異変
その日の夜遅くにカシムが回復した。カシムの胸の上に置いた聖石は黒ずんで輝きを失っていた。
「シルベスタ隊長?」
声を出すのも億劫らしい。横になったままだがシルベスタ殿を認めたらしく、細い声で呼んだ。
「カシム、何があった?」
「分からないんです。日毎に頭が重くなって何も考えられなくなって」
魔導車の外に出て、ムハッレビを作る。ジェイソンに教えてもらったレシピだ。米粉とミルクで作るプリンで、砂糖を控えめにしてある。本来はここにバラ水やナッツやカルダモンをトッピングする。今回はトッピングは一切無し。
「ムハッレビを作ってきた。食べられるようなら食べた方がいい」
「貴方は?」
「冒険者のドゥルーヴという。そのムハッレビの味は保証する。何度も作らされたからな」
「あぁ、キャリーが食べていたアレか」
ハリアーが俺の後ろから顔を出す。
「冒険者のハリアーだ。この先の事はシルベスタ殿と話し合ってくれ。俺達は外に居るから」
魔導車の車内に2人を残してハリアーと外に出る。
「この後はどうする?」
「カシムの話次第じゃないか?シルベスタ殿がどう判断するか、それによって変わる」
「そうだよな。イグレシアス辺境伯様に依頼されたのは、言ってしまえばシルベスタ殿の護衛って事だろう?」
「シルベスタ殿に護衛は必要ないと思うがな。魔獣が群れで来たら少々苦しいだろうが」
「まぁ、魔獣の群れは1人で対処するものじゃ……。ハリアー、来るぞ。ダイアウルフだ」
「了解。お仕事をしましょうかね」
魔導車の中のシルベスタ殿に、ハリアーが声をかける。
「シルベスタ殿、ダイアウルフが出た。カシム殿を頼む」
「数は?」
「目視出来るのは3頭だが、ドゥルーヴによると茂みに隠れているのが後3頭居るらしい」
「どうしてそんな事が分かるんだ?」
「危険察知と気配察知だな。後は魔力感知も組み合わせている」
ハリアーと周りを見回す。魔導車の周りは結界石で守られているが、放っておく訳にいかない。
「ハリアー」
「あぁ。ドゥルーヴ、最初は頼んだ」
頼まれたからには応えてみせよう。突進してくるダイアウルフの足元に、鋭いトゲのイバラを成長させる。ギャンっとダイアウルフが悲鳴をあげた。
「茂みの方は頼む」
「了解」
茂みを急速成長させてダイアウルフに絡ませる。ガサガサと茂みが派手に揺れた。隠れている方は茂みに拘束させておいて、ハリアーの方に加勢する。
ハリアーに飛びかかろうとしていたダイアウルフの眉間に魔弾を放つ。怯んだダイアウルフをハリアーが斬り捨てた。
茂みに囚われていたダイアウルフの方からギャンっという複数の鳴き声が聞こえた。ボリボリと嫌な音もする。
「グレーターダイアウルフ?」
茂みの方を見る。口を血で真っ赤に染めた大きな狼がこちらを見ていた。結界があるから魔導車は安全だろうが、コイツはどこから現れた?気配察知にも危険察知にも引っ掛からなかった。
「ドゥルーヴ」
3頭を斬り捨てたハリアーが隣に立った。
「グレーターダイアウルフだと思うんだが、確信が持てない」
「グレーターダイアウルフにしては禍々しさがないな」
「茂みのダイアウルフは?」
「コイツが喰ったようだ」
グレーターダイアウルフから魔力が伸びた。まっすぐ俺に向かってくる。
「ドゥルーヴ!!」
「知っている気配がする」
「知っている?」
獣人達の里の白いファングボアに似た雰囲気を感じる。穏やかな気質が感じ取れた。
「あの白いファングボアと同類か?」
グレーターダイアウルフが尻を落として座った。座っても顔は俺の頭より上にあるんだが。
「危険は無いのか?」
「無さそうだな」
「白いファングボアって何だ?」
「後で話す。もう夜が明けそうだ。シルベスタ殿達の話はどうなったんだろうな」
「さぁな。朝食は任せて良いか?領主様に連絡をしておく」
「簡単な物しか出来ないぞ」
「食えりゃ何でも良いさ」
ふ、と横を見ると、グレーターダイアウルフと目が合った。今は伏せて居るが、存在感がものすごい。樽を出してその中に水を入れる。
「口回りが血で染まってるぞ。洗うといい」
素直に樽に口を突っ込んでガフガフとしていた。あれは口元を洗っているのか?鼻まで突っ込んじゃ苦しいだろうに。
朝食にパンケーキとソーセージを焼いて、スクランブルエッグを作る。見られているな。視線の圧が凄いんだが。
「欲しいのか?」
フイッと視線を逸らされた。シルベスタ殿に言っておかないとな。
「ドゥルーヴ殿、その狼は?というか、狼なのか?」
シルベスタ殿が魔導車から出てきた。
「グレーターダイアウルフだと思うんだが、確信が持てない。魔獣特有の禍々しさが無いんだ」
「確かに禍々しさは無いな。聖国の伝説にはフェンリルという狼が出てくるが」
「これがそうだと?」
「あれはおとぎ話の類いだ。いくらなんでもフェンリルと言うことは無いだろう」
「気になるのは、コイツには結界は関係ないって事なんだ」
「どう言うことだ?」
「この結界石は魔物、魔獣避けだ。魔獣なら入って来れないはずなんだが、見てみろ。足が入ってる」
「本当だな」
「ところでカシム殿は?」
「疲れたらしい。寝てしまった」
「何か聞けたか?」
「去年の夏、生暖かい風が吹いた。しばらくして王子殿下がこちらに連れられてきた。暫し抵抗されたが、ターキスカイ国に移ってもらう事に同意された。そこまでは私が知っている通りだったんだが、カシムが言うには、その少し後から、辺りが暗くなったそうだ。それと同時に倦怠感が続いて、まともに頭が働かなかったと。ずっと何かに操られているような気持ち悪さがあったらしい。で、気が付いたらここだったと」
2人でため息を吐く。
「分からない事が増えたってことか」
「聖国の問題に巻き込んですまない」
「シルベスタ殿が謝る事でもないさ」
「そういえば、アンテッドが出ると聞いていたが、出なかったな」
「そう言われれば」
ほぼ一晩中起きていたが、アンテッドらしき物は見なかった。街壁の近くに出るだけなのか?
ハリアーが通話を終えたようだ。こちらに戻ってきた。
「朝早かったが、直接報告出来た。今、聖国を囲む各国が動いているそうだ。どの国でもカシム殿と似た症状の人が保護されている。聖石を身に付けていると症状が出難いという事も分かってきたそうだ。いったん帰還せよと指示が出た」
「カシム殿は?」
「連れてきて欲しいそうだ。聖国に残された人々に関しては、心苦しいが今はどうにもできないと」
手早く野営道具を片付ける。狼はそれを見届けたのか、立ち上がった。
「助かった。ありがとう」
礼を述べると、尻尾を一振りして消えた。
「消えた、か。本当にフェンリルだったのかもな」
「まさか。おとぎ話だぞ?」
「そうでもなきゃ説明が付かない」
結界石を回収して、魔導車でイグレシアス辺境領に向かう。
「さっきシルベスタ殿と話していたんだが、アンテッドが出なかったな」
「そうだな。アンテッドは苦手なんだよな。斬れねぇのも居るし」
「レイスな。スケルトンも打撃の方が効くし、ゾンビは弱いクセになかなか決定打にならない」
「シルベスタ殿はアンテッドと戦ったことは?」
「聖国では無かったな。あの国にアンテッドは居ないという事になっている」
「なっている、ね」
街門が見えてきた。街壁回りのテントが増えているように感じる。
「テントが増えていないか?」
「何かあったのだろうか?」
シルベスタ殿が不安気に言う。
「増えているというか、散らばっていたのが集まり出した?」
「そんな感じだな」




