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6 花と刺客

 町の入り口に向かうと、アルヤは白い馬を連れて待っていた。

 隣には従者と思われる青年が、影のように付き添っていた。こちらは黒い馬の手綱を引いている。


「準備はできたか?」

「はい。お待たせして申し訳ありません」

 頭を下げるとアルヤは「いや」と笑った。

「急がせたのはこちらだからな。さ、ともかく出発しよう。事情はおいおい話す」


 慣れた様子で馬に跨ったアルヤは、さあ乗って、と手を差し伸べてきた。まさか彼と同乗することになるとは思っていなかったマーシャはまごつく。


「え、あの、いいんですか」

「もちろん。君一人くらいは何でもない。荷物はそっちの馬に預けてくれればいい」

「いえ、そういうことじゃないんですけど……」


 あなたと二人乗りが恐れ多いんです、とは言い出せず、マーシャはやむなくアルヤの手を取った。すると何の苦もなく、馬上に引っ張り上げられる。細身に見えて結構力があるらしい。


 服装がロングスカートだったので横座りにはなるが、専用の鞍が付いているおかげか体勢は安定していた。

 とは言えアルヤの前に座らされ、両腕に囲われる形になっているのはどうにも落ち着かない。


「よし、行くか。イヴァン」

「……はい。アルヤ様」


 黒髪の従者が短く返事をする。彼の名前はイヴァンと言うらしい。すでにマーシャの荷物を括り付けて、黒馬に跨っている。

 見送りに来たマーシャの家族が、馬上のアルヤに向かって深々と礼をする。最後に口を開いたのは、父だった。


「どうか、娘をよろしくお願いします」

「ああ、もちろんだ」


 アルヤが力強く頷いて、馬の腹を蹴った。




 しばらく馬の背で揺られた後、マーシャはおそるおそる「あの、ラドフォード様」と切り出した。


「アルヤでいい。その呼び方はあまり慣れない」

「そうなのですか?」

「これでも伯爵家の長男だからな、公式の場では『カリヴィス卿』と呼ばれるんだ。だが、家の者は皆アルヤと呼ぶ。さっきイヴァンもそう言っていただろう?」


 そういえば、彼は先ほど主人のことを「アルヤ様」と呼んでいた。貴族の世界のことは今一つよく分からないが、ならば自分もそれで良いのかもしれない。 


「でしたら、アルヤ様」

「ああ、何だ?」

「伯爵家のお庭は、どれほどの広さなのでしょうか」


 マーシャが父から任されていたのは、せいぜい民家の中庭程度だ。モナの宿屋はそこそこ広い庭を持っていたが、それでも一人で手が回る広さではあった。

 だが、伯爵家となればそうもいかないだろう。何しろ領主であって、広大な敷地を所有しているのだ。当然、庭だって相当広いはずである。

 アルヤは馬を操りながら、「そうだな……」と考える素振りを見せた。


「確かに敷地は広いし、庭園には花だけではなく、果樹園や菜園もある。あれを一人で担当するのはまず不可能だろうな」


 だが、とアルヤはマーシャを見下ろして口角を上げた。


「君に任せたいのはその庭園ではないんだ。あちらはあちらで、庭師をちゃんと雇っている」

「えっ? では、私は何をすれば……?」

「花守だよ」


 聞き慣れない単語に、マーシャは忙しく瞬きをした。


「花守……とは?」

「奥の庭の手入れをする人間のことだ。家族や親族しか入ることのない、小さな庭でね。表の庭の庭師と区別する意味で、『花守』と呼んでいる」


 亡き伯爵夫人の花であったエビネは、その奥庭に植えてあるのだという。確かに、あまり日が当たりすぎる場所はエビネには不向きである。


「あの宿屋の庭よりは広いが、一人でも管理が可能な広さだよ。実際、前の花守は爺さんだったけれど、一人でやっていた」

「そう、ですか。それを聞いて安心しました」


 広範囲の庭園を任されたりしたらどうしようかと危惧していただけに、マーシャは安堵の息を吐いた。

 花守でも庭師でも、やることが同じであれば名前はどちらでもいい。不安の種はまだいくらでもあるが、あとは実際に庭を見てからだ。


 マーシャから体の力が抜けたのが分かったのか、アルヤが面白そうに付け加えた。


「その代わり、奥庭には時々父も来るからな」

「ええっ?! りょ、領主様がですか?!」

「家族や親族しか入らないと言っただろう。むしろ他に誰が行くと言うんだ?」


 マーシャは再び顔をひきつらせた。カリヴィス伯爵が、奥庭に来られる。

 どうしよう。緊張でうっかり花をちょん切ってしまったりしたら一大事だ。むしろ表の庭園よりも責任重大かもしれない。お気に入りの花はあるのだろうか。事前にしっかり確認しておかなければ。


「あ、あのっ、領主様は何のお花が……」

「――シッ。黙って」


 今まで楽しげだったアルヤの表情が、突然険しくなった。

 ただならぬ雰囲気に気圧されて、マーシャは口をつぐむ。一体、何事だろう。


「……来たか。イヴァン」

「はい。お任せを」


 後ろを走っていた黒馬が白馬と並び、短いやり取りが交わされる。

 黒髪の従者に目配せをしたアルヤは、進行方向をひたりと見据えてマーシャに話しかけてきた。


「スピードを上げる。落ちないようにしっかり掴まっていろ」

「つ、掴まるって言われても」


 うろうろと手をさまよわせると、アルヤが焦れたようにマーシャの手を掴む。そうして、自らの服を半ば強引に掴ませた。


「ここだ。いいから、もっと強く! 振り落とされるぞ!」

「は、はいいいっ!」


 厳しい声と同時に、馬が一気に加速する。

 同時に、後ろから複数の蹄の音が聞こえてきた。馬だ。それも、かなりの速さで迫ってきている。


 ――何。何が起こっているの。

 あれは誰? どうして追われているの?


 頭が盛大に混乱したが、アルヤに尋ねている余裕はない。訳も分からぬまま、マーシャは必死にアルヤの服にしがみついているしかなかった。




 どのくらい走ったのだろう。

 ようやく速度が落ちたのを感じ取り、マーシャはそろそろと顔を上げた。


「大丈夫か、マーシャ」


 アルヤが顔を覗き込んできて、マーシャは思わずのけぞる。


「だ、大丈夫ですから、あの、少し離れて……」

「うん? 何だって?」

「は、離れてください! ご尊顔が眩しすぎます!」


 必死に距離を取ろうと腕を突っ張るが、アルヤは「そうか、悪い」と笑うだけだ。直視できないほど美しすぎる顔面というのも考え物である。しかも否定しないと来た。

 なんとか体勢を立て直して、マーシャは頭に手をやった。良かった、モナに貰った髪飾りは無事だ。

 辺りを見回しても、追手の姿は見えない。どうやら、うまく逃れることができたらしい。


「あっ、そういえば、イヴァンさんは……?」


 先ほどまで一緒に走っていたはずなのに、姿が見えない。もしや、逃げているうちにはぐれてしまったのだろうか。

 だがアルヤは意に介さず、「あいつなら大丈夫だ」と言うだけだった。


「あんな連中ごときにやられたりしない。相当の腕利きだからな」

「……あの人たちは? どうして、追ってくるんですか?」


 マーシャの疑問に、アルヤはしばらく黙っていたが、ややあって口を開いた。


「もうすぐ、次の町に着く」

「え?」

「宿に着いたら、話そう。込み入った話になる」


 ――どうして、俺があれほど君を急がせたのかも含めてな。

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