Episode17.5 〜結実の話〜
「……なんであんなに鈍感なんだ」
渋面で紅茶を啜るアルヤに、セルジュはネストールと顔を見合わせ、苦笑を交わした。
新たな「花守」が伯爵家にやって来て、そろそろ一月が過ぎようとしている。
ほとんど騙されたような形で連れて来られた十六才の少女は、しかし意外にも順応性が高く、屋敷の人間とも早くに打ち解けたようだった。毎日くるくると元気に働き、笑顔も見せているという。経緯が経緯なだけにセルジュたちは多少心配していたが、ほっと胸を撫でおろしたものである。
が、今ひとつ機嫌が芳しくないのが当のアルヤだ。理由は単純で、マーシャが一向にアルヤの想いに気づいてくれないからだった。
彼女を花守にするため、伯爵に「婚約者」などと大嘘をついて紹介したと聞いた時には開いた口が塞がらなかったが、アルヤとしては満更嘘でもなかったようだ。と言うよりも、今後その作り話を本当にしようとしている。
しかし、マーシャ本人がとにかく手強い。口説き文句を尽くしてもあっさり流されてしまい、からかっているとしか思われない。しまいには「いい加減にしてください!」と怒らせてしまうので、あまりしつこくもできないという。
「……あの子の花言葉、どう考えても全部俺のことだろう。どうして信じないんだ? 妖精王のお告げだぞ?」
「いや……お前がその花言葉を利用して無理やり連れ出したからだろ」
「失った信用を取り戻すのは時間がかかるんだよ、アルヤ。僕らはあの子を騙していたんだから、すぐに信じてくれないのはむしろ当然だと思わないかい?」
ネストールにまで言われ、アルヤは「……それは分かっている」と顔をしかめた。
セルジュは香り立つ紅茶を一口含んだ。最近のティータイムの話題ときたら、こればかりだ。余程悩みが深いらしい。
そもそも、嘘をついて連れ出したことがバレた時点で、マーシャからの信用は一度地に落ちている。それでもここまで来てくれたというだけで、本来は良しとすべきなのだ。
「だが、それ以前の問題だ。あの子は、俺が『ひとめぼれした』と言っても、顔を赤らめることさえしなかったんだぞ。むしろ青ざめていたくらいだ」
「まぁ、そいつは確かに珍しいと言えば珍しいけどさ……でもそれ、庭師としてって話だろ」
「いきなり恋に落ちたと言うよりは、その方がまだ自然だろう。しかし、『ひとめぼれ』だぞ? 年頃の娘なら少しはときめいたりするものじゃないのか……?」
幼い頃から容姿に恵まれてきたアルヤは、自分が何もしなくても女性の方から寄ってくるのが常だった。だからこそ今回も、相手が喜んで付いてくると信じて疑わず、それを前提に作戦を立てていたのだろう。
……が、蓋を開けてみればそう簡単にはいかなかった、というわけだ。
町娘を相手に予想外に手こずるアルヤを見ているのは、セルジュとしてはなかなか面白かったのだが、本人はいたく心外らしい。
「マーシャは貴族の娘じゃない、普通の子だからね。領主の息子からいきなりそんなことを言われたら、戸惑うのも無理はないよ。自然な反応だと思うけれど」
「……。イヴァンには自分から話しかけに行くのに……」
「君とイヴァンじゃ立場が違うだろう」
いくら強面の無愛想でも、マーシャからすれば、領主の息子よりはまだ従者の方が話しかけやすかったのかもしれない。セルジュたちが合流するまでは、三人きりの道中だったのだから。
ネストールに諭されても、アルヤはまだ納得できないようだった。
「どうすれば分かってくれるんだ……何か贈り物でもするべきなのか?」
「いやー、あの子には逆効果じゃないかな……特に、高価なものは突き返されそう」
基本的にアルヤは頭も良いし機転も利くのだが、育ちが育ちなだけに今ひとつ庶民感覚が分かっていないところはある。貴族の娘に贈る感覚で、宝石やドレスでも渡そうものならマーシャは目を回して卒倒してしまいそうだ。
「何か贈るなら、マーシャの側に立って考えないとね。こちらの自己満足だけで終わってしまうよ」
「難しいな……。家族や友人からの餞別の品はとても喜んでいたのに」
「だーかーらー、まずは信頼回復が先なんだって。高価な贈り物で機嫌取るようなことしたら、ますます印象悪くなるかもしれないぜ?」
セルジュの言葉に、アルヤは額に手を当てて深いため息をついた。
「……地道にやるしかない、ということか」
「そういうことだ。……でもまぁ、オレとしては嬉しいけどな。アルヤにそういう相手ができて」
「ああ、それは僕も同感だよ」
セルジュもネストールも、アルヤよりは年上だ。この見目麗しい青年が、子供の頃から自身の能力について苦悩してきたのはよく知っている。
伯爵家の一人息子であれば、縁談はそれこそ山のように来る。貴族は早々に親同士で婚約者を決めてしまうことの方が多く、ネストールもセルジュもすでに決まった相手がいた。
が、アルヤの場合はそう簡単にはいかなかった。
何しろ花予見である。能力を隠して結婚すること自体は不可能ではないが、万が一のことを考えるとやはり相手はよく吟味しなければならない。花予見であることがうっかり広まってしまったりしたら一大事だ。
アルヤはそれをよく理解していたし、結婚に恋愛感情など元より不要と思っていたふしがあった。自分の意思など、どうでもいい。関係ないことだ、と。
そのアルヤが、年相応に恋愛の悩みを抱える日が来るとは。兄のような立場を自称しているセルジュとしては、大変喜ばしいことである。
「最初は、用を済ませたらあとは国に引き渡したっていい、とか冷たいこと言ってたのになぁ?」
「……セルジュ。お前それマーシャに言ったら騎士の位剥奪するからな」
「おいやめろ、目が本気だぞ。言わないって。これ以上話拗らせてどうすんだよ」
睨まれてセルジュは顔をひきつらせた。こんなことで、先祖代々守ってきた騎士の地位を失ってはたまらない。
それにしても、伯爵を殺すために『妖精の輝き』を捕まえに行く、お前たちも協力してくれ、などと言われた時には予想もつかなかった事態だ。もちろん、良い意味で。
一体いつからそこまで惚れ込んだのか、詳細はアルヤも語らないので分からないが、セルジュたちが合流した時にはすでに兆候はあったと思う。
イヴァンを気にするマーシャに、面白くなさそうな顔を見せていたからだ。長年の付き合いの仲で、およそ初めて見る表情だった。
セルジュには、アルヤのように花を見ることはできない。彼女が「妖精の輝き」の力を発揮した場面を目撃したこともないので、実際どのように「花を変える」のかも知らない。
しかし、マーシャが来た日から伯爵は確かに変わった。常に眉間に刻まれていた皺はなくなり、表情が穏やかになったのだ。
長年伯爵に仕えているセルジュの父は、今の伯爵を見て「昔に戻られたようだ」と呟いていた。ネストールによれば、古参の召使いや騎士たちも同じように言っていたという。
――変えたというよりも、元々持っていた資質を呼び覚ましたということなのかもしれないね。
皆の話を聞いて、ネストールはそう言った。
花は一人一つと言われるが、実は何種類もの種が、芽を出さずに眠っているのかもしれない。「妖精の輝き」とは、それを咲かせる能力なのではないだろうか、と。
「……考えてみれば、悪い方向に変える必要はなかったんだよな。もっと早く気づくべきだったよ」
「本当にね。僕らも随分考えが偏っていたものだ」
対象に死を与えるのではなく、新たな希望を与える。「変える」のなら、その方が良いに決まっている。
おそらくマーシャは、あの追い剥ぎの男の話を聞いて思いついたのだろう。アルヤの苦しみに引きずられ、セルジュもネストールもその点に思い至らなかった。
「何にせよ良かったよ。あの子に人を殺させるようなことにならなくて。なぁ、ネス」
「本当にそうだね。あとの問題は国、か」
今のところ何か仕掛けてくる気配はないが、それもかえって不気味だ。一体、国はどのような形でマーシャを捕らえにかかってくるのだろうか。
アルヤが、音を立ててテーブルに両手をついた。
「だから、いっそ俺の妻になってしまえばいいんだ。そうすれば国はますます手を出しにくくなるからな」
「……アルヤ、強引なやり方は良くないと何度も言ってるだろう。それに、今そんなことをしたらかえって目立つんじゃないか?」
「そうだぜ。大体、身分はどうするんだ。マーシャは庶民の子だぞ。まさか愛人扱いにでもするつもりか?」
伯爵家の正妻として迎えるには、それなりの身分が必要になる。いくらアルヤが強く望んだところで、彼の想いだけで何とかなる話ではないのだ。
たとえ伯爵本人が許してくれたとしても、周囲が納得しなければ後々マーシャが苦労するのは目に見えている。
「そんなわけないだろう。身分ならどうにでもなる。たとえば、どこかの貴族の家の養女にしてしまえば……」
「おいおい、あの子をまた大好きな家族と引き離すのか? やめとけって、それこそ恨まれるぞ」
「そもそも、マーシャの気持ちを抜きにして進める話ではないよ。分かるだろう?」
二人がかりで畳み掛けると、アルヤはぐっと押し黙った。拗ねたような表情だ。
「……二人は俺の味方じゃないのか」
「味方でありたいけど、だからってマーシャを犠牲にするわけにはいかないなぁ。ここに来るまでに散々傷つけたんだから」
「オレも。女の子は大事にしないとねー」
「…………。分かった、とりあえず庭に通って話をする。そのくらいならいいだろう?」
最大限譲歩してやった、という顔だ。マーシャも厄介な男に目をつけられたものだ。
「焦るなよ、アルヤ。まずは名誉挽回だからな」
「通うのはいいけれど、マーシャの仕事の邪魔にならないようにね」
「うるさい。言われなくても分かってる」
有能だがいささか気の短い次期当主は、すっかりへそを曲げてしまっている。
さて、どうなることか。アルヤの想いが実る日は来るのか。
マーシャには災難かもしれないが、先が楽しみだ。
セルジュは声を立てて笑い、残った紅茶を流し込んだ。
〈了〉
これにて完結です。ありがとうございました!




