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9 花の逃亡

 音を立てないよう細心の注意を払って、マーシャは窓を開けた。幸い、この部屋は一階だ。窓から出入りするのは難しいことではない。

 ――これが一番いいはずだ。

 アルヤの、身の安全を考えるなら。




 ネストールとセルジュと合流した後、一行は次の町まで移動することになったが、途中で例のごとく襲撃は受けた。

 護衛が増えたこともあって難なく切り抜けることはできるかと思いきや、相手も数を増やしており、しかも飛び道具を携えていた。

 弓矢だ。いよいよ本気でアルヤを仕留めにかかっているらしい。 


 イヴァンたちが応戦する中、アルヤはマーシャを抱えていつも通り馬を走らせていたが、途中で「うっ」とうめき声を上げた。


「アルヤ様?! 大丈夫ですか?!」

「……ああ。掠っただけだ」


 見れば、左肩からうっすら血が滲んでいる。相手の矢が掠めたのだろう。


「血が出てます、手当てしないと……!」

「このくらい大丈夫だ。君はどこもやられてないな?」

「わ、私は平気です。でも」

「ならいい。とにかく、ここを切り抜けてからだ」


 マーシャを隠すように抱え込み、アルヤは馬を走らせる。額には汗が浮かんでいたが、表情は引き締まり、動きに淀みはなかった。



 町に着くと、イヴァンたちがアルヤに駆け寄ってきた。ネストールが慣れた手付きで服を脱がせ、怪我の状態を診る。


「良かった、毒は塗ってなさそうだ。血ももう止まりかけてる」

「ああ、大したことはない。避けられなかった俺の失態だ」

「いや、オレたちが甘かったよ。弓矢を持ってきたとなると、こっちも戦い方を考えないとな」 


 セルジュが苦い表情を浮かべて言う。

 黙っていられず、マーシャは口を開いた。


「あの、私、歩いて行きます」

「……は? 何を言っているんだ」


 アルヤが片眉を上げた。余程意外な言葉だったらしく、ネストールとセルジュも目を丸くしている。


「二人乗りだと、どうしても動きが制限されますよね? 本当は別の馬に一人で乗るのがいいんでしょうけど、あまり乗馬には自信がありませんし……馬を借りるお金もありませんし」


 ポロスを出てから二日は経っている。伯爵家までは馬を飛ばして三日くらいと聞いていたから、このまま馬で進めばあと一日もかからないだろう。

 少なくとも狙われているのはアルヤであって、彼を早く家まで戻さなくてはならない。家は家で安全とは言い切れないようだが、こんな形で襲撃を受けることはないだろう。イヴァンたちが目を光らせていれば、そうそう滅多なことは起こらないのではないかと思う。


 要するに、マーシャは後から行けばいいのだ。庭もエビネの花も、逃げはしないのだから。女の足でも数日あればたどり着くはずだった。

 しかしアルヤはきっぱりと「駄目だ」と言った。


「君を一人にするわけにはいかない。危険すぎる」

「そうだよ、マーシャ」ネストールが諭すように続けた。

「いくら何でも女性一人では危ないよ。この辺りは治安が良い方ではあるけれど、時々盗賊も出るんだ」

「でも、アルヤ様は今まさに危険に晒されてるじゃないですか!」


 分かってほしい。マーシャは必死に言い募った。


「私が足手まといになってるんです。お一人だったら、怪我せずに済んだかもしれないのに」

「マーシャ、落ち着いて。君のせいじゃない。オレたちが守りきれなかっただけのことだよ」

「じゃ……じゃあせめて、アルヤ様の後ろに乗ります。それなら盾の代わりくらいには……!」

「マーシャ!!」


 たまりかねたように、アルヤが大声を上げた。


「俺が、君を盾にするような男に見えるのか」

「いえ……見えません、でも……」

「俺の怪我は俺の責任だ。君が気に病むことじゃない。大体、後ろじゃ振り落とされるだけだ」


 マーシャは俯いた。アルヤの言うことは正しい。

 盾などと言ったものの、前から後ろに移動したところで大した効果はないだろう。乗馬に慣れているわけでもなし、かえって足を引っ張ることになる可能性の方が高い。


 けれど、万が一、もしものことがあったら。

 自分を庇っていたせいで、彼が命を落とすようなことになってしまったら。マーシャはその事実を背負いきれる自信がない。

 怖い。怖くてたまらない。自分が傷つくよりも、ずっと。


 アルヤの手が伸びてくる。白い花の髪飾りに、そっと触れた。


「……『ボケ』のマーシャ。君はあの町でそう呼ばれていたな」

「え……?」

「花に呪われてきたんだな、君も」


 花に、呪われる?

 それに、君も、とはどういうことだろう。

 疑問はいくつも浮かんだが、アルヤの目はどこか悲しげで、尋ねることができなかった。


「……君を連れ出して、巻き込んだのは俺だ。言っただろう、守ると」

「はい……でも」

「でもじゃない。責任は最後まで取らせてくれ」


 言い聞かせるようなアルヤの言葉が、鼓膜を打つ。


「……はい」


 何とか絞り出した声は、震えていた。




 部屋の明かりを落とし、荷物を手にして窓枠に足をかける。念のため部屋のドアを振り返ったが、誰かが入ってくる様子はない。

 ゆっくりと地面に足を下ろし、マーシャは慎重に窓を閉めた。宿屋の裏手の茂みは真っ暗で、しんと静まり返っている。少し寒い。母から貰ったショールを羽織ってきて正解だった。


 ……昼間はああ言ったものの、マーシャはやはり納得できなかった。


 アルヤを守ることを最優先にすべきなのに、彼らは頑としてマーシャが別行動をすることを認めない。自分を連れ出したことに責任を感じているのだとしても、それはそれ。話が別だ。


 確かに女一人の道中は危険な目に遭う確率が高い。が、絶対ではない。それに比べて、アルヤが明日も襲撃を受けるのはほぼ確実である。現に今まで毎日襲われているのだから。

 マーシャが離れることで少しでも生き延びられる確率が上がるなら、その方が良いに決まっている。


 アルヤは将来、領主になる人だ。短い間ではあるが行動を共にして、彼がいかに優秀な人間かはマーシャにもよく分かった。

 この人を死なせてはならない。州のためにも、国のためにも。絶対に。



 ひとまず酒場にでも行って、手当たり次第探してみよう。伯爵家まで連れて行ってくれる人を。

 お金は父から分けてもらったものがある。見知らぬ小娘でも多少金額を弾めば、連れて行ってくれる人はいるかもしれない。


 息を潜めて、一歩を踏み出す。表通りに出るまでには、いくつかの部屋の下を通り過ぎなくてはならない。

 ひとまずの難関は、煌々と明かりがついた隣の部屋だ。そこにはアルヤが泊まっているが、セルジュやネストールの声もかすかに聞こえてくる。明日の襲撃に備えて、打ち合わせでもしているのだろう。


 一歩、また一歩。部屋に近づくごとに、声は大きくなっていく。緊張のあまり鼓動が外まで聞こえてしまうのではと不安になるほどだった。


 ――ごめんなさい、アルヤ様。皆様。


 皆に秘密で事を進めようとしていることに心の中だけで詫びる。

 目をぎゅっと瞑り、窓の下を通り過ぎようと歩を進めた。


「……本当に、間違いないんだな」

「ああ。俺には分かる。あの子が『妖精の輝き』だ」


 ――妖精の、輝き?


 聞き慣れない言葉に足が止まる。窓はちょうど、真上だ。

 ネストールの問いかけにアルヤが答えたようだったが、あの子、とは誰のことだろう。


「しかし……本当にできるのか? 花を変えてしまうなんてことが」

「できるからこそ、国はあの子を狙ってるんだ。これだけ毎日襲撃してくるんだぞ、どれだけ重要視してるか分かるだろう?」


 毎日、襲撃。

 まさか、あの子とはマーシャのことを指しているのか。

 いや、それにしても話がおかしい。あの襲撃者たちはアルヤを狙う刺客であるはずだ。父である伯爵が差し向けたのだと、彼自身が言っていたではないか。


「まあ、お前が言うならそうなんだろうけどさ」セルジュの声が聞こえた。

「マーシャは自分の力を知らないわけだろ? なのに騙して連れてくのってこう、良心が咎めないか?」

「お前にそんなものあったのか、セルジュ」

「あのなぁ……。だって見るからに善良な感じの子じゃん。今日なんて、お前の盾になるなんて言い出すくらいだし」


 身体ががたがたと震え始める。

 マーシャ、とセルジュは言った。間違いなく、これは自分のことを話している。

 でも、力とは何だ。騙して連れてく、とは?  アルヤは、セルジュは、一体何を言っているのだろう?


「全部が全部嘘じゃない。少なくとも、俺が養子だってのは本当だ」

「でも、伯爵に隠し子はいないぜ。お前の命を狙ってるってのも違うだろ」

「命は狙ってなくても、俺の力を悪用してきたのは事実だ。このままにはしておけない。ネス、お前なら分かるだろう」

「……良くないのは分かるよ、もちろん。だが、そのために彼女を使うのは」

「お前までそんなことを言うのか」


 苛立ったようなアルヤの声が、脳を揺らす。

 彼と出会ってから今までの出来事が、すべて根底から揺さぶられて、崩れていく。


「伯爵が突然死を遂げるなんてことになってみろ。必ず国が調査に出てくる。そうなれば、ほぼ確実に俺の力のことも知られることになるんだぞ」

「アルヤ……それは」

「自然に死んでもらうのが一番いいんだ。マーシャにはそれができる。『妖精の輝き』を持ったあの子なら、対象に『死』の花言葉を与えることも可能なんだ」


 背筋が凍った。

 この人たちは――アルヤは、伯爵を殺そうとしているのだ。「妖精の輝き」という、よく分からない力を使って。

 そして、マーシャがその力を持っていると言っている。


「妖精の輝き」なんて知らない。聞いたこともない。なぜマーシャにそんな力があると確信しているのか理解できないが、どう考えても人違いだ。自分では有り得ない。



 ――君の腕にひとめぼれしたんだ。



 出会った時のあの言葉も。



 ――力を貸してほしい。



 真摯に訴えかけてきた、あの目も。

 全ては嘘だった。仕組まれたことだった。

 そして、自分が受け取るべきものではなかったのだ。


 ……ひとめぼれ、とか。魅惑的な恋とか。

 あの花言葉に、思った以上に影響されていたのかもしれない。

 たとえ恋愛的な意味ではなくても、あんな言い方で強く求められてしまったから。心のどこかで浮かれていたに違いない。


 分かっていたはずなのに。

 花を蔑まれてきたような人間に、そんなお伽話のような出来事が起こるはずがないことくらい。

 なんて浅ましいのだろう。思い上がりも甚だしい。だから自分は「ボケ」なのだ。


 いつの間にか流れ出ていた涙をごしごしと拭い、マーシャは軽く首を振った。


 ……でも。これで、未練なく去ることができる。


 伯爵を殺すなんて物騒な話に加担することはない。自分はただの見習い庭師であって、そんな力はないのだから。

 しかし、その伯爵の暗殺計画を耳にしてしまった以上、すんなり帰してもらえる保証はない。ならば尚更、今のうちに逃げ出さなければならない。ネストールあたりは擁護してくれそうだが、事が事だ。ともすれば口を封じられかねない。


 狙われているのがアルヤではなくマーシャなら、自分が離れればもう彼に追手はかからないだろう。こちらはしばらく狙われるかもしれないが、襲撃者だって人違いだと分かれば用はないはずだ。

 こんな状況だと言うのに、マーシャはその事実に安堵していた。

 アルヤはもう、無駄な傷を負うことはない。それだけは、確かだ。



 ――出来るだけ早く、人違いに気づいてもらうことを祈ろう。

 そして、巻き込まれた一庶民に、ひとかけらでも情けをかけてもらえることを。



 マーシャは町の出口に向かって歩く。

 部屋の中ではまだ会話が続いていたが、もう、耳を傾けることはなかった。

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