森8 雪花の目論見
「雪花の歳はいくつなんだ?」
森を進んでいる間に景色もだいぶ変わっていた。
岩場が増えたなと、雪花が辺りを見回している時だった。
ボンクラ王子が突然に聞いてきたわけだ。
彼女は思わず身構えた。
「なんで突然に歳の話なの?」
「いや、ちょっと気になったもんだから……」
彼はどこか含みのある視線をしている。
ここは舐められてはいけないと思う。
主導権を取られて、年上風を吹かされてはたまらない。
「十八歳」
「え?」
目を見開いた王子を、彼女はキッと睨みつける。
「いいでしょ、幾つだって! どうせ貧弱なお子様体形で、この女じつはガキなんじゃないかって思ったんでしょ。分かってるわよ。色気も素っ気もないことくらい知ってる! そんなの大きなおせーー」
慌てて両手で口を塞いで、彼女は真っ赤になった。
この何でも口に出る呪いは本当に迷惑だ。
王子はキョトンとしてから、喉の奥でククッと笑った。
彼女は口を塞いでいた手を離すと、眉を吊り上げて王子を指差す。
「わ、笑った。いま、笑ったでしょ。人のコンプレックスを笑うなんて、最低だと思う。小さかろうが、痩せこけてようが、嘲笑する何て、人として恥じるべきことよ!」
「いや、違う。ごめん、ええと。森の中で一人で暮らしてるわけだろ。家族もなしにさ。だからーー」
ボンクラ王子が駄々っ子をなだめる口ぶりになったから、雪花の口は止まるどころではなかった。
「あんたなんかに、心配してもらう必要なんかない。去年には成人してるし、あんたみたいなボンクラの何倍もちゃんとしてる。だいたい女性に歳を聞くなんて紳士のする事じゃないわよ。女性に見えないっていいたいのかもしれないけど、それこそ大きなお世話だわ。男性にモテなくったって、そういう事が一回も起こってなくたって、あんたには関係ない!」
彼女はすでに、真っ赤を通り越して青くなり、肩で息をついている。
ボンクラ王子は困ったような、面白がっているような顔で雪花に微笑んだ。
「心配しなくても君はちゃんと女性に見える。むしろーー」
彼は途中で言葉を飲み込んで、眉を下げた。
雪花は噛みつくような目で王子を睨む。
「むしろ、何よ!」
「……いや。いろいろ弊害がありそうだから黙っておく」
彼女はムッとしたように言った。
「ボンクラはいいわよ。そうやって言葉を選べるんだもの。あたしは、何でもかんでも言わなきゃいけない」
そのまま、ホウッと肩で息をつき、右手の指輪を見つめた。
「……はやく、はずれないかな」
王子は眉を下げて、ショゲたように言った。
「ごめん」
素直に謝られれば、どうにも居心地が悪い。
おまけにショゲられてしまっては、自分が理不尽だということを突きつけられる。
雪花は諦めたように首を振った。
「別に謝らなくていい。王子のせいってわけじゃないんだもの。あたしがーーあなたの寝てる間に指輪を抜いて、自分にはめたんじゃない。それに指輪に呪いを掛けたのは、あなたじゃないでしょ」
彼女が小さく息を吐いてから微笑むと、王子も軽く微笑んだ。
「そう言ってもらえると、助かる」
☆
目の前に湖が現れたのは、まだ太陽が高いウチだった。
思わず雪花の目がキラキラ輝く。
「湖だ。清水の湖だよね。来たのは初めてだわ」
青々と清廉な水を湛える中程度の湖、清水湖は森をだいぶん進んだ事を表す。
王子も煌めく湖面に目を細めた。
「と、いうことは、あと一日か二日で森を抜けるな」
「そうよね」
雪花が立ち止まったまま王子を見上げる。
「ねえ、さっき、良い感じの岩場があったわよね?」
「ここから、すぐの岩場?」
「そう。ちょうど屋根と壁があるみたいに重なった岩場」
彼女はニッコリ笑う。
「今日は早めに寝床を作って、少しゆっくりしない?」
意外な発言に面食らったような顔で王子が頷く。
「……そりゃ、俺はいいけど」
「そうと決まったら、戻って寝床を作ろう」
雪花はいそいそと来た道を戻っていく。
まったくクルクルと気分も表情もよく変わる。
王子はホウッと溜息をついてから、彼女の後を歩き出した。
雪花にだって考えはある。
岩場に落ち着いてすぐ、彼女は王子に宣言した。
「夕方までは別れて食材を探そう。持ってきた食料がだいぶん淋しいことになってるのよ」
「それはいいけど、食材?」
「あたしは湖で魚を捕まえてくる!」
王子はキョトンと彼女を見た。
「……魚ねぇ」
「なによ。もしかして、捕まえられるわけないだろとか、思ってる? あたしは森で育ったのよ。魚くらい捕まえた事あるわ」
彼は疑い深い目で彼女を見たが、見ただけで頷いた。
「……そうか、で、俺が森?」
「そう。森で何か見つけて。木の実でも、薬草でも」
「なあ、それって雪花の方が森に向いてないか?」
雪花が少しギクッとして片手で口を塞ぐ。
ーーこういう時だけ勘がいいのは、どうかと思う。大人しく森に行っててくれればいいのよ。別に空手で帰って来たって怒りゃしない。ボンクラにそこまで期待してないから大丈夫。
王子は、また胡乱な目で彼女を見ている。
「まだ太陽が高いもの、上手くいかなかったら交代すればいい。そうと決まったら動くわよ!」
もちろん、いそいそと彼女が袋を抱えて出ていくのを、王子が見ていなかったわけはない。