スリルの靄
フロントガラス越し
何を思っているのか分からない顔が
赤信号が変わった瞬間に
エンジン音と共に
すれ違って行った
排ガスの煙を
バックミラーで確認すると
意味の無いことだと
切り替えている自分が居た
程よい昼下がり
海辺の道路は空いていて
ハンドルもアクセルも良好である
助手席の窓を
彼女が少し開けたから
彼女の香りの後に
海の香りがやって来て
それがたまらないほど
一緒に居る事実として
鼻に残った
対岸の山には
薄靄がかかっていて
こちらの緑とは違う緑であることを
ゆっくりと問うてきた
必要な問いであるような気がしたが
助手席で
音楽をインストールしている彼女は
楽しそうに笑っている
知らないフリをするくらい
その場では簡単なことである
一緒に笑っていた
日帰り温泉は
よく行くデートスポットである
何者にもならなくていい
名前という記号が
湯に浸かっているのだ
そう思えるようになってから
温泉というものへの抵抗が無くなった
話しをしながら
ゆっくりと外を見る
太陽の光が海に浸かっていた
時間を気にしながら
時間を気にしない
何処か
矛盾に満ちた場所でもある
日帰り温泉の食事処で
遅めの昼食を軽く済ませた
コーヒーを飲み終わると
帰りたいと彼女が言う
洗濯物が溜まっているらしかった
いつも通りに
スーパーまで送って行き
夕食の買い出しを手伝った
今日は早めの帰宅である
玄関近くまで買い物袋を持って行くと
直ぐに車に乗って
エンジンをかけた
終わり際は特に何も無い
彼女の旦那とは
顔見知りと云えば
顔見知りであった
存在を認識されている存在であり
問題を認識されている存在では無い
人は知っていて
問題が無いと認識すると
安心するらしい
何処かに願い事をするみたいに
自分の認識に
願い事をしているのだ
信用は直ぐに失墜するが
安心を
直ぐに失墜させられる人間は居ない
別に彼女が居ることを知っているなら
尚更である
知ることを上手く使われているとは
考えないのだ
夕方の車の混み具合
信号の一番前に居る
朝と同じシチュエーションと
はっきりと分かる知っている顔
すれ違い様に
田舎特有のクラクション一回
挨拶のつもりだろう
手を上げていたから
こちらも一瞬
手を上げた
皆の前で指をさされ
何かが見つかったような気がして
ゆっくりと靄が晴れた