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掌編小説

睡蓮鉢

作者: タマネギ

ベランダに睡蓮鉢を置くことにした。

特に深い意味は無い。

子供の頃から水辺の景色が好きで、

水草や魚を放てば、

きっと癒やされるだろうと

思ったから。


私が水辺の景色に憧れるのは、

子供の頃、夏休みに田舎の川で、

一日中ゴリや沢ガニを取って

遊んだ経験があるから。

今でも夏になると、蘇る感覚がある。


それは、あの日の川の音、

湧き水の匂い、足をつけた時の

水の冷たさ、

そして、夕暮れ、家路についた時の

けだるさ。足のけだるさ……


私は、睡蓮鉢の中には、

そんな感覚をつれてきた原体験が、

ひっそり残っている気がしている。



「底には麦飯石をいれて、

水が浄化されるようにしよう」


私は、いっしょに睡蓮鉢をかかえている

妻に話しかけた。


「そうね、入れてみよう。

水草はどうする?

ウォーターレタスが良かったけど、

栽培禁止になっているし、

今は売ってないし」


妻は端を抱え直して言った。


「ああああ、おっとっとっ、

危なっ…もうちょっとで

落とすとこ。

まあ、水草はまたお店に見に行くからさ。

それにしても、この鉢重いなあ。

痛ったた。足がつりそう」


「えっ、足つったの?

足がだるいってよく言ってるけど……

それなのに、こんな重たいもの、

よく一人で運んできたわね。大丈夫?」


「うっ、うん…」


「もっと小さい鉢かと思ってた。

それに、中古品だって言ってたから

ボロボロかと思ったら、

案外きれいだし。

何となく不思議な感じって言うか」


「旧家のお客さんから、譲って

もらったんだ。

ずっと、納屋に置いてあった

らしいけど、

家を建て直すとかで、

処分したいからって」


「そうなんだ…」


「昔は、これで鮒とか飼ってて、

その家のお爺さんが

よく覗き込んでたって、

言ってた。

たまたま魚でも飼おうかなって話したら、

そんなこと言いながら、お客さん、

くれたんだ」


「ふーん…、よいしょっ。

腰に気をつけてよ。

すぐ痛くなるんだから。降ろすからね。

よいしょっと。痛ったた」


腰を気遣っていた妻の方が、

その場にしゃがみこんだ。


仕方がないので、

私は一人で睡蓮鉢に水をはり、

明日までそのままにすることにした。

薄暗くなったベランダに

念願の睡蓮鉢が置かれた。



翌日の朝、家族がまだ眠っているうちに、

私は睡蓮鉢を見ようとベランダに出た。


朝の日差しが睡蓮鉢にあたり、

水面が光っている。


どこかで鳥のさえずりがしている。

辺りに耳を澄ますと、

川原の水音のような、

そんな音が聞こえてきた。

それも、どうやら睡蓮鉢から。


音に引き寄せられるように、

私が水をはっただけの睡蓮鉢を覗きこむと、

寝癖頭の自分がにゅっと顔を出した。


小鳥が一羽、頭の上で飛び跳ねている。

えっ、慌てて頭に手をやるが、

水に映った自分は、

睡蓮鉢を覗いている自分ではなく、

日に焼けた半ズボン姿の

少年になっていた。


水が小鳥の動きに、揺れる度に、

少年の周りには色々な景色が現れ、

とうとうそこは、

懐かしい田舎の川原となった。


少年は麦藁帽子を被り、

バケツと自家製のタモを持って、

川の浅瀬でしゃがみこんでいた。

何やら、つかまえようとしているらしい。


何度か水しぶきをあげながら、

タモを川の中に突っ込んでは

抜き取るが、

少年の動きは魚をとるには、

ぎこちない。


それでも少年は飽きる様子もなく、

黙々と川の中にタモを抜き差ししていた。


なんて不器用な少年だろう。

一匹ぐらい何かとってみろよ。

そんなことを思っていると、

少年がタモの中を覗きこみ、

手を入れて何かを掴もうとした。

何かつかまえたか……


何、何をつかまえた?

自分の中に生まれてくる

無垢な期待。


少年が恐々、タモから何かを掴みだす。

川の中に浸かっているビクに、

それを入れようとしたとき、

急に手からはねて、

こちらに跳んできた。


ピチャッ。

水を打つ小さな音がしたかと思うと、

睡蓮鉢の底に一匹のゴリが

腹ばいになった。


・・・


睡蓮鉢の底に何故ゴリがいるのか、

私は不思議なことだと思いながらも

違和感をもつことはなかった。


ゴリが現れてからも、

その様子に重なるように、

川の中にしゃがみこむ少年の姿があった。



辺りの山が影をのばしてきて、

少年は漸く、タモとビクをもち

川原に向かい水の中を歩き始めた。

少年の足には、流れてきた何本かの草が

絡みついていて、とても、歩きにくそうだ。


よろよろと川原に上がった少年は、

足に絡んだ草を手ではずしていった。


全部はずせたのかと、目を凝らすと、

一本だけ、はずれていない。

いや、少年は気づかないらしく、

はずそうとしないのだ。


どうしてだろう。

もう一度目を凝らすと、

少年の足のふくらはぎに、

草ではなく、か細い人の腕が、

けだるそうにつかまっていた。

……はっとした。


少年がいる景色が薄れてきた。

睡蓮鉢の中には自分の頭が見えてる。

少年は足を引きずりながら、

消えていった。


睡蓮鉢の底のゴリは、

しばらくエラを動かしながら、

泳いでいた。


私は、あとで妻にみせてやろうと

思ったが、

足のだるさを思い出した時、

そのゴリもまた、睡蓮鉢の中から

消えていった。

ピチャッという小さな音とともに。


私はしばらくの間、

睡蓮鉢を眺めていた。

しかし、だるい足が治るはずもなく、

とりあえずは、水草を買いに行こうと、

外に出かけたのだった。



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