帰宅と契約
親父さんの声に振り向くこともせず、アビゲイルは家を出る。当然、腕を掴まれている俺も一緒だ。
「アビゲイル、冷静になるんだ」
「分かってる。分かってるけど、今さらなんなの?って思ってしまう」
「何を怒っているのか聞いても良いか?」
アビゲイルが俺を掴んでいた手を離す。
「前にも1度あったんだ。私が男と付き合ってるって誤解して、相手の家に怒鳴り込んだの。私が違うって言っても聞く耳を持たなくて。今回もそうだって思ったら……」
「親父さんは寂しいんじゃないか?お兄さん達は家を出ているんだろう?」
「うん。大兄さんは結婚しちゃったし、二の兄さんと三の兄さんはこの街を出て帰ってこない。四の兄さんは隣国で働いてる」
「俺は娘を持ったことはないが、親父さんがアビゲイルを心配する気持ちは分かる。救児院に関わっているからな」
「救児院?」
「出資しているだけだが、たまに顔を出している」
「そうなんだ」
「とにかく、親父さんと話し合え。冷静にだ」
「一緒に来て」
「は?」
「絶対に冷静になんて話し合えない。だから一緒に来て」
必死な様子のアビゲイルに、仕方なく同席を了承した。親父さんがどう思うかは知らないが。
「父さん」
「アビゲイル、戻ったか」
「私、この街を出る」
突然の発言に思わずアビゲイルの顔を見る。親父さんも呆気に取られている。
「出るって、彼と一緒に行くのか?」
「そうしたいとは思ってるけど。ドゥルーヴ、一緒に行っても良い?」
「一緒にって、仕事はどうするんだ?」
「辞める」
「そんなに簡単に辞められる仕事だったのか?香石鑑定士になるのは夢だったんだろう?」
「そうだけど……」
「もう少し考えた方がいい。俺はいったん帰るが、また……、そうだな。15日後に来る。それまで自分のやりたい事、将来的にどうなりたいかをしっかり考えるんだ」
「15日後?」
「あぁ」
「迎えに来てくれるの?」
「迎えにじゃない。冷静になれているかを確かめに来るんだ。良いか?鑑定をする時に余計なことを考えないだろう?感情のままに香石を扱わないだろう?それと一緒だ。一時の感情で全てを決めるんじゃない」
「分かった。その時にまだ、この街を出たいって思ってたら、連れていってくれる?」
「親父さんの許可が出たらな」
「父さんの?」
「それに、1度離れて、やっぱりあの街が良かったと思うかもしれない。だから、決別するんじゃなく、短期間離れてみるという選択肢も考えた方がいい」
「短期間離れてみる……」
「選択肢は1つじゃないんだ。よく考えて結論を出せ」
「分かった」
「すみませんでした。親子の問題に巻き込んでしまって」
親父さんに謝られてしまった。
宿まで送るという申し出を固辞して、1人で宿に向かう。
「話は付いたのか?」
「ハリアー、待っていたのか?」
宿までの途中でハリアーに会った。
「気になったからな」
「いったん親父さんと話をさせることにした。どうもすれ違っている感じがしたからな」
「お前は本当に優しいな」
「面倒事が嫌いなだけだ」
「またまたぁ」
ウリウリと肘で突つかれた。
ハリアーと一緒に夕食を食べに大衆的な食堂に入った。
「それで?彼女と一緒になるのか?」
「そこはまだだな。その前の段階で話が止まってる」
「話がって……」
「街を出るとか言い出すし」
「前の時はどうやって止めたんだっけ?」
「あの時は彼女がつきまといの被害にあっていたからな。2晩を共にして、礼を言われてそれで終わりだ」
「2晩目に喰っちまったんだったな」
「据膳状態だぞ?喰うだろうが。相手もそれを期待していたんだし」
「そうだけどな。相手が期待していたからって、止めておけよ」
「1度だけって懇願されたんだよ」
「1度だけねぇ。お前は本当に1度のつもりだった。でも、彼女はずっとお前を忘れられなかったと」
「らしいな」
「優しいんだかそうじゃないんだか」
「ハリアーも俺の性格を知っているだろう?俺は基本的に自分のしたいようにしか動かない」
「とか言って、頼まれりゃたいてい引き受けるよな」
「損得勘定だよ」
「そういう事にしておいてやるよ」
食堂を出る。
「ザハスが言っていたんだが、アビゲイルはあの当時、つきまといの被害になんかあっていなかったそうだ」
「は?」
「あの顔立ちだ。誘いはあったらしい。でも、つきまといの被害は無かった」
「俺のした事は無駄だった?」
「アビゲイルがお前に惚れて、つきまといにあっていると言ってお前の優しさにつけこんだんだろう」
「確かに早く家を出たいとは言っていたが。父親の後妻と上手くやっていけそうにないと」
「彼女も優しいな。父親の事を考えたんだろうな」
宿に戻って明日の出立の準備をする。広げていた荷物をマジックバッグに入れるだけだが。
翌日、朝早く宿を立つ。今日はいったん家に帰ってその後にアカデミーに行く予定だ。15日後にはまた戻ってこないといけないが。アビゲイルと親父さんのわだかまりが少しは解けていると良いんだが。結婚の意思は無いがどうしても気になってしまうんだよな。
途中の宿泊地を経て、本拠地の家に帰る。家に戻って玄関口を開けていると、ジェイソンが走ってきた。
「ドゥルーヴさん、おかえりになったのですね」
「あぁ、ただいま。変わった事は?」
「救児院のリンさんが何度か来ていました。昨日はロバート君と一緒でした」
「ロバートか。あのやんちゃ坊主はリンを連れていった時から、リンに夢中だったからな」
「リンさんもまんざらでもなさそうでしたよ」
「それは良かった」
「こちらがお留守の間に預かった手紙です」
リビングに落ち着いて手紙を読んでいると、ジェイソンがコーヒーを淹れてくれた。
「旨いな」
「ありがとうございます」
「10日後にまた出てくる。帰ってくる時に客が一緒かもしれない」
「分かりました。お部屋の掃除をしておきます」
「任せっきりで悪いな」
1通の手紙に目が止まる。ギルド長からだ。ジェイソンについて話がしたいとある。
「ギルドに行ってくる」
「はい」
ギルドに行くと、ギルド長室に通された。
「ギルド長、ジェイソンについて、とあったが」
「ジェイソンは派遣ギルドから推薦されて来たというのは、ご存じですよね?」
「あぁ。気の付く男で助かっている」
「こちらを」
数枚の紙を渡された。どうやら派遣ギルドの内情らしい。
「読んでいただければ分かりますが、派遣ギルドは給与の中抜きが酷いようでして、他のギルドと一緒に派遣ギルド長の更迭を行いました。内部の職員もかなり退職させまして、その、今まで紹介した派遣員の行く先が不透明になっていまして。ウチを通した派遣先に話をしています」
「ジェイソンを雇い続けるなら、自分で雇えと?」
「言い方は悪いですが」
「雇用契約はどうすれば良い?」
「ウチの事務員が間に入ります」
少し考える。ジェイソンは有能な男だ。今は俺も稼げているし、出来ればずっと居てほしいと思う。
「ジェイソンと相談して良いか?」
「考えておいてくれますか?」
「あぁ。結論が出たら、伝令鳥を飛ばす」
冒険者ギルドを出て、家に向かう。
「おかえりなさい、ドゥルーヴさん」
「ジェイソン、話がある」
ジェイソンに雇用契約の話をする。
「私に都合が良くないですか?」
「俺が助けてもらっているんだ。こちらからお願いしたい」
早速ギルド長に伝令鳥を飛ばす。そう時間を置かずにギルドから事務員が来てくれた。
「一般的な雇用契約書です。ここに給与や条件などを書き入れてください」
「給与か。相場は?」
「1ヶ月でおおよそ金貨3枚(30万円)程ですね」
「そっ、そんなに頂けません」
「ジェイソン、派遣ギルドの給与は?」
「1ヶ月で銀貨100枚です」
「安すぎる。給与は1ヶ月金貨3枚。俺は依頼などで家を空ける事が多いから、その間留守を守ってほしい。なんなら住み込んでもらっても良いんだが?」
「しかし、それだと金貨3枚は多すぎます」
「仕事に対する正当な報酬だ。受け取ってほしい」
ギルドの事務員と共になんとか説得し、雇用契約を結んだ。
「これからもよろしく頼む」




