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