エリン頑張る
ナイジェルとオーガスタ夫人の視察は特にトラブルもなく終了した。
俺にとっての事件が起きたのは4日後の夜。自分の部屋で居た時に、エリンが入ってきた。夜着の上にガウンを羽織っている。
「どうした?エリン」
ベッドから起き上がって聞く
「積極的に動きに来ました」
「積極的?」
「言いましたでしょう?これからは積極的にまいりますと。ですから夜這いをしに来ました」
「真っ赤な顔で言われても」
ベッドに横になる。
「夜這いだったか?してもらおうか」
「えっ。あの、えっと」
少し意地悪を言ってやると、面白い位に狼狽えた。
「くくっ。ほら、こっちに来い」
起き上がってベッドサイドに誘うと、真っ赤な顔でギクシャクと近付いてくる。
「そんなに緊張して、夜這いに来たと言われてもな」
「がっ、頑張ります」
「頑張る物でもないんだよ、こういう行為は」
「でも……」
「良いか?エリンは俺の中では、ずっと後を付いてきていたあの頃のままなんだ。ずっと妹だと思っていた。エリンから好きだったと言われて、この間、改めて告白されただろう?エリン以外なら適当にあしらえるんだ。身体を投げ出してきたら適当に相手をしてそれで終わりだ。でもな、エリンは違うんだ。上手く言えないんだが」
「希望は持ってもいいのでしょうか?」
「エリンが待てるならな」
エリンの額にキスをすると、ますます真っ赤になった。
「もう寝ろ。明日は休みだったか?」
「はい。ジェイソンさんにお料理を教わる予定です」
「近所の奥様方やお嬢さん達を集めての、料理教室か」
「はい。ジェイソンさんって本当にお料理がお上手ですよね」
「何を作るんだ?」
「秘密です」
「エリンの手料理、楽しみにしている」
「はい!!」
いい返事といい笑顔でエリンは出ていった。
今回は話を逸らせて部屋から出したが、この分だと日を置いてまた来そうだな。エリンに言った事に嘘はない。嘘はないんだが……。
エリンを他の女性と同じには扱えない。娼館の娼婦達は商売だし、彼女達の初めてのお相手を頼まれた事もあるが、それとは全く話が違う訳で。エリンは無邪気に俺の心に入り込んで、無邪気に俺を振り回していた。いつまでも可愛い妹で、とにかく想像出来なかったわけだ。小さな妹が少女になるのはともかく、女になっているなんて。どこかでその可能性を否定していたのかもしれない。
それからエリンは3日に1度の頻度で夜、俺の部屋に来るようになった。誰かに唆されたのか、夜着も扇情的な物だったり東洋の前で合わせるタイプだったりしている。
そんな格好で顔を真っ赤にして迫られると、抑制が効かずに喰ってしまいそうになる。本人も家族もそれを望んでいるんだし、喰っちまっても良さそうなもんだが、抑えているのは、今は平常時じゃないというその1点のみだ。
「エリン、ちょっと真剣な話をしようか」
その夜も踊り子のような格好で俺の部屋を訪れたエリンに、そう言って座らせる。
「ドゥルーヴ様、これでもダメですか?」
「駄目とかそういう話じゃない。エリンが俺を好きだと言ってくれるのは、正直に言って嬉しい。だが、今は時期が悪い。今は平常時じゃない。聖国を包む黒い霧がいつこちらに流れてくるか分からない。俺は戦う事を期待されている。人々を守って戦う事をだ。その中でもエリンは常に守りたい人の中心にいる。それでは満足してもらえないか?」
「満足、ですか?」
「身体を使わずに俺を落としたんだ。それでは不満か?」
「落としたって……?えっ」
「仕方がないから負けてやる。事態が終息したら覚悟しておけ」
「はっ、はいっ」
「そんな緊張しなくていい。女性の扱いはそれなりに慣れている」
「そうですよね。ドゥルーヴ様はたくさんの女性を知っていて、私なんて」
「私なんて等と言うな。エリンはエリンだ。他と比べても良いことはない」
「はい」
「でもまぁ、予約だけしておくか」
「予約?」
キョトンとしているエリンの細い頤に指をかけて上を向かせ、唇を重ねる。軽いキスだったんだが、唇を離した後のエリンの潤んだ瞳を見ると、抑えが効かなくなりそうで慌てて身体を離した。
「ドゥルーヴ様?」
「今日はここまでだ。早く眠った方が良い。それともここで寝ていくか?」
「しっ、失礼しますっ」
慌てて飛び出していったエリンの足音が隣に消えるのを待って、ベッドに座り込んだ。
危なかった。あのまま本能に負けて押し倒すところだった。
エリンを今抱いてしまえば、自分の言った事が嘘になる。今は平常時じゃないから抱けないなんて言うんじゃなかった。
夜は更けたが、養家にだけ手紙をしたためる。内容はエリンと結婚するという報告。逃げ回っていたし、養父達の呆れる顔が目に浮かぶ。それでも報告だけはしておかないといけない気がする。朝になったら伝令鳥にして飛ばさないと。
翌日、起きて居間に行くと、ジェイソンのニヤニヤ笑いに出迎えられた。
「ジェイソン……」
「おめでとうございます」
「何を聞いた?」
「ドゥルーヴさんとお付き合いをする事になったと」
「お付き合いか。エリンらしい言い方だ」
「ご結婚されるという事でよろしいのですよね?」
「俺はそう考えている」
「ドゥルーヴさんは、という事は、エリンさんは違うと?」
「たぶんそこまで考えてないと思う。お付き合いの先にあるものに考えが及んでいない気がする」
「それで、エリンさんとは?」
「考えている事は分かるが、キスしただけだ。今は平常時じゃないからな。俺がいつ出撃ないといけなくなるか分からない」
「そうですね。今日はどうなさいますか?」
「領城に行く。呼び出しを受けているんだ」
「呼び出しですか?」
ジェイソンの考えている事は分かる。マーティンもナイジェルも家やハリアーの家に来ているし、呼び出さなくても用があるならそうした時に伝えれば良い。
「辺境伯からだよ。特殊な依頼らしい」
「はぁ。お気を付けて」
「どんな依頼かは分からないが、十分に気を付けるさ」
朝食の後、ハリアーと領城に向かう。
「おぉ、呼び出して悪いな、ハリアー、ドゥルーヴ」
「構いませんよ、オヤジさん、どうしたんだ?」
イグレシアス辺境領に来てからもう長くなってきたし、辺境伯とはアカデミーからの付き合いがある。最初はどちらも多少余所行きな感じで話していたが、今じゃこんな調子で話している。
「特にはこれと言って用事はなんだがな」
「無いのかよ」
「強いて言えばアスラン国の方に視察に行きたいな、と思っていてな」
「着いてこいと?」
「なんとか言う獣人と知り合いなんだろう?」
「ハミトか?」
「その獣人達の居る所と我が領の境に、行きたいんだが」
「行きたいんだがって、最初からそのつもりだったんでは?」
貴族の事は分からないが、領主が視察にというのなら、それなりの準備が必要なはずだ。
「一緒に行ってはくれんか?」
「今は緩衝地帯の魔物、魔獣対策も冒険者が増えて手は足りてるしな」
「行ってくれるか?」
喜色満面なオヤジさんにややゲンナリとしつつも、ハリアーが同行を了承する。
魔導車で領城を出る。運転はお抱えの運転手だ。さすが専門家。運転が滑らかで乗っていて不安がない。
「今日は商業ギルドの研修だな」
「研修?」
「ネスケア領まで行くんだよ。2~3年目の職員を連れてね。ネスケア領は海があるから、文化が独特でね。こことは取り扱う品が違ったりするから、その勉強だね」
「なるほど」
エリンも行ったかもしれないな。
ハミトの居る集落との境は岩がゴロゴロと転がる荒れ地になっていた。
「ここも緩衝地帯になるんだよな?」
「そうなるが、岩を退けないと住居が建てられんし、農業も出来ん。だからどちらも手を出しかねておるのが現状だな」
「岩を退けられたら?」
「あまり領土が広がってもな。王は出来ればアスラン国に押し付けたいらしい。あちらは住めん土地は要らんと言うし」
「緩衝地帯というよりは、不干渉地帯って訳か」
「上手いことを言うな」




