森7 雪花は女の子
移動の途中で苔桃を見つけたのは幸運だった。
雪花は真っ赤な実を見て嬉しくなる。
酸味の強い野生の苔桃は、食べてすぐにキュッとした酸っぱさが広がる。
そして甘い匂いが鼻を抜けて、後から本当に微かに甘さを感じる。
彼女は、この酸っぱさが癖になるほど好きだ。
雪花はモクモクと、一人で食べていた。
別に独り占めする気はないのだが、手が止まらないのだ。
ちょっと悪い気がして、王子に何度目かの確認をする。
「……本当にいらないの?」
王子は面白そうに彼女を見る。
「酸っぱいのは苦手なんだ。雪花が好きなら一人で食べていい」
「……そう?」
彼は笑ってミントティーの入ったカップを指差す。
「これで充分だから」
そういう事なら、遠慮はしない。
彼女は皿から苔桃を二、三粒いっぺんに摘んで口に放り込む。
「んふ。美味しい」
彼女の顔に愉悦の笑みが広がった。
「んふふ、美味しい」
ニヤニヤして嬉しそうだ。
パン粥に蜂蜜、チーズを少し。それに苔桃。
今夜の夕食は雪花の好きな物ばかりで、彼女は機嫌が良かった。
それに寝ぐらに選んだウロのある樫の木は、古木らしく穏やかでエネルギーが強い。今夜は魔物も寄って来ないだろう。
樫の木の側で焚き火を囲んでいたのだが。
気が緩んでいるのか、焚き火を見ているウチに眠くなって来た。
木のウロに移動しなくては、そうとボンヤリ思う。
王子の顔も炎に照らされ、チラチラと揺れる。
「雪花はどうして森に住んでるんだ? 町にだって魔法使いはいるのに」
不思議そうに聞いてくる。
彼女は苦笑を浮かべて炎を見た。
「町に住んでた事もあるけど……気が合わないのよね。町の魔法使い」
唇についた苔桃の汁を、小さな舌でペロッと舐める。
王子が軽く目を細めて彼女を見た。
「ええと、なんだっけ? ああ、そう。町の話し。……あたしの師匠は、物事は何でも小さいウチに対処しなさいって言ってた。どんなことも、小さなウチなら容易いからって」
王子が頷く。
「君の師匠の言うのは分かるよ」
「うん。でも、町の魔法使いは違うみたい。もちろん、全員がそうって言うわけじゃないけど」
雪花は小さく、あふっと欠伸をした。
欠伸のせいで瞳が潤み、睫毛を濡らす。
王子は彼女から軽く目線を逸らして、居心地が悪そうにカップを回していた。
「小さなウチは相談されても放っておくの。少し大きくなってから、大袈裟な魔法で対処する。そうすれば、人は魔法使いを褒めるし、お礼も沢山もらえるからね。それが、魔法使い全体の為だし、処世術って言うんだって——よく言われたわ」
彼女は眠そうに目を瞬いてから細める。
「そういうの、あたしには合わないわ。だから、小さなウチの対処方法を町の人に教えてみた。けど……町の人は、町の魔法使いが好きみたい。大袈裟で派手だから、そっちの言う事をよく聞くのよ」
王子の声が少し遠く感じる。
「だから森に引き篭もったのか? 人から離れて?」
彼女が首を傾げ、細い指で首に掛かった髪を払う。
「そうね。でも、今は……もっと沢山の魔法を覚えたら、町に住もうと思ってる」
瞬きをして、もう一度あふっと欠伸をした。
「………あたしの言葉は誰にも伝わらないまま。それは、寂しい」
ふっと顔を上げたら、王子は真顔で雪花を見ていた。
赤みの強い金髪が炎に照らされて燃えているよう見える。
整った鼻筋や少し切れ長の目、意志の強そうな口元、軽く尖った顎。
雪花は王子の顔を、初めてちゃんと見た気がした。
炎に照らされて影が揺れる。
彼は黙って座っているのに威圧感があり、琥珀色の目に圧倒されそうだった。
その目は彼女を魅了した。ずっと見ていたいと思わせる。
雪花の唇が動いたけれど、声は聞こえない。
——昼間と別人みたいね。
彼女は首を傾いで微笑んだ。
眠いのだろう、どこか気怠げで誘うようだ。
豊かな黒髪が動きに合わせて揺れた。
髪の間から白い首が艶かしくのぞいている。
彼女の細められた目が、王子をジッと見つめていた。
花びらのような唇が開く。
「ねえ、そういう顔をしてると格好いい」
雪花の体が揺れたと思ったら、そのままカクンと横になる。
気づけばスースー寝息を立てていた。
王子は軽く頬を染め、額に片手を当てると俯いて大きく息を吐いた。
「…………なるほどな」
この娘は自分が他人の目にどう映つるのか、全く分かっていない。
☆
目を覚ました雪花は、樫のウロで毛布にくるまっていた。
「よく寝たぁ」
起き上がって伸びをする。辺りを見回したけど、ボンクラ王子の姿がない。
昨夜の事を思い出そうとしたが、全然ダメだ。覚えていない。
ご飯が美味しくて、お腹がいっぱいで、眠くって、眠くって……どうしたっけ?
ウロを出ると、王子は焚き火の側で毛布にくるまって寝てた。
「………………?」
樫のウロに入らなかったようだ。
彼女は口元を押さえる。
もちろん、文句が聞こえないように。
——王子はバカなの? いくら樫の側だって、魔物に襲われたらどうする気だったのよ。自分が死んだら、あたしが死ぬって忘れてるわけ?
呆れた目で転がってる王子を見たが、まあ、起こさないで置いてやろうと思う。
慣れない旅で疲れているんだろうし。
そのまま少し離れた小川まで歩く。よく寝たはずなのに、体は重いままだ。
「ボンクラが外で寝るからよね。何を考えてんのかなあ、もう」
自分に回復魔法をかけて、顔を洗って歯を磨いた。
腕や首を水ですすぎ、少しだけサッパリしたけど……。
「あぁー。体を洗いたいなぁ」
ベタつき始めた髪を引っ張って、腰の紐を外して結んだ。
彼女が着ているのは、頭から被るタイプのワンピースと言っていい。
濃いグレーで、腰紐を外せばストンと筒のようになる。
少し格好が悪いが、汚れた髪が顔にかかるのはウザったい。
「ま、いいや。どうせボンクラ王子しかいないんだし」
樫の木に戻ると、起き出した王子が火を起こしていた。
「おはよう。ねえ、なんで外で寝たの? 魔物が襲って来たら危ないじゃない」
「………焚き火の側が暖かかったんだ」
雪花は大きく頷く。
「あぁ。眠くって動けなかったのね。あるわ、そういう事。あたしも昨日は眠くって、いつ寝たのか全然覚えてない」
何だろう。王子の視線が胡乱だ。
彼はフルフルと頭を振って、小鍋を持つと立ち上がった。
「顔、洗ってくる」
「行ってらっしゃい」
ボンクラ王子の背中には、微かな哀愁が漂って見えたのは気のせいだろうか。