『雀の報恩、プレスマンのこと』
昔、春のうららかなある日、六十歳ほどの老女が、シラミ採りをしていた。雀が庭を歩いていたところ、子供が石を投げ、その石が当たって、雀は腰の骨を折ってしまった。羽をばたばたさせているところに、カラスが駆け寄ってきたので、老女は、大変だ、カラスに食べられてしまう、と思って、雀を助けて、手でさすってやったり、えさをやったり、夜は小桶に入れて寝かせてやった。夜が明ければ米を食わせたり、銅を削って薬として食べさせたりしたので、子供や孫たちが、おばあさんが歳をとって雀を飼うよ、などといって、からかった。
このようにして、老女が世話をしたので、雀はようやく歩けるようになった。恐らく、雀もうれしいと思ったことであろう。老女は、出かけなければならないときは、雀を見てやっておくれ、えさをやっておくれ、と頼んでいくので、子供や孫たちは、おばあさん、何で雀なんか飼うんですか、とからかうけれども、それは、かわいいからだよ、といって、またしばらく飼っていると、飛べるようになった。このくらい飛べれば、カラスに襲われることもないだろうと、外へ出て、手に乗せて、飛べるかな、飛んでごらん、と、手を高く差し上げると、ふらふらと飛んでいった。老女は、毎日毎日、明ければ食べさせ、暮れれば寝かせてやっていたので、ああ、飛んでいってしまった。また帰ってくると思うけれど、と何度も何度も言うので、周りの人に笑われた。
さて、それから二十日ばかりたって、雀の鳴く声が聞こえたので、あの雀が帰ってきたのかと思って、外へ出てみると、本当にあの雀であった。私を忘れずに帰ってきたのだね、と声をかけると、雀は、老女の顔を見て、口から何か小さなものを落とし置くようにして、飛び去っていった。老女は、何だろう、雀が落としていったものは、と言って、寄って、見てみると、ヒョウタンの種のようである。雀がわざわざ持ってきてくれたのは何か意味があるのだろうと思って、大切に取っておいた。子供たちが、おばあさんったら、雀が持ってきたものを宝物にしているよ、と言って笑ったので、老女は、だったら植えてみよう、といって植えたので、秋になると、大層多く実がなったが、見たこともないような大きな実であった。老女は、喜んで、知り合いに配って回ったが、とてもなくなることがないほど実っていた。特に大きい七つ八つは、ひしゃくにしようと吊り干しておいた。
しばらくして、もう十分乾いただろうと思って、見てみると、よく乾いていたので、口を切り落とそうとしたが、十分に乾いているはずなのに、妙に重い。不思議に思ったけれども、切り開けてみれば、あるヒョウタンにはプレスマン、別のヒョウタンにはプレスマンの芯、また別のヒョウタンには半紙が詰まっていた。思いがけないことで驚いたが、全部のヒョウタンから中身を全部出してみたところ、さらに驚いたことには、またプレスマンやら芯やら半紙やらが詰まっている。これは普通のことではない、雀が恩返しをしてくれたのだ、と不思議に思いながらもうれしく思い、ヒョウタンの実は、ふだんは隠しておいて、なくなったら出してきて、道具箱に移し移ししながら使ったり売ったりしていたが、尽きることがないので、老女は、生活が楽になり、周囲の者たちがうらやむほどであった。
この老女の隣に住んでいる老女の子供が、同じおばあさんだけれど、人というのは違うものだ、などというので、隣の老女は、雀の老女のところへ行って、さてはて、これはどうしたことでしょうか。雀がどうのと聞いていますが、詳しくは知らないので、何があったのか教えてくださいよ、と尋ねたが、雀の老女は、雀が種を一つ置いていったのを植えてみたら、実ったのです、と答えた。もっと詳しく教えてください、と言われたので、隠すのも心狭く思われるかもしれないと思って、かくかくしかじかで腰の骨が折れた雀を飼って、助けてやったのを、雀が感謝したのか、ヒョウタンの種を一つ持ってきたので、植えたところ、こうなったのです、と言うと、隣の老女が、その種を一つください、と言うので、雀の老女は、プレスマンは分けて差し上げられましても、種は差し上げられません、と言って与えなかったので、隣の老女は、どうにかして腰の折れた雀を見つけて飼おうと思って、探したけれども、腰が折れた雀など見つからない。毎朝早く起きて、雀を見ていたが、水場に米粒が落ちているのを雀がついばみに来ているのを見つけて、石を取って投げたところ、たくさんの雀の中に幾つもの石を投げたので、石が当たって飛べなくなったのがあった。隣の老女は喜んで、この雀を拾い上げ、しっかりと腰の骨を折ってから、えさをやり、薬を与えた。一羽の雀でさえ、福をもたらすのだから、その数が多いほど、服が多いに違いないと思って、米をまいて、集まってきた雀に石を投げると、あと二羽の腰折れ雀を捕まえることができた。三羽もいれば十分だろうと思って、桶に入れて、銅を削って食べさせて、何カ月かたつと、三羽とも腰の骨も治ったので、隣の老女は喜んで、雀を放ったところ、三羽ともふらふらと飛んでいった。もちろん、雀のほうは、わざと腰を折られて、何カ月も閉じ込められて、隣の老女を憎いと思っていた。
さて、十日ほどたって、この雀たちが帰ってきたので、隣の老女は大層喜んで、口に何かくわえていないかを見たところ、三羽ともヒョウタンの種を一つずつ落として去っていった。隣の老女は早速、それを植えたところ、普通のヒョウタンよりも早く育って、すぐに大きくなった。しかし、実はたくさんは成らず、一つの種からとれたのは、七つか八つであった。隣の老女は、笑いながらヒョウタンを見上げ、子供たちに、お前たちは私のことを何もできないおばあさんだと思っていただろうけれど、なかなかどうして大したものだろう、と言うと、子供たちも、実にそのとおりだと思った。隣の老女は、ヒョウタンの数が少なかったので、誰にも分け与えなかった。子供たちが、どうしてもとねだるので、半分ばかり与え、子供たちは近所にも配ったが、とてもまずくて食べられたものではなかった。近所のものが、具合が悪くなったと言って文句を言いに来たが、隣の老女の息子たちは、同じ原因で、起き上がれないほど苦しんでいるところであったので、近所の者は諦めて帰った。隣の老女は、まだ熟していないのに食べたからだと思って、あとは全部吊り干した。
十分に乾いたので、隣の老女は、お道具箱を用意して、笑いを隠せない様子で、ヒョウタンの口を次々と切っていった。中からは、アブ、蜂、ムカデ、トカゲ、ヘビなどが出てきて、隣の老女や子供たちを刺し、あるいはかんで、最後には皆死んでしまったという。
教訓:人をうらやんではいけない。いや、というか、雀の腰を折るなんて。