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7 花と陰謀

 日が落ちる直前にたどり着いたのは、ベーネという町だった。

 父は確か仕事で出向いたことがあると言っていたが、マーシャが足を踏み入れるのは初めてだ。ポロスよりは多少広いようだが、雰囲気はさほど変わらない。

 

 町の入り口で馬を下りると、食欲をそそる匂いが漂ってきた。家々には明かりも灯り始めている。

 今頃、家族は夕飯を囲んでいる頃だろうか。今日のご飯は何だったのだろう。

 想像すると急に寂しさが押し寄せてきて、マーシャはこっそり唇を噛んだ。しっかりしなければ。今からこれでは先が思いやられる。


「とりあえず、今日はこの町で泊まりだな」


 アルヤは馬を労るように撫でた。


「こいつを厩に預けて、まずは食事に行こう。そのうちイヴァンも着くはずだ」

「えっ? 食事、ですか?」

「なんだ、食欲が無いのか?」

「いえ……そういうわけではありませんが。一応、持参してますので」


 当たり前のように一緒に行く流れになっているが、本来、マーシャは伯爵家の長男と食事を共にできるような身分ではない。母からは保存のきくパンや干した果物をいくつか持たされているので、それで済ますつもりだったのだ。

 戸惑っているとアルヤは片眉を跳ね上げた。


「俺と一緒の食事は嫌か?」

「い?! とととんでもないです!」

「なら、いいだろう。そもそも、君の荷物はイヴァンの馬に乗せてあるからここにはないぞ」

「あっ……」


 言われてみればそうだ。すっかり忘れていた。


「それに、この町は茸を使った料理が旨いんだ。酒にも合う」

「そ、そうですか……でも、あの、お高いのでは」

「ほーお。つまり、俺が女性に食事代を出させるような甲斐性なしに見えると」

「いえッ、め、滅相もないです!!」


 ほとんど叫ぶように言うと、アルヤは「よし、決まりだな。行こうか」と機嫌よく歩き出す。

 ……もしかしてこの人、割と意地が悪いのかもしれない。

 顔立ちこそ天使のように美しいが、意外とたくましいし、時折妙に人の悪い笑い方をする。慌てるマーシャをからかって楽しんでいるようだ。


 マーシャは頭痛を感じた。やはり先が思いやられる気がしてならない。先程とは全く別の意味で。

 



 どんな高級な店に連れて行かれるのかと戦々恐々としていたが、着いたのは意外にもごく普通の酒場だった。

 アルヤは迷いのない足取りで奥の席に進み、慣れた様子でさっさと注文してしまう。随分と目を惹く容姿をしているだけに、給仕の女性から意味ありげな目線をよこされたり、逆に男性客から不躾な視線を向けられたりしているが、一向に気にしていない。正面に座らされたマーシャの方が、余程びくびくしていた。


 とは言え、食事は確かに美味しかった。特に鶏肉と何種類もの茸を煮込んだ料理は、素朴だが時間をかけて丁寧に作られた味がする。

 美味しい、と素直に漏らすとアルヤがふっと笑う。


「やっと笑ったか」

「え?」

「君はずっと困った顔をしていたからな」

「……はぁ」


 困らされた張本人に言われましても。

 思ったがマーシャは口には出さなかった。出せなかったという方が正しい。

 曖昧に笑ってごまかしたところに、「アルヤ様」と低い声がかかる。


「イヴァンさん!」

「イヴァン、無事だったか。首尾はどうだ?」

「ひとまずは引きました。ですが、おそらくまた現れるでしょう」


 黒髪の青年は、マーシャには目もくれず主と話している。一見すると大きな怪我などはないようだ。

 しかし、ほっとしている場合ではない。あの追撃者たちが何者なのか、今度こそきちんと聞かなければ。


「あのっ、アルヤ様……!」

「ちょっと待て」


 意を決して尋ねようとしたマーシャを、アルヤが制止した。


「ここではまずい、場所を移そう。イヴァン、彼女の荷物は?」

「はい、ここに」

「あ……ありがとうございます!」


 預けてあった荷物を受け取って礼を言ったが、イヴァンはすぐに目を逸らしてしまう。マーシャと会話を交わす気はないようだった。

 アルヤは残っていた酒を一気に飲み干して立ち上がる。


「よし、宿に向かうか。そこで説明しよう」




 宿泊場所もまた、貴人用ではなくごく一般的な宿屋だった。

 もちろんマーシャの部屋は別に取ってくれたが、アルヤは「何なら一緒でもいいぞ」などと言うので顔をひきつらせたものである。からかうのも大概にしてほしい。

 一通り荷物の整理を済ませると、マーシャは言われた通りアルヤの部屋を訪れた。


「来たか」ベッドに腰掛けたアルヤは、簡素な丸椅子にマーシャを座らせた。イヴァンは部屋の隅に控えている。


「今更だが、危険な目に遭わせてすまなかった」

「いえ。でも、あの人たちは……?」

「あいつらは、俺を狙っている刺客だ。差し向けているのが誰かも、大体は見当がついている。……父だ」

「えっ?!」


 狙われているのがアルヤだというのは分かる。自分は単なる一般人だし、主を差し置いて従者であるイヴァンが狙われるというのも可能性としては低いだろう。

 しかし、それが父親――伯爵の差し金とはどういうことなのか。実の息子、それも跡取りである長男を狙うなど。只事ではない。


「……あの、そのお話、私が聞いても大丈夫なんですか」

「むしろ聞いてほしい。君を急いで連れ出した理由にも関係があるからな」


 アルヤはマーシャを真っ直ぐに見た。


「実は、俺は父の実の子ではない。養子なんだ」


「え……っ」

「父の正妻――伯爵夫人は身体が弱く、子供ができなかった。このままでは跡取りができず、血筋が絶えてしまう。それで、急きょ連れてこられたのが俺だ」


 その時アルヤはまだ赤ん坊だった。どこの家から連れて来られたのかは、アルヤ本人も知らないという。


「知っているのは父と、ごく僅かな側近だけだ。正妻はじきに亡くなってしまったし、表向きには俺は実子とされている。俺自身も十才になった時に初めて知らされたからな」

「そんなことが……」


 冷や汗が背中を伝った。とんでもない機密事項を知ってしまった気がする。


「ともかく、俺は十八年間跡取りとして育てられた。だが、父は心変わりをしたらしいな」

「心変わり……?」

「父には正妻の他に、愛人がいたんだ。身分が低くて公には出来なかったようだが、どうやらそちらに子供がいたらしい。……養子ではない、血を分けた本物の我が子が」

「……ま、まさか」


 ここまで言われればさすがに見当がつく。

 顔を青くしたマーシャに、アルヤは頷いた。


「父は、自分の血を分けた子供に跡を継がせたいのだろう。だから、俺が邪魔になったんだよ」

「そんな……!」

「貴族は血統を重んじる。そして、余程のことがない限り長男を跡取りとする。俺を養子ではなく実子としたのも、跡取りとして認められるかどうかという問題があったからだ」

 

 跡取りがいなくなれば、家は断絶。伯爵はそれを危惧した。

 しかし、ここに至ってそれが仇となったのだ。 

 公には実子で長男とされているアルヤを、今更養子だったと発表するわけにはいかない。血筋を故意に偽ったとなれば、地位の剥奪は必至。家が取り潰しになる可能性も高く、伯爵本人もおそらく罰を免れない。

 つまり、自らの子に跡を継がせるにはアルヤを秘密裏に処分するしかない、と考えたらしい。


「大方、国には急病もしくは不慮の事故とでも報告するつもりなんだろうな」

「ひどすぎます。そんなの……」


 勝手に連れてきておきながら、邪魔になったらあっさり掌を返すなど。アルヤの人生を何だと思っているのか。


「では、まさか、アルヤ様は身の危険を感じてお屋敷を出ておられたんですか……?」

「察しがいいな。それもある」


 アルヤは顎をさすって笑みを浮かべた。


「残念ながら、家はあまり安全ではない。俺の味方もいるにはいるが、敵も多いからな。それで、領地の視察だの何だのと理由をつけて外に出るようにしていた。確実に信頼できる人間と共にな」


 アルヤはイヴァンをちらりと見る。彼はその、数少ない信頼できる人物の一人なのだろう。


「だが、俺が外出するのは父にとっては格好の機会でもある。道中、物盗りや事故を装って殺してしまえばいいからな。だから、いずれ刺客がやって来るだろうとは思っていた」

「では、私の町に来られていたのは」

「たまたまだ。君にはああ言ったが、特に用があったわけじゃない。一応町長に挨拶くらいはしておくかと思って町に入ったんだ」


 そして、宿屋の庭で君を見つけた。

 アルヤの目に熱が込められる。


「君が咲かせたエビネを見て、閃いたんだ。これで、父の心を変えられるかもしれないと」

「エビネで? でも、それは……」


 亡き母の花だとアルヤは言ったが、今の話を聞く限り、伯爵夫人はアルヤにとって実の母ではないはずだ。その上、アルヤが物心つかないうちに亡くなっているという。それなのに、そこまで思い入れが強くなるものだろうか?

 戸惑うマーシャに、アルヤは続けた。


「父は、正妻を愛していなかったわけではない。むしろ深く愛していたから、子供が出来なくても他に妻を娶らず、俺を養子に迎えたんだと聞いている」

「そう、だったんですか」

「残念ながら心変わりしてしまったが、昔は確かにそうだったんだ。俺も子供の頃、母の話は父からよく聞いていたからな。だから……」


 ――綺麗に咲いたエビネを見れば、母のことを思い出してくれるかもしれない、と思った。


「俺は別に、どうしても跡取りになりたいわけじゃない。父が実の息子に跡を継がせたいなら、そうすればいいと思っている。だが……今の父にその言葉が届くとは思えない」

「アルヤ様……」

「うちの庭にエビネがうまく根付かないのは本当のことだ。父は昔から何度も育てようとしていたが、どうしてもうまくいかなかった」


 ――だから、君の力を貸してほしい。

 強い視線が、マーシャを射抜く。


「母のことを思い出してくれれば、父も冷静になってくれるかもしれない」

「それで……あんなに急いでいたんですか」

「現に追手もかかっている以上、悠長には構えていられなかったからな。君や、君の家族には迷惑をかけた。本当にすまない」


 改めて頭を下げるアルヤに、マーシャは「やめてください」と言葉をかける。


「事情はよく分かりました。でも、花を育てるのは時間がかかります。庭に株が残っていたとしても、今すぐどうにかなるものではありません」

「ああ、分かっている。時間はかかるかもしれない。それでも俺は賭けてみたいんだ」


 アルヤは頭を上げて、マーシャに微笑みかけた。


「あの花を咲かせようと頑張る父の姿を、覚えているからな。もちろん、君の身の安全は俺が守ると約束しよう」 


 迷いのない口調に、マーシャは彼の決意が固いことを悟る。全く、途方もないことに巻き込まれたものだ。

 しかし、巻き込まれたと言うならばアルヤの方が余程ひどい。何しろ赤子の頃から人生を狂わされ、今や命を奪われそうになっているのだ。

 にも関わらず、彼に父を恨んでいる様子はない。武器を取って反撃するわけでもなく、花を使ってあくまで平和的に事を治めようとしている。

 ならば、マーシャにできることは。


「……効果のほどは、保証できませんが」

「承知している。賭けだと言っただろう?」

「そもそも、うまく咲くかどうかも分かりません」

「それは心配していないな。俺は実際に君の咲かせた花を見ている」


 妙に確信を持った口調だった。会ったばかりのマーシャをなぜこれほど信用してくれているのか、よく分からない。分からないが。


「……分かりました。やってみます」


 それが、この人の助けになるならば。

 マーシャの答えを聞き、アルヤは顔を綻ばせて「ありがとう、恩に着る」と礼を言った。

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