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5 花と旅立ち

 旅立ちの準備は慌ただしく進んだ。


 母はほとんど目を回さんばかりに驚いていたものの、最終的には娘の運命をきっちり受け入れたようだった。あれもこれもと持たせようとしてくるので、断るのが大変だったほどだ。

 せめてこれだけはと渡されたのは薄手のショールで、花の刺繍が施されていた。マーシャの花である、ボケの花だ。成人祝いとして、母が自ら縫ったのだという。


「誕生日のお祝いならもう貰ったよ?」

「だってあなた、花言葉を聞いて落ち込んでたでしょう」


 どうやら気落ちする娘のために、急遽拵えたものらしい。母はにっこりと微笑んだ。


「まだ夜は肌寒いから、持っていきなさい」

「……うん」

「忘れないで。どこにいても、私たち家族はあなたの味方よ、マーシャ」


 マーシャはショールを抱きしめる。肌触りが良く、かすかに母の匂いがした。


「……ありがとう、母さん。大事にするね」



 次兄のヒューイは、家族全員の花を描いた絵葉書を差し出して、ぼそりと小声で零した。


「……本当は、名誉なことだって喜ぶべきなんだろうけど」

「そうね。そう思う人もいるでしょうね」


 領主の家に庭師として取り立てられるとなれば、諸手を上げて歓迎する家も多いのだろう。

 だが、マーシャからすれば分不相応だという気分で一杯だった。家族もまた、歓喜よりも困惑と心配の色が濃い。あまりに突然降って湧いた話なので、どうにも現実味がないのだ。


 芸術家肌でどちらかと言えば部屋にこもりがちなヒューイは、一見ぼんやりしていて考えていることが分かりにくい方である。

 しかし、この絵を見れば家族を大切に思っていることは十分に分かった。素人目に見ても、時間をかけて丁寧に描いたのが分かる絵だ。


「綺麗。ありがとう、ヒューイ」

「ん。……気をつけてな」


 モクレン、オキザリス、ナナカマド、ハギ、そして、ボケ。

 繊細な筆使いで描かれたそれらをひとしきり眺め、マーシャは鞄に大事にしまい込んだ。



 長兄のトニオは作業道具をいくつか分けてくれた。屋敷にも一通りの備品はあるようだが、やはり慣れた道具の方が使いやすい。

 あまり多くは持っていけないが、最低限は持参したいところだった。


「まさか、こんなことになるなんてなあ……」トニオがぼやいた。

「せめて、おれや父さんが手伝ってやれたら良かったんだけど」


 領主の屋敷までは、ここから馬を飛ばしても三日はかかるという。

 道が悪いため馬車は不向きで、一般庶民は基本的に徒歩、荷物があるときは驢馬に乗せて運ぶのが普通だ。何かあっても、すぐに手伝いに来られるような距離ではない。


「本当、父さんやトニーの方がよほど経験があるし、育てるのも上手いのにね……」


 なぜ自分なのだろう。何度考えても分からない疑問を呟くと、兄は笑った。


「仕方ないだろう。なんせ『ひとめぼれ』らしいからな。あの調子だと、『熱情』もか?」

「やめてよ。それはもういいから」


 兄にまでからかわれてはたまらない。アルヤはなぜかその言葉を何度も口にするが、とても本気とは思えないのだ。

 額に手を当てて嘆いたマーシャに、兄は「でもなあ」と話を続けた。


「父さんはまだ未熟だって言ってたけど、お前はもう一人でやっていけるだけの技術を持ってるよ」

「……そうかなぁ」

「自信を持てよ、マーシャ。父さんもきっとそう言うさ」


 とはいえ、これはさすがに急すぎだけどな。

 場を和ませようとしたらしい、おどけた言葉に、マーシャは「ほんとに」と笑みを返した。



 そして、父は。ふらりとどこかへ出て行ったかと思うと、家の裏手の作業場から、丸く小さな塊をいくつも持ってきた。


「これ……エビネの株じゃない!」マーシャは驚いた。「父さん、株分けしてくれたの?」

「たまたまな。少し前に分けてあった」

「持って行っていいの?」

「もちろんだ。発芽させるには水苔が要るが、少なくとも病には感染していないはずだからな」


 エビネが育てにくいと言われがちなのは、厄介な病に罹りやすいからである。それは一度感染すると治らないので、あきらめるしかない。

 逆に言えば、健やかな株を気を付けて育てていれば、きちんと咲く可能性が高い。

 娘が領主の庭できちんと役目を果たせるように、という父の配慮だった。


「何か心配なことがあれば、手紙を書きなさい。できるだけ詳しくな」

「……うん」

「マーシャ。庭は、花だけが全てじゃない。分かるな?」


 それは父が常々言っていることだった。

 見目の良い花だけに注目が集まりがちだが、植物には茎があり、葉があり、根がある。それらを取り囲む環境――土、光、水がある。そうして、他の生き物もいる。


「見えない部分をおろそかにするな。作業は落ち着いて丁寧に、でしょう?」


 口を酸っぱくして言われたことを復唱すると、父は眉尻を下げて笑った。


「お前をこんな形で送り出すことになるとは思っていなかったが……これも妖精王のお導きだろう。しっかり、勤めを果たしてきなさい」

「……はい、父さん」


 まるで今生の別れのようだ。マーシャはほんの少し、涙目になってしまった。



 家での準備が一通り済むと、マーシャはモナの宿屋に出向いた。

 聡い親友はなんとなく展開を予想していたようで、今日中に町を出ると聞いてもあまり驚かず、餞別にと花の髪飾りをくれた。白い五枚の花びらが、マーシャの花であるボケによく似ている。この短時間でよく見つけてくれたものだ。

 礼を言うマーシャをぎゅうと抱きしめ、モナは「気を付けて」と呟いた。


「あたしの取り越し苦労だったらいいんだけど。あの方――ラドフォード様だっけ、どうも気になるのよね」

「え? 気になるって……」

「あんたからは見えなかったかもしれないけど、あの方、あんたをかなり長いこと見てたのよ」


 宿屋の庭でアルヤと出会った時のことを、モナは言いたいらしかった。

 最初は飛び込みの泊まり客かと思ったが、あまりにマーシャを凝視していたものだから、声をかけるのが遅れたのだという。


「それに、『見つけた』って言ってたわよね。もしかしてこの人、最初からマーシャを探してたんじゃないの? って思っちゃって」

「ええっ? まさか。もしそうだとしても、エビネの花のことでしょ?」


 領主の長男であるアルヤが、マーシャのような一庶民をわざわざ探す理由などあるはずもない。当然、面識だってない。住む世界があまりにも違いすぎる。


 ……だが、考えてみれば「君の腕にひとめぼれしたから庭師として雇いたい」という申し出も、同じくらい突飛であり得ない話である。


 そう思うと、マーシャはモナの話を笑い飛ばすことはできなかった。彼女が何の根拠もない話を口にして人を惑わすような子ではないのは、よく理解している。


「……分かった。気を付けるね」


 親友の華奢な背中をぽんぽんと叩いて言うと、モナは「そうして頂戴」と呟いた。


「ねえ、マーシャ。自分をちゃんと大事にしてね。あんたは人を幸せにできる子よ」

「そうかなあ」

「そうなの。何かあったら、急所を蹴り飛ばしてもいいから逃げてきなさいよ」

「ええ? 物騒なこと言わないでよ、もう」

「そのくらいでちょうどいいのよ。あんた押しに弱いし、すぐほだされるんだから」


 モナは抱きしめる腕をほどき、マーシャに髪飾りを付けてくれた。


「うん、思った通り。よく似合うわ、さすがあたしの見立てよね」

「……モナ。今までありがとう」

「こっちの台詞よ。……またね、マーシャ」


 いつもと変わらない親友の挨拶が、今のマーシャにはとても嬉しかった。

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