12 花と真相②
「あ、アルヤ様が花予見……?!」
「ああ」
「本当ですか?! だって、花予見は……」
マーシャの知る限り、花予見は女性しかいないと言われていたはずだ。しかし、アルヤは。
「……もしかして、アルヤ様は」
「違う。俺は正真正銘男だ」
食い気味に言葉を被せられた。まだ何も言っていないのに。
「確かに過去の記録を見ても、男に花予見の力が表れた例はない。だが、俺は生まれつき見えるんだ。たとえば、君の友達はラナンキュラスだろう? 花言葉は『晴れやかな魅力』『光輝を放つ』」
「せ、正解です……」
「それと、君の二人の兄はナナカマドとハギだな。違うか?」
その通りだ。合っている。
家で話をした時、両親はきちんとアルヤに花を名乗ったが、兄達は頭を下げていただけだ。モナもまた、名前も花も彼には伝えていない。
ということは、本当に……?
「信じられないのは分かるよ、マーシャ。でも、本当のことなんだ」
「……ネストール様」
「アルヤには、花が見える。花言葉も分かるんだよ。それも、子供の頃からね」
「でも、さっき……特別な訓練が必要だと」
「普通の花予見は、と言っただろう。あいにく俺は、普通ではなかったんだ」
アルヤは少し唇をゆがめた。
「……君には多くの嘘をついたが、俺が養子だというのは真実だ。実の子として育てられたのもな」
「それは……伯爵家に跡取りが生まれなかったから、ですか」
「いや、そうじゃない。もちろん、それも影響はしているが」
苦々しい表情を浮かべて、アルヤは吐き捨てるように言った。
「――父は、俺の力を利用しようと企んだ。本当の親を殺して、俺を奪い取ったんだ」
青い瞳が苛烈な光を湛えた。
咄嗟に言葉が出てこないマーシャを見つめたまま、アルヤは続ける。
「……十八年前、父は報告書を見て、花予見の力を持つ男児が領地内に生まれたのを知った。俺は物心ついた時には既に花が見えたが、赤ん坊の時からその兆候があったようだ。俺を見た花予見が、記録していた」
とある小さな町の夫婦に生まれた男児。その子の報告書の欄に、花予見の印が付けられていた。
伯爵はそれを見て、花予見の力を我が物にしようと、赤子を攫ってきたのだという。
「だが当然、赤ん坊には親がいる。そして、花予見であることは国にも知らせが行っている。だから父は一計を案じた」
「一計……?」
「盗賊に襲われたことにして、両親を殺害したんだ。花予見の力を持つ赤ん坊も死亡――そう報告して、国の目を欺いた。そして密かに俺だけを連れて帰り、自分の実子として育てたんだよ」
「本当に盗賊に襲われたのでは……ないのですか?」
「だとしたら、俺はその時に死んでいるはずだ。運良く生き残ったとしても、孤児院行きになるだけだろう」
「う……で、でも、いきなり余所から赤ちゃんを連れてきたら怪しまれますよね?!」
いくら伯爵でも、どこかから赤子を連れて帰って「今日から自分の息子だ」というのは無理があるだろう。大体、伯爵にも妻がいたのではなかったか。
マーシャの疑問に答えたのはセルジュだった。
「うちの親父は、アルヤが伯爵の実の子だと信じ切ってる。多分、他の人間も同じだよ。養子だと知ってるのは本当にごく一部だ」
「そんな……! いくら何でも無理がありますよ!」
「実は、ちょうどその頃、リィズ様――伯爵夫人が懐妊しておられたんだよ」
口を挟んだのはネストールだった。
「でも、リィズ様は産後間もなく亡くなられた。身体の弱い方だったからね。アルヤが連れて来られたのは、まさにその時だったと聞いている」
「……じゃあ、まさか」
「そう。伯爵は騎士や召使いたちに、こう仰ったらしい」
――リィズは命を落としてしまったが、代わりにこの子を残してくれた。
「難産の末に母親は死亡、しかし子供は無事だった……そういうことにされたんだよ、当時はね」
「でも、それなら本当の子供は……?!」
「死産だったんだろうな、多分」セルジュがため息をついた。
「元々、リィズ様の身体は出産には耐えられないと言われてたらしい。子供も駄目かもしれないと……屋敷の中では噂されてたって話だ。伯爵はそれを分かっていたんだろうな」
「幸か不幸か、アルヤの髪はリィズ様と同じ色だったしね。顔も心なしか似ていた。だから皆、疑うことはなかったんだよ」
セルジュとネストールの言葉に、マーシャは呆然とする。何もかも、周到に仕組まれていたということか。
アルヤを――花予見の力を利用するために。
「子供は、見えたものをそのまま口にするだろう? 幼い頃、俺も父に喋っていた。あの人の花は赤い、この人の花はあまり元気がない……といった調子でな。父は、喜んで聞いてくれた」
だからそれを悪いとも思っていなかった、とアルヤは呟く。
「……それはそうでしょう、子供なんですから」
「『花』が皆に見えるものではなく、安易に口にするのは良くないと理解した後も……父は多くの人間に俺を引き合わせて、密かに俺に尋ねた」
――あの人はどうだ、アルヤ。
――あの人の花は? 花言葉は?
「花予見は嘘がつけない。いや、関係ないことならば別だが、『花』や『花言葉』に関することについては偽ることができないんだ。黙秘することもな」
――花予見は妖精王のご意思。私が偽ることは不可能です。
あの銀髪の花予見も、確かにそう言っていた。
「聞かれたら、無意識に答えてしまう。その花が何なのかも、どんな花言葉を持っているのかも……花が、どんな状態なのかも」
「……アルヤ様」
「父は、それで全てを決定した。花の状態が良くない、あまり良い花言葉を持っていない……それを理由に人を遠ざけ、どんどん疑心暗鬼になっていった」
負の面が少しでもあれば、信用に値しない。一つの曇りもない、清廉潔白で健やかな人間でなければならない。
養い子の花予見を当てにするあまり、伯爵はいつしか、そんな考えに囚われてしまったのだという。
アルヤは膝を付いたままうなだれた。
「……長年仕えてくれた召使いが、ほんの少し『花』が萎れていたからという理由で解雇される。そんなことが常態化していた。イヴァンの祖父も、そうして屋敷から追い出されたんだ」
「え、イヴァンさんの……?!」
「ああ、先代の『花守』だった。俺も随分良くしてもらったのに、父は許さなかった。年を取れば、花だって少しは萎れてくるのが当たり前なのにな」
マーシャはイヴァンを見た。
相変わらずの鉄面皮だったが、ほんのかすかに悲しみがよぎったように見えた。
「……疑わしきは罰す。それが領地全体に広がってしまったら、どうなると思う?」
「それは……」
「父の指示一つで、領民にも被害が及ぶことになる。あいつは良くない花言葉を持っているから、そのうち犯罪でも犯すに違いない、と決めつけて捕らえられるんだ。……それがどんなに辛いことか、君なら分かるだろう。マーシャ」
――ボケのマーシャ!
花の名前だけでレッテルを貼られ、泣いていた幼い自分。
祝福であるはずの花が、呪いになってしまうことの怖さを、確かにマーシャは知っている。けれど。
「俺は父のやり方に納得できなかった。それで、密かに調べたんだ。自分が何者なのかも、父を止める方法も」
「……それが、伯爵を殺すことだと仰るんですか。『花』を変えることで?」
「もちろん、説得も試みた。……全く耳を貸してもらえなかったがな」
アルヤは視線を逸らして答えた。
「父はそれなりの年齢だが、あの人個人の花――『タチアオイ』はまだまだ生気に溢れている。寿命はまだ、当分先だ」
「寿命……そこまで分かるんですね」
「ああ。……説得が無理なら、暗殺するしかないと思った。が、相手は伯爵だ。変死したとなれば、おそらく国が調査に出てくる」
領地内の事件はおおむね領主の裁量で処理されるが、領主本人が対象の場合は国に権限がある。殺人の可能性があるとなれば、ほぼ確実に詳細な調査が入るだろう――アルヤはそう語った。
「俺が養子であることも、花予見であることも、国は知らない。屋敷の中でさえも、知っている人間は少ないんだ。だが、調査が入ればほぼ確実に知られることになる」
「……知られるといけないのですか? むしろ、保護してもらえるのでは」
「普通の『花予見』ならな。男で、訓練もせずに花が見えて、しかも伯爵家の跡取りとくれば……国はむしろ潰しにかかる可能性の方が高い」
力は欲しいが、強すぎる力は必要ない。そういうことだと、アルヤは言う。
「現に、『妖精の輝き』のことは何としても捕らえようとしている。君の力も、国にとっては手に負えないものだからな」
「でも! 私、そんな力、知りません!」
マーシャは縋るように訴えた。
「花を変えるなんて、無理です。花を見ることもできないのに、どうやって変えるって言うんですか?!」
「いや、君にはできる」
きっぱりと、アルヤは断言した。
「逃げ出した夜のことを覚えているか? 夜道で追い剥ぎに襲われそうになっていただろう」
「えっ? あ、はい……それが?」
「君を見つけた時、あの男は地面に突っ伏して号泣していた。ネスとセルジュがすぐに捕まえて、町の警官に引き渡したんだが、その男は君のことを『妖精』と言っているそうだ」
「よ、妖精?!」
どこをどう見たらそうなるのか。
目を剥いたマーシャに、ネストールが続けた。
「目が金色に光っていて、地面から浮いていた、と。彼はそう言っていたよ。身体もうっすら、光っていたと」
「そ、んなわけありません……!」
「オレたちが見つけた時には、君はいつも通りだったけどな。でも、あの男はそう言い張ってる。自分は妖精に会って、改心させられたんだってな」
セルジュの言葉が頭をがんがんと揺らす。
妖精? 改心? まさか。
だって、自分は何もしていない。男と遭遇した記憶はあるが、話しているうちにあちらが泣き出したのだ。
「……捕まった男は、ホウセンカの銀貨を握りしめていた。これが自分の花だとも、言っていた」
落ち着かせるようにゆっくりと、アルヤが言う。
「だが、俺があの男を見た時、咲いていた花はアスターだった。この意味が分かるか?」
「……花が……変わった?」
「そうだ。君はあの晩、無意識のうちに『妖精の輝き』の力を発揮して、あの男の運命を変えたんだよ」
――花を変える。
――運命を変える、力。
「……嘘」
「嘘じゃない。マーシャ」
「嘘です! そんなの嘘!! 信じられない!!」
耳をふさいで、マーシャは叫んだ。一度は止まった涙が、布団にぼたぼたと零れ落ちる。
マーシャ、と呼ぶアルヤの声が聞こえた。だが、もう何も聞きたくない。何が本当で、何が嘘なのか、もう、分からない。
「家に、帰して。帰してください……!」
「……ここで帰しても、いずれ国に捕まる」
「人を殺す手伝いをさせられるくらいなら、その方がましです!!」
妖精の輝きなんて知らない。自分がそんな大層な存在だと言われても、何一つピンとこない。
分かるのは、伯爵を殺すために連れてこられたということだけだ。花守になってほしいとか、ひとめぼれしたとか、そんな嘘まで吐いて。
――出会った時、アルヤにはマーシャの花が見えていた。おそらく、花言葉も分かったのだろう。
あの突拍子もない「ひとめぼれ」発言も、結局、花言葉を体よく利用したにすぎないのだ。
「……同じです。伯爵も、あなたも」
「何……?」
アルヤの纏う空気が一気に剣呑になる。怒らせたのは明らかだった。が、分かってもマーシャは引かなかった。
「あなたの『花予見』を悪用してきた伯爵と! 『妖精の輝き』を利用して伯爵を殺そうとするあなたと! 何が違うって言うんですか?! 同じでしょう?!」
「……っ、それは」
美麗な顔が歪む。騙してここまで連れてきたという罪悪感は、彼にも少なからずあったのだろう。
――花に呪われてきたんだな。
そう言ったアルヤの悲しげな顔が浮かぶ。
これが「愛し子」として生まれた者の苦悩なら、祝福とは一体、何だ。妖精王は、どうしてこんな運命を与えたのだろう。
「マーシャ……俺は」
ためらいがちに掛けられた声に、マーシャは首を振る。今は頭がぐちゃぐちゃで、何も考えられそうにない。
「……一人に、してください。お願いします」
「しかし」
「もう、逃げ出したりはしません。約束しますから」
嘘はつかない。やられて悲しかったことは、人にはしない。
マーシャの言葉に、アルヤは「……分かった」と言い置いて部屋を出て行く。他の三人も、後に続いた。




