鉄鋼山5
春の鉄鋼山は秋に来た時とは、やはり趣が異なっていた。
水はけの良すぎる軽石の間でも、石が細かく粉砕されて砂とかした場所でも、根を張った小さな草たちが花を咲かせている。
空を流れる雲もどこか霞んで水色の空に紗をかけるようだ。
——春なのね。
雪花は足を止めて山の空気を深く吸い込んだ。
銀が足を止めて雪花に腕を伸ばす。
「疲れたのかい?」
横から琥珀が腕を伸ばして雪花の手を取った。
「人の女房に触るな」
「気遣っただけじゃないか。いいだろ、少しくらい。雪花は僕の主なんだから」
不貞腐れたような銀に、琥珀は笑いながら言う。
「ダメだ。雪花には指一本触るなよ」
銀は疲れたように琥珀を睨む。
「雪花だけじゃなく、ガザニアにも触らせないくせに」
「当たり前だ。嫁入りまでは他の男に触らせるわけがない」
胡乱な目で睨む銀を琥珀は片眉だけ上げて見る。
「なんだよ」
「自分は嫁入り前の雪花に触りまくったくせに」
琥珀が少し顔を赤らめて銀の後頭部を叩いた。
「煩い口だな」
「滑りには気をつけてるんだ。僕の商売道具なんでね」
二人を見ながら雪花はクスクスと笑った。
琥珀が雪花を振り向いて微笑む。
「雪花、ほら、見えてきた」
薄雲の中に斜面に張り付くように建てられた山小屋が見えていた。
「本当だ。とても……懐かしいわ」
琥珀が破顔して笑った。
「ずいぶん前のようにも、昨日のようにも感じるな」
——あの子は元気かな。
小屋に入って琥珀が声をかける。
「すみません、誰か——」
奥から子供が飛び出して来て、転がるように琥珀の足に抱きつく。
焦げ茶の髪と瞳を持つドワーフの男の子だ。
「王子の兄ちゃん!」
琥珀が優しい笑みを浮かべる。
「橙。元気でやってるか?」
頭を撫でられた男の子は、満面笑顔で彼を見上げ大きく頷く。
それから雪花を見て両腕を広げて走り込んで来た。
彼女も腕を広げて橙を受け止める。
「緑の魔女の姉ちゃん! 待ってたんだよ。お山が来るよって教えてくれたんだ」
「そうなの。元気そうな橙に会えて嬉しいわ」
「僕も!」
橙は不思議そうに妖精の銀を見上げる。
「この人は誰? 人間?」
「この人は妖精よ。山登りに付き合ってくれたの」
琥珀が笑う。
「荷物持ちだ」
銀はドワーフの子供の薄い傷跡を見て、この子が蘇生魔法をかけて貰った子だと気づいた。
大きな怪我だったと聞く割には、後遺症も全く見えない。
さすが雪花だと心の中で唸る。
奥からドワーフの主人が出てきて驚いた顔で二人を見た。
「こ、これは王太子。緑の魔女様も……そちらの方は?」
琥珀が笑って銀を見る。
「彼は雪花の従者なんです」
「おお、そうなんですか。それは羨ましい。緑の魔女の従者なら、私もなりたいものです」
雪花が眉を顰めて琥珀を睨む。
「違うわ。銀は友達。ご主人も、あたしの友達よね?」
主人が頬を少し高揚させた。
「それは、身にあまる光栄ですね」
主人の後ろから飛び出して来た奥さんが、雪花に駆け寄って抱きしめた。
満面に笑みを浮かべて涙ぐむ。
「お待ちしておりました。朝から橙がお二人が来ると言っていたので。お元気そうで何よりです」
彼女は王太子の方を向くと、目を見張って椅子を進める。
「王太子様。お子様ですか? 大変だったでしょう。どうぞお座り下さい」
微笑んだ琥珀の腕の中には、おくるみに包まれた二人の赤子が抱かれていた。
「よく寝ていてくれて助かりました」
琥珀は体に縛り付けた布を解くと、一人を雪花に渡した。
硬そうな黒髪を持った赤ん坊は、一度は目を開いて雪花を見上げたが、チプチプと口を鳴らすと、また母親の胸に顔を寄せて目を閉じた。
琥珀の腕に残った一人は、たっぷりで癖のある赤みがかった金髪で、目を開くと琥珀色の瞳で父を見上げた。
「息子のスピネルと娘のガザニアです」
橙が覗き込むように二人の赤ん坊を見る。
「姉ちゃんと兄ちゃんの子供?」
「そうよ」
彼は不思議そうにしてから、自分の母親に走って行った。
「僕もね、お兄ちゃんになるんだよ」
奥さんは二人にお茶を出しながら頷く。
「ウチはもう少し先です。それにしても、双子をお生みになったのですか? 大変だったでしょう」
雪花が大きく頷いて笑いながら言う。
「すっごい大変だったわ!」
主人は首を傾げて王太子を見た。
「こんな上まで、赤ん坊を連れて来られたのですね?」
「ああ。鉄鋼山のドラゴンが弱ってると聞いた。彼に会いに来たんだ」
合点がいったように頷いた主人は、立ち上がって大きな鍵を持ち出した。
銀は静かに微笑んで、二人に言う。
「僕はここで待ってることにする。荷物番がいるだろうからね」
☆
ドラゴンは丸くなって眠っていた。鈍色の鱗に長く太い尻尾、小山のような彼は翼をたたみ、前足に頭を乗せている。
雪花は歩み寄って彼の鼻先に左手を当てた。彼女の薬指で琥珀石が煌めく。
「来たわ、ドラゴン」
ドラゴンが金色の目を開く。
銀の瞳孔が二人に向き、小さな笑い声が頭に響いた。
『よく来た。王太子と緑の魔女』
琥珀もドラゴンに歩み寄って、彼の前足を撫でた。
「具合が悪いと聞いて、慌てて来たんだ」
ドラゴンは穏やかに答える。
『なに、ただ老いただけだ。ドワーフが騒ぎすぎているだけだ。何者にも寿命は来る。さて、二人が来たということは』
二人はドラゴンに見やすいように、腕に抱いた赤ん坊を傾ける。
「この子は娘のガザニア。雪花が抱いているのは息子のスピネルだ」
子供たちが目を開いて大きなドラゴンを見つめる。
黒い瞳のスピネルが小さな手を伸ばして笑った。
琥珀色の瞳のガザニアはジッとその巨大な瞳を見つめている。
ドラゴンの目が穏やかに細められる。
『これは良い子供達だ。きっと、この国を守るだろう。祝福をしよう』
ドラゴンの瞳が黄緑がかっていく。頭の中に古語が呪文のように流れる。
二人の子供たちは淡い黄緑の光に包まれて、不思議そうに小さな手を伸ばして光に触れようとしていた。
「ありがとう、ドラゴン」
雪花が彼の鼻先を抱きしめると、ドラゴンはゆっくり目を閉じる。
『私こそ、礼を言おう。約束を守ってくれた。ありがとう』
琥珀も腕を伸ばしてドラゴンの鼻先に触れる。
「間に合って良かった」
王太子と緑の魔女が竜穴を去ると、ドラゴンは静かに丸まって、まどろみに落ちてゆく。
まだしばらくは、この国は安泰だな——そう思いながら。
稚拙な文章に御つきあい頂き、ありがとうございました。
最後まで読んで下さった皆様に感謝を。
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