15 花の対面
伯爵は濃紺の髪に白髪が交じり、威厳ある風貌の人だった。先程肖像画で見た伯爵夫人とは異なり、アルヤとは全く似ていない。
マーシャはごくりと唾を飲み込んだ。この方が、領主――カリヴィス伯爵。
アルヤの力を利用するため、本当の親から奪い、自らの子として育ててきたという人。
その人はマーシャを認めると、怪訝そうな表情を浮かべた。
「アルヤ。そちらは?」
「あっ、わ、私は……!」
頭を下げて名乗ろうとしたマーシャの肩を、アルヤがしっかりと抱き寄せた。
「彼女はマーシャ・ガルデス。ボケの花の持ち主で、俺の婚約者です」
「何……?」
「ちょっ……! ア、アルヤ様?!」
いきなり何を言い出すのだ。心臓に悪すぎる。
だが、アルヤはにこにこと笑うばかりだった。
「ポロスの町でひとめぼれしまして。妻にするべく、ここまで連れてきました」
「つ、つま?!」
「……アルヤ。戯れはよせ」
伯爵が顔を歪めた。全くだ、マーシャも内心で同意する。
跡取り息子が一介の町娘を妻にするなどと、伯爵が許すはずもないだろうに。何を考えて、こんなとんでもないことを言い出したのか。
「戯れとは心外ですね。本気なんですが」
「お前は次期領主だぞ。結婚は釣り合いというものを考えなくてはならん。分かっているだろう。……でなければ、いずれその娘も不幸になる」
伯爵はマーシャに哀れむような視線を向けた。
「大体、今まで散々見合い話を反故にしてきただろう。まだそんな気はない、と言っていたのは誰だ」
「ありませんでしたよ、彼女に会うまではね」
肩を抱くアルヤの手に、ぐ、と力がこもる。
「マーシャは庭師なんです。彼女の『花』は、それはそれは綺麗に咲いていた」
意味ありげな言い方に、伯爵がぴくりと眉を動かした。何とも巧妙な物言いだ。
ごく普通の花のことを指しているような言い方だが、アルヤの力を知っている人間には別の意味に聞こえるだろう。
「……それで気に入ったとでも言うのか?」
「その通りです、父上」
「ならば、庭師として雇えば良かろう。妻ではなく」
――あ。
マーシャは急いでアルヤを見上げた。まさか、彼は、これを伯爵自ら言わせるために?
アルヤは鉄壁の笑顔を崩すことなく、父の提案に大きく頷いた。
「なるほど、良いお考えです。では、まずは庭師――いや、花守としてここで働いてもらいましょう。そろそろ、奥庭も手入れが必要ですからね」
「……まずは、とは何だ。いずれ妻にするとでも言うのか? 儂がそれを許すとでも?」
「ええ。彼女の育てる花を見れば、父上もお分かりいただけるかと思います。必ず」
目の前で繰り広げられるやり取りに、マーシャは最早付いて行けない。何だこの急展開は。アルヤは一体、何を企んでいるのか。
伯爵は顎に手をやり、マーシャをまじまじと見つめた。厳しい視線に身が縮みそうだ。いや、もういっそ縮んで身を隠してしまいたい。
「……奥庭か。最近は行っていないな」
「では、いかがですか。ご一緒に」アルヤがさらりと伯爵を誘う。
「これから彼女を連れて行くつもりだったんです。やはり本業は庭師ですからね、どんな庭なのか気になるようですし」
伯爵はマーシャを値踏みするように見つめた後、疲れたように息を吐いた。
「……まあ、いいだろう。今日は他に用はない」
書類の整理を終わらせてから行く、という伯爵に一礼して、先に庭で待つべく二人は部屋を出た。
ようやく肩を解放され、マーシャはアルヤに食ってかかる。
「――何なんですかいきなり! 聞いてませんよ!!」
「何って、君が言ったんだろう」
伯爵を奥庭に連れ出してほしいと。
全く悪びれないアルヤに、マーシャは頭を抱えた。
「言いましたけど! だからってあんなこと言い出さなくても……!」
「だが、おかげで花守にはなれただろう? 庭に連れ出すことも成功した」
「それはそうですけど……他にやり方ありましたよね?!」
ネストールやセルジュは、彼の作戦を知っていたのだろうか。いや、多分聞かされていない。
心配して付いて行こうかと言ってくれた二人に対し、アルヤは「大丈夫だ、上手くやるから」と断って席を外させたのだ。全く大胆と言うか、目的のためなら手段を選ばない人である。
「難しい要求を通すためには、それを超えるような無茶を先に言うのが交渉の基本だ」
アルヤは歩きながら身をかがめ、まるで内緒話をするように言った。誰に聞かれているわけでもないだろうに。
「最初から馬鹿正直に『新しい花守です』などと言っても、まず通らない。あの人は疑り深いからな」
「余計に警戒されたような気が……あの、ち、近いんですが」
「婚約者ならこのくらい普通だろう」
「作り話ですよねそれ?!」
楽しんでいる。この人、絶対に楽しんでいる。
いくら作戦だとしても、これはない。翻弄されるこちらの身にもなってほしい。
伯爵からすれば今のマーシャは「息子を誑かす女」だろう。何とか花守として雇ってもらえたとしても、そのうち適当な理由を付けられて追い出されてしまいそうだ。
もしくは、早急にアルヤを結婚させようとするかもしれない。身分相応の女性と――それなら大歓迎だ。むしろ助かる。
「……早くご結婚なさってください、アルヤ様」
「何だ、いきなり」
「それが一番平穏に治まる道だと思います。誰にとっても」
重々しく言うマーシャに、アルヤは「どうだかな」と呟いた。
「少なくとも、俺にとっては平穏ではない」
「……え? 何故です?」
「見合い話はよく来るが、相手の目的は俺の地位だ。まぁ、貴族の結婚なんてそんなものだからな。俺も、どうせなら一番得になる相手を選んでやればいいと思っていた」
家柄を重視する貴族にとって、結婚は家と家を結びつけるものであり、本人たちの意思はほとんど関係がない。そんな話を、マーシャも聞いたことがあった。
貴族同士の恋愛結婚もあるにはあるが、数は決して多くないという。ほとんどは親同士の思惑で決まってしまうらしい。
「だが……君の家族と会った時、率直に羨ましいと思った」
「えっ? うちの家族ですか?」
「伯爵家に庭師として雇われるとなれば、むしろ喜んで娘を差し出すだろうと思っていたんだ。だが、君の父親は――家族は、そうではなかった」
「……急すぎて付いていけなかっただけかと思いますが……」
確かに大歓迎する空気ではなかったが、単に戸惑っていただけだと思う。
思い出しながら言うマーシャに、アルヤは苦笑した。
「君の家族は、君を心から愛して心配していた。……それが、俺には眩しかった」
「眩しい……?」
「そのショールは母親がくれたんだろう? 髪飾りは、友人が」
「……ご存知だったんですか」
家族やモナと別れの挨拶をしている時、彼の姿はなかったはすだが。
アルヤは涼しい顔で「一応、逃げられないようイヴァンに見張らせていたからな」と答える。成程、イヴァンがマーシャの花を知っていたのはそういう訳だったのか。
「父と兄たちも、それぞれ餞別をくれました」
「そのようだな。君の家族は、本当に仲が良い」
かすかに微笑むアルヤを見て、マーシャは思う。この人はきっと、家族の愛に飢えてきたのだ。
母はとうに故人で、父は威厳漂う伯爵。ネストールやセルジュは仲間で気安く話せる仲とは言え、やはり立場が違う。
特殊な能力を持っていたこともあって、子供時代から悩み、寂しい思いをしてきたのだろう。自分の出自を知った後は、尚更孤独を深めたに違いない。
「結婚なんて損得でしか考えていなかったが……それが、途端に空しく感じられた」
「アルヤ様……」
「君の家のような暖かい家庭が作れるなら、毎日がきっと楽しいだろう、と」
寂しげに揺れる瞳に、胸が詰まる。
この人は、ただ、父親に愛してほしかっただけなのかもしれない。
妖精に愛されて授かった力も、美しい容姿も、明晰な頭脳も。彼を幸せにしてはくれなかった。本当の家族と引き離され、育ての親からは利用され、孤独と憎しみを募らせた青年。
マーシャは立ち止まり、アルヤに向き直った。
「大丈夫ですよ、アルヤ様。あなたを幸せにしてくださる方は、きっといます」
地位や容姿に群がる女性はもちろん多いだろうが、そんな人ばかりではない。
花予見という能力のせいで、相手を選ぶのも慎重にならざるを得ないのは分かるが。それも含めて愛してくれる女性がきっといるはずだ。
「あきらめないで探しましょう。私にできることがあれば、何でも協力しますから!」
これまで苦悩した分、ぜひとも彼には幸せな家庭を築いてほしい。
拳を握って力説するマーシャに、アルヤはどこか気の抜けた調子で言った。
「……どうも伝わらないな」
「伝わってますよ。アルヤ様の未来の奥様の話でしょう?」
「いや、まぁそうなんだが……そうではなく」
彼らしくもなく歯切れが悪い。
アルヤは美しい金髪をかき混ぜて、長いため息を吐いた。
「まぁ、いい。君が手強いのは割と最初から分かっていたしな」
「手強い?」
「いや、気にするな。――それより、着いたぞ」
話を打ち切って、アルヤが木製の扉を開ける。
目の前に突然、緑が広がった。
手入れを放棄され、荒れた「奥庭」がそこに在った。
 




