森6 ボンクラ王子は暖かい
テントの中で毛布にくるまり、疲れた体を横たえる。
すぐに眠れるはずだったのに、上手くいかない。
風が吹く度に、木々の枝葉が大きく騒つく。
雪花はその度に目を覚ました。
森に一人で住んで、幾つもの夜を過ごして来た。
けれど、野宿はした事がない。
「………音が煩いなぁ」
雪花が住んでいる楡の大木は、もともとは彼女を育てた老魔法使いの住居だった。丁寧に魔法が掛けられ、手入れされた楡の部屋は、外気や音を感じさせない。
それに——。
幼い頃から慣れしたんでいた楡と彼女は、とても仲が良かった。
古木は風雨だけでなく、実に様々なモノから彼女を守ってくれたのだ。
「……帰りたいなぁ」
ホームシックには早過ぎるけど、ちょっと、泣きたいような気分になった。
毛布にくるまって、心細さを振り払う。
真っ暗にならないよう、魔法で小さな灯りを作ってある。
テントの中はボンヤリ明るい。
ボンクラ王子がこちらに背を向けて寝ているのも見える。
クークーと寝息が聞こえてきた。
「ボンクラってば王族のくせに、よくこんな所で熟睡できるわよね」
きっと、普段はふわふわのベッドに寝ているんだろうに……。
ふぅっと息をつく。テントの真ん中には、境界の魔法がかかっている。
かりにも嫁入り前の乙女である。
相手がボンクラで、雪花が魔女だったとしても、男と同じテントで寝るのは賭けだ。だから、真ん中に境界の魔法を掛けた。
熟睡してる王子を見れば、あんまり意味はないようだが念のためだ。
王子の背中を見ながら、ウツラウツラと浅い眠りに落ちると、地が揺れるような咆哮に起こされた。
ヴォルクだ。
王子が襲われた時は一頭だったが、本来のヴォルクは群れを作って行動する。
吠え声に応える別の咆哮が聞こえてきた。
首筋がゾクゾクする。
ドンッと結界に体当たりする音が響いた。
「だ、大丈夫よ。魔法円は良く出来てた。欠落も混乱もしてなか——ひっ」
また、体当たりしてる。
ギュッと体が強張る。ボンクラは相変わらずクークー寝ている。
肝が太いのか、鈍感なのか、憎らしいくらいだ。
ドンッと体当たりされた時、今度は空間が揺れた気がした。
「……………やだ」
怖くてたまらなかった。
大丈夫なはずなのに震えが止まらない。
王子は都合よく爆睡しているし、今なら少しくらい近寄っても起きないだろう。
「怖いわけじゃないけど」
ヴォルクは何頭の群れなのだろう……。
そんな事が気になる。
雪花は芋虫のように動いて、毛布ごと境界を超え、王子の側まで移動した。
「………も、もしもの時に、すぐ起こせるようによ」
また空間がドンッと揺れた。
「ひっ」
思わず王子の背中にしがみつき、目をきつく閉じる。
「大丈夫だ」
声に目を開ければ、寝返りを打った王子が眠そうに目を細めていた。
そのまま彼女の体に腕を回し、抱き寄せて背中をトントンと叩き始める。
「雪花の魔法円は上手く出来てた、魔物は入って来られない。入って来ても君は強い。怖くない、怖くない」
彼は、ぽそぽそと小さく呟く。
囁くような呟きと、王子の体温が彼女を落ち着かせていった。
自分でも聞き取れないくらいに、小さな声が口からこぼれ落ちた。
——この人、暖かい。
魔物の体当たりは何度か続いたが、そのうちに諦めたのか聞こえなくなった。
代わりに、規則的な王子の心臓の音と、寝息が聞こえてくる。
雪花は王子の温もりに暖められ、やっと本格的な眠りの中に落ちる。
☆
小川で水を汲み、乾燥ミントを入れてお茶を作る。
雪花は片手で口元を押さえながら、口の中でモゴモゴ呟いている。
空いている方の手で長い髪を引っ張った。
「ぬかったわ。旅の始めから弱味を見せてしまうなんて。ううん、昨日のはノーカウントよ。だいたい、女の子が初めて野宿したらあんなものよ。と、いうか……あのボンクラは年頃の女の子を気安く抱き締めるなんて、結構な女タラシかもしれないわ。気を引き締めていかないと」
鍋はぐらぐら沸いているが、雪花の口は止まらない。
「と、いうか。あれじゃ、子供をあやしてるのと同じじゃない。あのボンクラは、あたしを何だと思ってるのよ。なんか腹立つ」
王子は小川で顔を洗い、歯を磨いて戻って来ると、微妙な表情で雪花を見た。
「………雪花。お茶を作ってるんだよな? なんか、呪い薬とかじゃないだろな」
陽の光を集めたような、琥珀色の瞳が心配そうに鍋を見る。
彼女は口元から手を離した。
「胡乱な目で見ないでよ。ミントのお茶よ。呪文を唱えてるわけじゃない。あっ、煮立ってる!」
お茶は案の定、苦味が出ていた。
せっかくのミントティーだったのに。
「俺が作るよ」
苦笑したボンクラが焚き火の前から雪花をどかす。
「ちょっと、お茶を煮立て過ぎただけじゃない。麦粥くらい作れるのに——」
「まあ、少しは仕事させろよ。昨夜も雪花が夕飯を作ったんだし」
王子は、例の気弱そうな笑みをヘラッと浮かべた。
「…………分かった。少し散策してくる」
「遠くには行くなよ。危ないからな」
雪花は思わず手で口を覆う。
——ほら、やっぱり子供扱いしてるよね。ムカツくわ。あたしを幾つだと思ってんのかしら。
王子は不思議そうに彼女を見上げた。
「口元を隠すの、流行ってんのか?」
——呪いの指輪のせいじゃない。自分の考えがだだ漏れなんて、人として尊厳に関わるわよ。棍棒で頭蓋骨をカチ割ってやりたい、けど、それって自傷行為になるわけで、本当に面倒な呪いだわ。
彼女は口元から手を離す。
「柔らかすぎは嫌いだから、美味しく作ってよね」
たっぷりの長い黒髪を揺らして、ツンっと顔を上げて歩き出した。