1 花と言葉
壁の時計に目をやって、マーシャは小さくため息を吐いた。
「おいおい」テーブルを挟んで座っていた兄のトニオが、読んでいた本から顔を上げて苦笑する。
「何回目だよ、それ。そんなに『花』を見てもらうのが嫌なのか?」
「嫌なわけじゃないけど……」
「なら、もう少し楽しんだらどうだ? せっかくの誕生日なのに」
兄の言葉にマーシャは軽く唇を尖らせて、もう一度「嫌なわけじゃないのよ、ほんとに」とぼやいた。
――この国の人々は、皆それぞれの「花」と「花言葉」を持っている。
大地や森を司る妖精たちからの、祝福として。
花を持っていると言っても、常に手にしているわけではなく、もちろん頭の上に咲いているわけでもなかった。現実に咲く花と結びついてはいるものの、似て非なるものであり、普通の人は見ることができない。
授かるのは、生後間もなく。
花を見ることのできる特別な力を持った人間――「花予見」から、告知される。
マーシャには兄が二人いるが、長兄のトニオは「ナナカマド」、次兄のヒューイは「ハギ」の花を与えられていた。両親も、もちろんそれぞれの花を持っている。
さらに十六才で成人を迎えたら、再度花予見に面会し、いくつかの「花言葉」を授けられる。それが、国のしきたりであった。
花は祝福にして加護。生まれてから死ぬまで変わらない、自己を象徴するもの。
一方、花言葉はその人の特性や生き方を表すもの――と、言われていた。
だから子供たちは皆、十六才の誕生日を夢見ている。自分の花言葉は何だろうと想像を巡らせて、家族や友達と語り合うのだ。そうして、意気揚々と「花予見」のもとへ向かう。
それなのに、まさに今日成人を迎えた妹が浮かない顔をしていたら、兄としては声をかけたくもなるのだろう。
「心配か? 花言葉が」
「心配っていうか。トニーも知ってるでしょ、私の花」
テーブルに頬杖をついて答えると、兄は口ごもった。
「そりゃ知ってるが……いい花じゃないか。庭木としても育てやすいし」
「現実の『花』はね。私だって好きだもん」
そう、花そのものに罪はない。
マーシャはポケットに入れた小袋から、一枚の銀貨を取り出した。そこにはマーシャの「花」が刻印されている。
子供が生まれて花の告知を受けると、親はその花を彫り込んだ銀貨を拵えて、魔除けのお守りとするのだ。
「……どうして、『ボケ』なんて名前なのかしら」
十六年前、マーシャが告知されたのは「ボケ」という花だった。
花自体は決して悪いものではない。寒さが和らいでくる頃に咲くボケの花は、一つ一つは小ぶりだが丸くかわいらしい。枝に連なって咲けばなかなか見ごたえもある。兄が言うように、育てやすいので庭木としても向いていた。
だが、問題は名前である。「ボケ」という、ともすれば悪口にもなり得る名前のせいで、マーシャは幼い頃からさんざん周囲にからかわれてきたのだ。
自己紹介する時、名前と共に自らの「花」を言うのは一種の慣習だった。つまり、名乗る時には「私の花はボケです」と伝えなければならない。
相手が大人であれば、はいそうですかで流してくれる。しかし子供は正直で、ボケという言葉に敏感に反応した。
陰でくすくす笑われたり、「ボケのマーシャ」「あいつ、ボケだからな」などと囃したてられたことも一度や二度ではない。花の名前がその人の性格を表すわけでもないのに。
人が持つ「花」に優劣はないと言われるが、それは嘘だとマーシャは思う。花にも色々あって、華やかなものもあれば地味なものもある。鮮やかな色もあればくすんだ色もあり、大輪の花もあれば小さくこまやかに咲く花もある。良い香りを持つ花もある。
花自体は平等でも、人間はとかく誰かと比較して優位に立ちたがるものだ。
それが生まれ持ったものとなれば、尚更。
兄が立ち上がり、いたわるようにマーシャの肩に手を置いた。
「お前はお前だよ。父さんも母さんも言ってただろう?」
人は人、自分は自分。迷惑をかけているわけじゃないなら気にするな。
花をからかわれて落ち込むマーシャに、両親はいつもそう言っていたものだ。
「……うん。そうね」
「花の名前で言葉が決まるわけじゃない。大丈夫、きっと良い花言葉を授けてもらえるさ」
七年前に花予見を受けた長兄は、「慎重」「あなたを守る」という花言葉を授かっていた。兄らしい言葉だと、マーシャも思う。
元々よく考えてから動く性格のトニオは、子供の頃は臆病者と言われることもあったらしい。しかし、花言葉を得たことで、そんな自分を肯定的に認めることができるようになったという。兄にとって「花言葉」は確かに祝福となったのだ。喜ばしいことに。
でも、自分はどうだろう。
不安が全くないと言えば、嘘になる。
花言葉は必ずしも良いものばかりではなく、むしろ嬉しくない言葉が含まれることもあると聞く。戒めの意味や、注意を促す意味があるなどと言われるが、本当のところはよく分からない。
花と違って、花言葉はあまりべらべらと喋るものではないのだ。家族や親しい人に話すことはあるし、結婚する時やそれなりの職業に就く時には開示を求められるが、人の花言葉を無理やり聞き出したり言いふらしたりするのは品のない行為として嫌われる。
だから、実際にどんな言葉が与えられているのかは、本人と近しい人しか知らない。まして解釈となると、完全に当人次第と言っていい。花予見が与えてくれるのは、あくまで言葉だけなのである。
――花予見。花を授け、言葉を与えるひとたち。
それは職業名でもあり、能力そのものの名前でもある。なぜか女性ばかりで、男性はいないという。
花が見えるのは「妖精の愛し子」たる証だと言われていた。妖精と心を通わせて、その声を聴くことができる。花も言葉も決めるのは妖精であって、花予見はあくまでその口を貸しているだけなのだ、と。
誕生日を迎えたマーシャはこれから、その花予見がいる「花の社」へと出向くことになっている。赤ん坊の頃にも両親に抱かれて行っているが覚えているはずもないので、実際に会うのは初めてだ。
どんな人たちなのだろう。
どんな言葉を、与えられるのだろう。
あまり公にするものではないとは言え、花言葉は将来を左右するものでもある。女性は美しさや気立ての良さを表す言葉をもらえれば結婚に有利だし、男性は男性で誠実さや勇敢さ、富を示す言葉がもてはやされるという。
良い言葉を授かりたいという思いは、万人に共通だ。
しかし、花の名前で弄られ続けてきたマーシャにとっては、期待よりもあきらめの方が強いのが本音であった。
「平穏な言葉だといいんだけどな……」
「そういうのがいいのか?」
「うん。まあ、『愚か』とか『鈍い』とかじゃなければ何でもいいかなぁって」
「いや、だから花の名前は関係ないって……前向きなのか後向きなのか分からんな、お前は」
あきれたような兄に笑って、マーシャは銀貨を大切にしまい込む。そろそろ、時間だ。
行かなければ。「花の社」に。