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8 花と仲間たち

 ベーネの町を出た後も、日に一、二回は襲撃があった。町中にいる時は現れず、全て移動中である。

 とは言え、アルヤの前に乗せられているだけのマーシャには襲撃者の姿さえよく見えず、いつも何が何だか分からないうちに終わっていた。


 むしろ夜、無防備なところを襲ってきそうなものなのに、とマーシャは不思議に思ったが、アルヤによると「誰に襲われたか分からないことにしたいんだろうな」とのことだった。


「夜とは言え町中で事を起こせば、それなりの騒ぎになる。あまり目撃者は出したくないんだろう」

「はぁ、なるほど……」


 伯爵家の長男ならば町長に話を通してもっと良い宿泊場所も得られるが、狙われている理由が理由なだけに、うかつに町の有力者に打ち明けることはできない。ならば町民に紛れてしまった方がかえって安全、ということらしい。

 言われてみれば、アルヤが立ち寄るのは比較的賑わっている町ばかりだ。


 そして、彼は逃げているばかりではない。

 視界に入る範疇ではあるが、町や領地の様子は常に気にかけている。水路などの衛生設備が壊れていたりしないか、作物の出来はどうか、町や街道の治安はどうか……等々、目についたことは可能な限り調べているようだった。時にはイヴァンを調査に行かせることもある。


 視察という名目で外出している以上当然なのかもしれないが、それにしても目配りが利く。

 見た目が美しいだけでなく、頭脳も優秀。領主の跡取り息子としては、ほとんど完璧だ。たとえ養子であろうとも、彼が跡を継ぐことに異を唱えられる人間などいないのではないか。



 おまけに、護衛を離してしまっても自分の身を守れる程度の腕はあるらしい。一度、町で柄の悪い輩に絡まれた女性を見つけた時には、持っている剣さえ使わず体術だけであっという間に伸してしまった。体格の良い、複数の男を。息も乱さずに。


「あ、ありがとうございます! 助かりました」

「いや。大したことはしていない」

「あの、良かったらお礼を……」


 頬を上気させて礼を言う女性に、アルヤはにっこりと笑った。


「当然のことをしたまでだ。今後は気をつけるといい」

「でっでは、せめてお名前と花を……!」

「名前か。そういう君は?」

「はい、私はキーラと申します。花はネリネで……」

「ネリネか。成程」


 目を潤ませて話す女性を遮って、アルヤは笑みを深める。


「では、またいつか君に会えたら。その時に教えよう」

「え……っ?!」

「その日を楽しみに、な。では、急いているので失礼する」


 踵を返すアルヤの背後で、女性が呆けたように立ち尽くしている。少し離れた場所で一部始終を見ていたマーシャは、ひそかに女性に同情した。

 いやいやいや。あの顔であの言い方は反則だろう。罪深いにも程がある。


「待たせたな、マーシャ。……どうした、難しい顔をして」

「いえ、ちょっと……。あの、アルヤ様、お願いがあるんですが」

「却下だ」

「まだ何も言ってませんけど?!」

「どうせ、離れて歩きたいとかそんなところだろう。顔に書いてある」


 何だこの人。心でも読めるのか。全方位に隙がなさすぎる。

 唖然とするマーシャを見やり、アルヤはまた笑った。先程の女性に向けたものとは全く違う、どこか得意げで勝ち誇ったような笑みだ。


「君は分かりやすいからな。すぐ顔に出る」

「……そのうち夜道で刺されそうです。私の身の安全を考えてくださいませんか」

「それなら俺が守ると言ったはずだが?」


 そういう意味ではない。分かっているだろうに。

 改めてとんでもない人に付いて来てしまったものだと、マーシャは嘆息した。



 一方、護衛のイヴァンはどこで寝ているのか、夜になると姿を消し、朝になると現れた。アルヤの近くには控えているのだろうが、気配を一切感じさせないのが凄い。


「あ……おはようございます。いい天気ですね」

「…………。」

「あの、怪我とかされてませんか。大丈夫ですか」

「………………。」


 彼はアルヤよりも少しだけ背が高く、赤紫色の瞳は細く鋭い。口数も極端に少なく、マーシャが話しかけてもほとんど返事は返ってこなかった。

 が、唯一「花」を尋ねた時だけは答えてくれた。


「……ウメだ」


 たった三文字の答えに、一瞬何を言われたのか分からなかった。理解した時には思わず口元が緩んだ。


「ありがとうございます! あ、私は……」

「ボケだろう。知っている」


 言い置いてすたすたと歩き去る黒髪の青年に、マーシャは構わず声をかけた。仕事は違っても、これから同じ人の下で働くことになるのだ。親しくなっておくに越したことはない。


「私、好きですよ! ウメの花!」


 言いながらふと思う。そういえば、アルヤの個人としての「花」は何なのだろう。

 興味はあったが、家の花を名乗るのが慣例である伯爵家の人間に、個々の花を尋ねて良いものなのか。

 庶民には分からないマナーがあるのかもしれないと思うと、安易に聞くのは躊躇われた。イヴァンに聞いたところで、もちろん教えてはくれないだろう。




 ポロスを出てから五つめの町に着くと、二人の青年がアルヤを出迎えた。

 一人は青い髪で眼鏡をかけており、もう一人は鮮やかな赤い髪があちこちに跳ねている。いずれも剣を帯びて、馬を連れていた。


「ネス、セルジュ」アルヤが呼びかけた。

「無事に合流できたな。良かった」

「それはこちらの台詞だよ。怪我はないかい?」


 眼鏡の青年が答える。見た目に違わず、穏やかな声だった。


「ああ、問題ない。イヴァンがいたしな」

「全く、心配したんだぜ。――ところで、そちらのお嬢さんは?」

「彼女は新しい花守だよ。ポロスで見つけた。これから屋敷に連れて行くところだ」


 へえ、と赤髪の青年が愉しげな顔で笑う。マーシャは慌てて頭を下げた。


「は、初めまして。マーシャ・ガルデスと言います。花はボケです」

「オレはセルジュ・エレンベルク。花はポピーね」


 赤髪の青年は親しげに手を差し伸べてきた。


「いいねぇ、可愛いじゃん。やっぱり、どうせ雇うなら可愛い女の子がいいよな」

「こら、セルジュ」眼鏡の青年がたしなめた。

「不躾ですまないね。僕はネストール・ハイン。花はオリーブだよ」

「いえ、こちらこそ。よろしくお願いいたします」


 砕けた口調と態度を見る限り、アルヤとは親しい間柄なのだろう。となると、彼らもまた高い身分の人間に違いない。

 恐縮するマーシャに、ネストールが優しく話しかけてきた。


「僕らは二人とも、ラドフォード家に仕える騎士でね。アルヤとは幼い頃から親しくさせてもらっているんだよ」

「騎士様……そうなんですね」


 騎士は貴族と主従関係を結び、主に領地の警護に当たる。貴族ほど高い身分ではないものの、世襲される地位であることには変わりがなく、一般庶民とはやはり一線を画す存在だった。


「一応、オレたちにとってはご主人様なんだけどな」軽い口調でセルジュが続けた。

「堅苦しいのはやめろってアルヤが言うから、まぁ、こんな感じなんだ。昔から」

「窮屈なのは公式の場だけで十分だろう」


 貴人らしくないことをあっさりと言い放ち、アルヤはマーシャに向き直った。


「そういう訳だから、この二人は俺の事情を知ってるし、協力してくれている。緊張しなくても大丈夫だ」


 アルヤが養子であることも、そして父である伯爵から命を狙われているということも。知っていて、伯爵側には付かずにアルヤ側に付いている。つまり、彼らは「味方」らしい。


「元々襲撃がある可能性は考えていたから、二人にはこの町で待機していてもらったんだ。護衛は多いに越したことはない。イヴァンもそろそろ休ませてやりたいしな」


 当のイヴァンは泣き言など一つも言わないし、顔色も変えずに護衛に当たっているが、四六時中気を張り続けていれば当然身体に障るだろう。ひょっとして夜も寝ていないのかもしれない。心配していただけに、マーシャは安堵した。


「良かった、イヴァンさんもこれで少しは休めるんですね」

「お? 何、マーシャはイヴァンが気になるの?」


 面白い話題を見つけたとばかりにセルジュが目を光らせた。


「いっ、いえ! そういう意味ではなく……」

「はー、あんな目つき悪くて無愛想で冗談も通じない朴念仁のどこが良いんだろうなぁ。話しかけても普通に無視しやがるし。悪い奴じゃないのは分かるけどさ」

「それはセルジュが変に絡むからだろう」ネストールが苦笑して言った。

「必要なことならちゃんと答えるよ、イヴァンも。まぁ、無口なのは事実だけどね」

「せめて女性にくらい優しくすればいいのにな。マーシャも無視されて嫌な思いしてない?」


 セルジュに尋ねられ、マーシャは手をぶんぶんと振った。


「いえ、確かに寡黙な人ですけど……花は教えてくれましたし」

「はっ?」

 驚きの声を上げたのはアルヤだった。

「あいつが? 自分の花を?」

「はい。……あの、何かまずかったですか?」


 もしや、主人を差し置いて勝手に聞いてはいけなかったのだろうか。

 マーシャが首を傾げると、セルジュが口笛を吹いた。


「へえ、珍しいな。もしかしてあいつ、マーシャのこと気に入ってる?」

「えっ?! は、花を答えただけでですか?!」


 お互いの花を尋ねて答えるのは自己紹介の基本だ。少なくとも庶民の世界では。

 むしろ答えない方が失礼に当たることもあるので、最低限の礼儀は果たしてくれたのだなとマーシャとしては思っていたのだが。それほど驚かれるようなことなのだろうか。

 ネストールを見上げると、眼鏡の青年は顎に手を当てて微笑んだ。


「イヴァンに限っては、そうだね。彼は昔から、仕事中はアルヤに許可されるまで絶対に口を開かなかったから。相手が誰であってもね」

「それは……もしかして私、困らせてしまったんでしょうか……」

「いやいや、そんなことはないよ。名前や花を伝えるくらいは普通の挨拶だし、別に許可が必要なことではないからね」


 ネストールはそう言うが、少なくともイヴァンをよく知る人たちにとっては仰天する出来事ではあるようだ。マーシャはアルヤに向かって頭を下げた。


「す、すみません! 勝手に話しかけたのは私の方なので……イヴァンさんは悪くないですから」

「いや、別に花くらい構わないが……君はやけにイヴァンを気にかけるな、そういえば」

「へっ? いえ、そんなつもりは……」


 思いがけない言葉に顔を上げると、アルヤはマーシャをじっと見つめていた。桁違いに美しい顔立ちに無表情で見下ろされると、何とも言えない迫力がある。

 たじろいだマーシャを見て、アルヤはふっと口角を上げた。あ、この笑い方は。嫌な予感がする。


「俺との食事は断ろうとするのにな。もしやイヴァンと行きたかったか? だとしたら悪かったな」

「ち、違いますっ! それはその、恐れ多いだけで……!」

「まぁ、悪いが諦めてくれ。あいつは人前で食事をしない。一緒に行きたくても応じてはくれないと思うぞ、絶対に」

「そうだなぁ、食事はかなり難しいかもしれないね」

「いやいや、分かんないぜ? あいつだって男なんだし、気に入った子から誘われれば」

「ですから、違いますって……」


 同僚として親しくなりたいと思っただけなのに、何やらすっかり誤解されてしまっている。イヴァンとしてもさぞ迷惑だろう。

 ごめんなさいイヴァンさん、とマーシャは心の中で謝罪した。

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